熊が人間の生活圏に出没するのは山に餌がないからだ。食べ物がなければ、あるところを探し、どこまでも行かざるを得ない。冬眠の時期が近づけば、なんとか餌にありつかねばと必死なのである。人間でも飢え死を免れるためには、本当に食べ物がなくなれば、どのような行動をとるかわかったものではない。強盗や殺人が増え、さらには戦争へと発展するかもしれない。
熊の食べるものがなくなったのは、熊のせいではなく、人間が餌を与えてくれる森を荒らしたからだ。ブナ、ナラなどの熊の餌になる実をつける天然林の面積は減少する一方、人工林(大半は杉、桧などの針葉樹)の面積は増加している。つまり熊の餌を供給する奥山の森が少なくなっているのだ。そこへ凶作とくれば、人間の生活圏に出没するしかないことになる。山の尾根筋上に風力発電や中山間地帯に太陽光発電なるものを建設、そのためには道をつけなければならないなど、天然林を踏み荒らしてきたことも熊の生活環境の破壊となったはずだ。人間のエゴが人間に降り掛かってきたとも言える。悪いのは熊ではなく人間なのだ(日本熊森協会、『北海道・東北等のクマ異常出没を受けての緊急要請』、11月6日を参考)。
移民も自国が貧しくて、海外に出て行かなければ食えないから食える豊かな国へ行くのである。自国で衣食住が満たされていれば、わざわざ国を出ていくことはない。人間はより良い生活を求め、そうしたことが実現できるところへ行くものだ。長い歴史からみても、ひとつの地域が永続的に豊かな文明を築き発展し続けることはなかった。すべてのことについて栄枯盛衰は避けられないことなのだ。長い目で見れば、地域の浮き沈みによって、人類は移動に移動を繰り返し生き延びてきたのである。同じように熊も環境の変化によって移動していくのは当然のことなのである。森林環境の急激な変化を作り出したのは、我々だということを忘れてはいけない。
熊が人里に出没したからといって存立危機事態となることはないが、原発は存立危機事態を引き起こす。事実、2011年3月11日、福島第1ではそのような事態に直面した。東京でも住めるかどうかという恐ろしい経験をした。
環境をぶち壊した原発を、それでも稼働させることを新潟県の花角英世知事は11月21日、了承した。原発事故が起こればどうなるかは福島第1で十分に経験したのだが、東電や国は、過酷事故は過去のことであり、そのようなことは微塵も思わない。経験から学ぶ、経験を活かすことは原発村ではご法度なのだ。今もなお原発の産官学は強固な集団を形成している。
熊では大騒ぎするけれども原発再稼働では熊問題よりもはるかに静かだ。これだけ地震が多く、南海トラフ巨大地震が向こう15年以内に起こるという予測もあるが、再稼働なのだ。いったいどういう神経をしているのだろうか。この狭い国土に59基(廃止措置中20基、廃止6期を含む、2025年10月20日現在、原子力規制委員会)もの原発を抱えていることこそ存立危機事態ではないか。
原発は危険であり、矛盾だらけの巨大装置であることはだれでもわかることなのだが、原発村の人間は悪いものだと分かっていながら原発を推進するという確信犯なのだ。戦前の軍国主義者とまったく同類の人たちである。いくら米軍に叩かれ、食料もエネルギーもなく、兵隊の士気が落ちてもまだ白旗を揚げない。国が焦土化しても、ドイツが無条件降伏しても降伏しない。まさに狂気の状態に陥っているのだが、軍国主義者はそうとは思わないのである。皇国史観のなせるわざと言える。
福島第1の廃炉はどうなっているのだろうか。デブリを取り出すという荒唐無稽なやり方に何の疑問も持たず、廃炉という言葉だけで、時間が経過しているように思う。今の廃炉作業はすでに14年も行われており、これだけの経験を積んでいれば、廃炉の道筋が分かってもおかしくはない。未だ暗中模索というのであれば、今のやり方は間違っているのだ。現状を踏襲し続けて行けば、100年経ってもほとんどいまと変わらないのではないか。ただ、東電はだらだらと結果のでない世界を作っているだけなのだ。東電の骨の髄まで浸み込んだ官僚的な体質は、そうやすやすと変わるものではない。東電の廃炉作業は百年河清を俟つだ。管理職以上を解雇し、東電を解体し、新体制をつくり廃炉に取り組んだほうが、近道ではないか。
原子力村の人間は存立危機事態になろうが、お構いなく原発を推進する人たちだ。福島第1の事故処理費用は23兆円超と見積もられているが、そのうち廃炉費用は8兆円であるが、時間の経過とともに処理費用は増額されており、いったい、いくらになるのか見当もつかない。おそらく23兆円の何倍にもなるのだろう。
いくら処理費用が拡大しようが、原発村の人は痛くもかゆくもない。全国の電力会社の電気料金の上乗せ、送配電網利用料の上乗せ、税金といった形で最終的には国民の負担になるだけで、彼らの懐は痛まない。永遠にこうした費用徴収を続けるつもりなのだろう。電力料金高が問題になっているが、福島第1の事故処理が終わらない限り、国民の電気料金と税金の負担は軽くならないということだ。事故処理を速め国民負担をなくすには政権を覆し、反原発の政党が政権を担うしかない。
福島第1の廃炉作業等で働いている作業員の約9割は下請けであり、東電社員はわずかだ。これまでも今もそれぞれの原発に従事している作業員のほとんどは下請けなのだ。つまり危険・汚い・きつい仕事は電力会社の社員はやらず、ほとんど下請けに押し付けている。しかも、『民間給与実態統計調査』(国税庁)によれば、電力・ガス等の給与は産業界トップクラスの超高給なのだ。事業者規模5千人以上の電気・ガス等の平均給与(2024年)は894.5万円。また『有価証券報告書』によれば、2024年度、東電の平均年間給与は859.5万円(平均年齢45.0歳)であり、関西電力973.2万円(42.6歳)、中部電力898.8万円(42.8歳)に次ぐ3番目の高さである。本来、倒産した会社であり、国から10兆円を超える資金援助を受けながら、高給を得ることが罷り通っているのである。これをみても電力大企業には資本主義の掟が適用されず、人並み以上に厚遇されているのである。
原子爆弾に反対するひとでも原発には触れない人が多い。昨年、ノーベル平和賞を受賞した被団協(日本原水爆被害者団体協議会)だけでなく、物理学者やマスコミも反原発には及び腰しだ。だが、原発を運転すれば、原爆の原料になるプルトニュウムが生成される。「原子力規制委員会」によれば、2024年末、日本には44.4トンものプルトニュウムがある。原爆は保有していないが、核兵器に使える原料は山ほどあるのだ。日本は「中国が軍事用に持っていると推定される量の10倍以上、核兵器の数に換算すると数千発分に相当」(フランク・フォンヒッペル、朝日GLOBE,2019年9月7日)するプルトニュウムを保有している。日本は、核兵器は保有していないが、核兵器数千発分の原料がある。この現実は核兵器保有状態に限りなく近い立場にいることではないか。核廃絶と原発廃絶とは同じことなのである。核廃絶を主張するならば、原発廃絶も主張しなければならない。