バブル最盛期の1989年の株式売買代金(一日平均、東証1部)は1.3兆円であったが、その後急減し、3年後の1992年には2,384億円に激減した。1989年の売買代金を抜いたのは2004年であり、2006年には2兆円、2007年は3兆円を超えるまで宴は盛り上がって行った。リーマンショックにより、市場は収縮を余儀なくされたものの、日銀の大掛かりな金融緩和策が功を奏し、再び、博打場は参加者が増え熱気で満ちた。
2021年の売買代金は過去最高を更新し、この勢いは今も持続し、過去最高を更新し続けるという過程にある。2025年の売買代金(プライム)は5.84兆円とバブル最高潮の1989年の4.5倍に膨れた。今年に入り、留まるところを知らぬように、1月7.66兆円、2月9.86兆円、3月9.13兆円へと過去にない異常な超活況相場といえる状況にある。株式市場では1日、9兆円の金が渦巻いているのだ。2025年の名目GDP(一日当たり1.81兆円)と比較するといかに株式流通市場という博打場が繁盛しているかがあきらかだ。実体経済の5倍ものマネーがわずかの鞘を狙って、超高速で一日何千万回、何億回もの売買を繰り返している。これを博打と言わねば、何が博打になるのだろうか。
株式流通市場が9兆円もの資金であふれて活況を維持していれば、国民の多数は、景気は悪くはないのだ、と現状を楽観的に捉えることになる。政府がやっていることは、それほど間違ってはいない。株式がこれだけ値を上げ、過去最高値を更新しているのだから、と納得させられる。国が言うことを素直に従うことは、新型コロナワクチンで実証されたが、そのことと同じことが株式についても当てはまる。
株式は経済が良いか悪いかを示す基準に祭り上げられているのだ。だから、資本主義国、とりわけ米国、イギリス、日本などが株式を国家ぐるみで支援擁護している。株式を支えるために、株式現在価値を上げる金融政策、直接介入、制度の整備等できることならなんでもやるという方針なのだ。アングロサクソンが蒔いた、まさに株式至上主義と呼べる国家に成り下がってしまった。悪いことほど真似る典型的な例のひとつだが、最近の政府はこれに拍車が掛かっている。
株式は資本主義の総本山、市場原理が貫かれ、公平公正だと言われているが、事実はそれとは真逆である。株式は資本主義の原理が適用されない、国家管理下に置かれている。もし、市場が大きく崩れそうになれば、政策金利を急低下させ、場合によってはマイナスにもする。日銀は金融機関から債券を買いまくり、金融機関にマネーを供給する。金融機関が行き詰まりそうになれば、公的資金を注入するなど、共産主義となんら変わらない行動をとるのである。そうした国の支援があるからこそ、一日9兆円ものホットマネーで溢れかえっているのだ。
場合によって、国は資本主義と共産主義を使い分けている。株式は共産主義的扱いをしており、株価は右肩上がりで、商いは多いほうが良いとされている。国が「貯蓄から投資」を唱え続け、税制の優遇措置も絡めて、投機家の増産に注力する。
日経平均株価はリーマンショックと共に急落したけれども、2009年には底打ちし、以後、ほぼ右肩上がりとなり、6万円を付けるに至っている。その間、日経平均株価は約8倍にも急騰した。これだけ値上がりすれば、実体経済にもなにがしかのプラス効果があらわれてもおかしくないはずだ。だが、株が底打ちした2009年から2025年までの16年間の名目GDPは年率1.78%にすぎなかった。家計最終消費支出(持家の帰属家賃を除く)は1.28%とGDPの伸びを下回っており、株高は消費になにのプラス効果をも及ぼさなかった。新型コロナ以降、物価が上昇したため、その上昇を除いた実質のGDPは年率0.93%、家計最終消費支出は0.16%とほとんど横ばいであった。株式がこれだけ値上がりしていれば、家計消費に幾ばくかはその値上がり益が寄与していると考えられるが、そのような形跡を認めることはできない。
前号で指摘したように、株主への分け前である配当金(大企業)は2009年度の7.0兆円から2024年度には29.6兆円へと急増しているが、2026年3月期の個人時価総額を基に試算すれば、個人が受け取る配当金は約4.6兆円であり、しかも60歳未満の個人に配分されるのはたったの1.6兆円なのだ。
