米国へ追随するリスクと日本の消費意欲の萎縮

投稿者 曽我純, 2月10日 午前9:01, 2025年

株式取引に国境はない。日本の東証プライム売買代金(委託)に占める外人比率は2024年、67.3%であり、まさに外人が日本株の主役なのであり(個人は25.5%、法人は6.7%)、外人で牛耳られているのだ。外人が日本株を買うことができるのと同じように、日本人も海外の株式を求めることができる。だが、米国は新日鉄がUSスチールの株式を買い占めることはけしからんという。7日の日米首脳会談で買収ではなく投資だということで折り合いが付いたようだ。

株式を米国経済の心臓のように見なしていながら、日本企業の買収を阻止する、つまり株式市場の機能を停止する措置を、なにの憚りもなくやってのけるのだ。自分たちに都合の悪い時にはいかようにでもするのである。ルールなどあってなきが如しだ。米国は自国の利益いかんで市場経済と非市場経済を使い分けるご都合主義の国と言える。こうしたずるいやり方はトランプ大統領に限らず、昔から続けられていたことだ。

そうした国のご機嫌をとることに腐心しながら米国に追随しているのが日本なのである。株式も1990年代のバブル崩壊を経験していながら、「貯蓄から投資」というお題目を唱え続け、塗炭の苦しみをすっかり忘れてしまったようだ。米株高に浮かれて、米国のような株式活況が経済を強くするという思いを政権は持ち続けている。

だが、これだけ株式が活況を呈しても、米国経済もそうだが、日本経済もその影響はほとんど現れていない。株式は株式の世界のなかだけの出来事であり、株式の外へと波及しない、そのなかで完結しているといってよい。博打と同じでいくら売買が熱を帯びてもその場が熱くなるだけであり、博打場の外は変わりはしない。

日本株の流通市場が異常であることは売買回転率からも明らかである。2024年の市場合計の売買代金回転率は141.9%と5年連続の上昇となり、2004年以降21年連続の100%超である。1989年のバブルが頂点に達したときでさえ61.1%であり、現状がいかに異様な状態に陥っているかが分かる。世界の株式市場でも流通市場がこれだけ活況なのは他にはないのではないか。

利上げしたとはいえ、政策金利は0.5%、10年物利回りは1.3%であり、株式配当利回りが債券利回りを上回っている。これまでの日銀のゼロ、マイナス金利政策、経済が停滞状態にあったにもかかわらず、株式取引コストを著しく低下させ、日本株に関心を集め、そこに日銀の巨額な株式投信購入が加わった。さらに国の株式優遇税制なども後押し、まさに国を挙げての株式高政策であった。

名目GDPは過去30年間、年率0.53%の超低空飛行であり、現状、日本人人口は年間88万人も減少、出生数は72万人に落ち込んでいることなど、なにかほかの国のことであるかのように、株式ははしゃいでいるのだ。多くの日本人はこれを奇異と感じないのだろうか。

株式も米国に追随しているが、その米株も異常な状況にあるのだ。ハイテク株の値上がりは半端ではない。配当利回りはほぼゼロにちかく、株価収益率は50倍、60倍に上昇しており、これがバブルでなければ、なにがバブルとみなされるのだろうか。米国のような、株式に極端に入れ込む国を目指すならば、所得・資産格差の酷い国になり、経済は今よりもさらに悪化するだろう。

エマニュエル・トッドが指摘するように、アングロサクソンは何百年も前から子供は大きくなれば、家を出ていき、独立した生活を営む。すべては自力で生活を切り拓いていかねばならない。このような生き方は今も継承されている。所得・資産格差も自己責任ということで済まされ、そうしたものだと米国人は納得しているのかもしれない。賃金は能力で評価され、格差は大きいが、それでも受け入れざるを得ないのだ。子供のときからそうした生き方を仕込まれているからだ。

われわれ日本人はアングロサクソンのような独立心はなく、集団主義なのだ。だから年功序列賃金であり、労働組合も企業単位であり、それほど過激な運動もしてこなかった。それをいきなり個人の能力によって決めることになれば、うまくいかなることは当然である。そもそも各人が個性を出すことは評価を落とすことになり兼ねないため、突然、個人に焦点が当てられその能力が大事なのだと言われても、直ちに方針を転換することはできない。評価する側も適当な基準を作り、それに当てはめて賃金を決めることになる。こうした集団から個人への価値転換は企業経営に歪みをもたらすことになった。アングロサクソンの服は日本人にはあわないのである。自分の身体に合った服を作り、着ることで気持ちよく過ごせるのではないか。

