高市総裁の特色と言えば、明治維新の尊王攘夷派と類似性が強いところだけだ。政策面での違いはほとんどない。自民党の枠では富裕層や企業に痛みを及ぼす政策は策定されない。金の問題でさえもお茶を濁すのだから、石破政権以上の政策は上がってこないだろう。勢い高市総裁が地を出せば中国や韓国から総すかんを食らうことになる。結局、独自の政策など打ち出すことはなく、これまでの踏襲ということになるのではないか。サッチャーを尊敬し、サッチャーのような経済政策を進めるのであれば、日本経済はますます疲弊していくことは間違いない。
第2次大戦について突き詰めて考える国民は少なくなっているように思う。だから、国民民主党や参政党なども右傾化し自民党とそれほどの違いはない。なぜこれほど日本は右寄りになったのだろうか。自民党政治が憲法を歪曲し、戦争のできるような法律を次々に成立させたからだろうか。自衛隊は米軍に組み込まれ、戦争が起きれば米軍と一緒に戦う。米国に言われるままに軍事予算も拡大させる。中国、北朝鮮など近隣との脅威を強調し、長距離ミサイルの配備を行なっている。
ありもしないアジアでの脅威を煽り、それによって緊張を自ら作り出しているのだ。まさに自作自演なのである。軍事費を増強すればするほど、戦争をしなければならなくなる。米国がこれだけ世界で戦争を引き起こしている最大の理由は、戦争をしなければ国内の軍需産業が持たないからだ。戦車、ミサイル、大砲、軍用ヘリコプター、戦闘機等々、平時状態が続けば、これらの兵器生産はほとんど止まってしまう。それでは軍需産業は生きてゆけない。
日本の軍需費もGDPの1%から2%に増額しつつある。軍需費を拡大していけば、戦争して兵器を戦場で使用し、消耗しなければ軍需産業を維持できなくなる。軍事費の拡大はそのような危険性を孕んでいる。軍事費膨張は戦争へと向かうシグナルとも言える。米国からのミサイル購入で米軍需産業を支え、ミサイル基地の建設によって、攻撃されるリスクが高まる。
巨額の資金を軍備に投入しても日本には何のメリットもない。国連憲章には今もって「敵国条項」が生きており、例えば日本が長距離ミサイルを配備すれば、そこを中国が攻撃しても何も言えないのである。日本が国内に相手国の基地を叩く手段を整えれば整えるほど、攻撃される可能性は高まるのだ。軍事費は従来通り、GDPの1%以内に抑えるべきだ。そうすれば5~6兆円の金が非軍事部門に回せる。日本の土台を崩す脅威はいくらでもある。ミサイルなど整備しても食料やエネルギーが止まれば即、日本は潰れる。原発が攻撃されてもお陀仏なのに、なぜ長距離ミサイルが必要なのか理解できない。高市政権になればさらにアジアの脅威を煽り、軍事費の拡大に突き進むだろう。
自民党の支配が教育にも表れており、第2次大戦や戦後の歴史の教え方に問題があることも保守化に繋がっているのではないか。高市政権が成立すれば、ますます歴史教育は歪んで行くだろう。教師への圧力は強まるばかりだ。
口先では平和が大事だと言うが、戦争を起こした天皇制という国体をそのままにしておき、戦前と同じイデオロギーが跋扈しているようでは、戦争は一時的に停止状態にあるだけだ。地殻の奥深いところでマグマが溜まっているのと同じで、地下では戦争というマグマがぐつぐつと煮たぎっているのである。
自民党議員の大半は「日本会議」と「神道政治連盟」に所属しており、皇国史観にどっぷり浸かっている。高市総裁は「教育勅語は生きていく基本」とまで言っているが、多くの自民党議員はそこまで教育勅語に酔心しているわけではない。しかし、明治憲法でも悪くはないと考えている議員は多いのではないか。
1889年に明治憲法は公布されたが、その翌年の1890年に「教育勅語」は発表され、明治憲法とともに天皇を頂点とする国家が作り上げられていった。教育勅語が公表されてからは小学生にこれを復唱、暗記させた。毎日繰り返しこうした反復行為が子供に行われれば、いつのまにか「朕惟フニ我カ皇祖皇宗…」の勅語に洗脳されてしまい、教育勅語の考え方が当たり前になっていく。現在90歳前後以上の高齢者は教育勅語を教えられた経験があるはずだ。戦後になっても、多くの日本人には教育勅語が脳裏にこびりついて、そのような思考から抜け出すことができなかったのではないだろうか。
明治憲法を子供の時から頭に植え付けるために教育勅語は作られたのだ。明治憲法は(第1章天皇 第1条大日本帝国は万世一系の天皇これを統治する 第3条天皇は神聖にして侵すべからず 第4条天皇は国の元首にして統帥権を総覧しこの憲法の条規によりこれを行なう 第11条天皇は陸海軍を統帥す)国の中枢をすべて天皇に集中し、独裁国家にするためのものであった。この明治憲法は1947年まで約56年間も国の基として国民を縛っていたのである。
日本は徳川時代の約260年間は平和であったが、大政奉還後、富国強兵の明治になってからは戦争に明け暮れることになった。1868年戊辰戦争、1873年征韓論が起こる、1874年台湾出兵、1877西南戦争、1894年清国に宣戦、1904年ロシアに宣戦、1910年韓国併合、1914年第1次世界大戦、1931年満州事変、1937年日中戦争、1941年米・英に宣戦。特に、1889年の明治憲法公布の5年後、清国との戦争に勝利したことから、強兵に突き進んだ。だが、最終的には無謀な戦争によって、凄惨な状態に追い込まれ、無条件降伏となった。明治憲法は戦争を抑止するのではなく、国家総動員法のように戦争にとことん加勢させられ、日本を根底から破壊した憲法なのである。
吉田松陰や平田篤胤の尊王攘夷思想が日本をこれほどまでに惨い状態に追い込んだのだ。吉田松陰は松下村塾で韓国をはじめとするアジアへの侵略を血気盛んな久坂玄瑞、伊藤博文、井上馨、高杉晋作などに吹き込んだ。社会の激動期にはそれなりのイデオロギーを必要とし、イデオロギーをぶち上げる扇動者がいるのだ。
天皇主義のイデオロギーが破綻したにもかかわらず、その再興を果たそうとしたのが元首相の安倍であり、その後継者が高市総理なのだ。尊王思想がいまだに勢力を有し、しかもそのような思想の持主が首相にもなる。依然、戦前と戦後が繋がっているのだ。元号昭和は1945年で途切れることなく1989年まで続き、変わっていない。この持続性が精神状態を戦前と戦後を分けることなく結び付けているのかもしれない。
さらに明治の欽定憲法から日本国憲法に変わってからも「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と柔らかになっているけれども、天皇制を存続させている。第2次世界大戦で日本は壊滅したが、その最高責任者がなにの責任も課されず、その地位にすがりつき、沖縄を米軍に捧げ、政治活動も行っていた。それでもなお天皇を崇拝し、明治憲法の地位に回復させたい政治家がいるのである。無条件降伏をしたときに昭和は終わりにし、天皇制を廃止するか、少なくとも江戸時代以前の状態に戻すべきであった。天皇が戦争責任を取らなかったことが、日本を無責任国家にしてしまったのである。