金融業と保険業を含む全産業全規模の配当金は2024年度、48.7兆円、15年前の2009年度14.8兆円の3.3倍に拡大しているが、家計消費は停滞したままなのである。株式の最大の魅力は配当金なのだが、配当金がこれだけ急増しても、個人が受け取る配当金が少なければ、家計消費と配当金の間には有意な関係を認めることができない。
株式が値上がりすれば売却益を手にすることができるだけでなく、売らなくても含み益が発生し、それだけで消費意欲を高める効果が期待できる。が、株価の上昇が個人株主の消費行動に影響しているとは、マクロの統計からは窺うことはできない。
商いが急増し、株価もうなぎ登りの状態にあっても、そのことは経済とはなにの繋がりもない。威勢のよい掛け声を掛けながら神輿を担ぎ練り歩くことで辛くて、苦しい日常の世界を一時的に忘れることができる程度のことしか株式は与えない。
株式は日々大商いで日常から掛け離れた博打場として機能しているのだ。買った株が値上がりすればうきうきするし、その逆であれば沈むことになる。日々の相場に、一喜一憂するだけでなく、精神状態もそれに左右されるだろう。
2026年3月までの6カ月間に決算期日が到来した銘柄について、それらの銘柄の株主を銘柄横断的に名寄せした株主数(個人居住者)は1,675万人、延べ株主は11,061万人。これだけ多くの個人が株主として市場に参加していることは、常日頃、市場の動向に目を光らせている人もさぞ多いことだろう。今は、スマホでいつどこでも売買できるため、相場が日常生活に入り込み、日常生活が相場に左右されることもありがちではないか。そうであれば、相場に気を取られ、本来なすべきことが疎かになることも考えられる。博打と同じでたいていはやられることになり、その精神的ダメージははかりしれない。身を亡ぼすような深刻な事態に追い込まれる人もでてくるだろう。祭りは過ぎ去ってしまえば、日常の生活にもどるだけだが、株で失敗すれば、日常生活は一気に奈落の底へ突き落されるかもしれない。原油が途絶えるだけでなく、明日にも大地震がおこるかもしれないのだ。鉄火場には、むやみにちかよらないにこしたことはない。
流通市場ばかりが注目される株式だが、その本来の目的は資金調達の場なのだ。公開企業、非公開企業を問わず、株式を発行して資金を調達して経営をするのが株式会社。先のことはだれも正確に見通すことはできないので、特定、あるいは不特定の個人や法人から資金を募るのだ。出資したお金はその出資した会社がうまくいけば、出資に応じて配当をもらえるし、株式の値打ちも上がる。最悪、出資会社が倒産すれば、その株式は無価値になる。株式は博打と同じで当たるか当たらないか、あるいは富籤に類するものなのである。このことはいつの時代にも通用する真理である。
『法人企業統計』によれば、2024年度、企業(全産業全規模)の資金調達額は102.4兆円だが、外部調達は4.3兆円にすぎず、98.0兆円を内部調達(内部留保と減価償却)で賄っている。増資はマイナス8.4兆円であり減資しているのだ。長期にわたり企業の資金調達は発行市場に依存していない。株式に頼らなくても、内部留保が潤沢にあるため、これに減価償却を加えれば必要資金をほぼ賄える。2025年の株式による資金調達額は1.87兆円であり、株式発行という機能は風前の灯なのである。
発行市場は死に体の状態にある半面、流通市場だけが我が世の春を謳歌している。これだけ株価が高騰していれば、公募増資で容易に資金調達が可能なのだが、そうはしない。すでに資金は潤沢にありすぎて使い道に苦慮しているからだ。「現預金」だけで301兆円(全規模全産業、2024年度)、10年前に比べて1.6倍に増加している。固定資産に計上されている株式は392.4兆円、2014年度比1.6倍。株式に公社債8.9兆円、その他の有価証券42.8兆円など加えた「投資その他の資産」は676.4兆円、同1.73倍増である。「現預金」に「投資その他の資産」を加えれば977.4兆円となり、総資産2,270兆円の43.1%に当たる。現預金はほとんど利息収入を得られず、株式や債券など有価証券の利回りも上昇してきているとはいえ2%台である。こうした巨額の資産を低収益のまま放置していることは、投資先が見つからないのか、見つける眼がないかである。多額の資産を低収益で遊ばせ満足しているのでは経営能力がないと言われてもしかたがない。日本企業はこの低収益資産を高収益資産に置き換えることができれば、業績は見違えるほど良くなるだろう。