米国に経済や株式を合わせていくことは、日本に本来備わっていた長所が失われることになる。年功序列賃金や終身雇用は日本の集団主義に適した制度であったが、バブル崩壊と同時に、こうした制度を壊してきたことが日本経済の停滞に拍車を掛けた。経済よりも政治は一層米国に支配されており、日本は身動きできない状態が続いている。米株のバブル崩壊と心中したくないのであれば、日銀は金利を引き上げ、日本株を今の水準から大幅に下げておく必要がある。

前号で米国では消費性向が高い水準を維持しており、そのことが米国経済の強みだと指摘した。一般的に、経済が成長していくにつれて、消費性向は低下していく。所得が増加しても所得の増加額よりも消費の増加額は少なくなる。こうした消費性向が低下していくことが、需要を減少させ、経済成長を鈍化させる。消費性向が低下しないならば、経済はそれまでとそれほど変わらない成長を保つことができる。

米国の消費性向が低下しなかったのはなぜか。1947年以降の米名目GDPのモノとサービスの生産をみるとGDPに占めるサービスの割合は1947年の38.8%から2009年の63.9%まで右肩上がりなっていることがわかる。2009年の63.9%がピークとなり、幾分低下傾向を示しており、2024年は61.0%である。一方、モノの生産比率は1947年の51.8%から右肩下がりとなり、2009年には28.1%に落ち込み、その後、少し比率は高まり、2024年は30.1%となっている。

こうしたサービス部門が拡大するにしたがって、女性の雇用は増加していった。女性でもできるような仕事が増えていったからだ。1948年の雇用者に占める女性の割合は28%であったが、60年代、70年代は急速に女性が社会進出し、1990年には45%に達した。その後、伸びは緩やかになり、1996年46%、2024年12月47.0%となっている。それでも全雇用の47%が女性雇用でしめられており、大半の女性が仕事についているのだ。

女性が家事全般を担っていれば、労働によって、家事をする時間は取れなくなる。家事を外部に委ねなければ、日々の生活が円滑に進まなくなり、そうした家事労働を提供するサービスが必要になる。モノよりもサービスがより高く伸びていった要因は、サービス部門の労働が女性に適しており、サービス部門に女性が雇用されたことから、衣食住に関わる家事サービスが拡大したからだ。

米国の個人消費支出(PCE)に占めるサービス支出比率は戦後、一貫して上昇している。新型コロナによって一時的に低下したが、2024年には68.5%と2019年のピークにほぼ戻している。こうしたサービス支出の拡大が米国の高い経済成長を持続させている。

一方、日本の家計最終消費支出に占めるサービスの割合は2009年までは上昇していたが、2014年まで低下、その後、持ち直したが、新型コロナによって2020年から3年連続して低下し、2022年には56.2%へと2019年比3.3%pもの大幅な下落となり、消費金額でも2022年は2019年を3.9%も下回っている。2020年のモノの消費は前年より0.7%減の小幅減にとどまり、2023年まで3年連続増であり、サービス消費に比べれば強い。

『家計調査』(勤労者世帯、二人以上の世帯)によれば、消費性向は2014年の75.2%をピークに極端に低下しており、そのため日本経済は消費不況に陥った。2014年の可処分所得は前年比0.5%減少したが、その後は増加に転じ、2018年から2020年までの3年間は前年比4%後半の高い伸びであったが、消費性向は急低下した。2024年の可処分所得は前年比5.6%と1986年以降の統計では最大の伸びとなったが、それでも消費性向は62.2%、前年よりも2.2%p低下した。2014年の消費性向75.2%を13%pも下回るのは異常なことである。それほど消費者の購買意欲は冷えているのである。

2014年4月と2019年10月と短期間に2度も消費税率を引き上げ、そうしたときに新型コロナに襲われたことが消費意欲を極度に萎縮させたのだろう。その後遺症をいまも引きずり、可処分所得が伸びてもそれに比例して消費しようとはしない。こうした消費者心理を改善することは容易ではない。この局面を打開するには長期的に経済が良くなり、賃金も増加基調を辿るという明るい展望に確信が持てなければならない。

 

★次号は休みます。

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