金融政策決定会合は必要か

投稿者 曽我純, 6月17日 午前8:31, 2024年

GDP2次速報によれば、今年第1四半期の実質GDPは前期比0.5%減少した。昨年第4四半期は0.1%、同第3四半期は-0.9%であるから、日本経済は景気後退期にあると判断してよい。特に、消費は不振であり、家計最終消費支出(持家の帰属家賃除く、CH)は-0.9%と昨年第2四半期から4四半期連続のマイナスだ。民間住宅は-2.5%と3四半期連続減、民間企業設備も-0.4%と民間部門は総崩れとなり、民間部門は4四半期連続の前期比減だ。因みに、米国の第1四半期は実質前期比0.3%、2022年第3四半期以降7四半期連続のプラスである。ユーロ圏の第1四半期は0.3%と2四半期ぶりのプラスとなり、日本のような後退に陥ってはいない。

14日、日銀は『当面の金融政策運営について』のなかで、「わが国の景気は、一部に弱めの動きもみられるが、緩やかに回復している」、「個人消費は、・・・底堅く推移している」と判断しているが、GDP統計からはとてもこのようなことは言えない。民間部門が4四半期連続の前期比減でありながら、緩やかに景気は回復していると言えるのだろうか。

2023年度では実質1.2%伸びているが、国内需要の寄与度は0.3%減であり、純輸出が1.5%寄与したことからプラス成長となった。2023年度のCHは前年度比0.8%減少し、新型コロナ以前の水準には回復していないばかりか、10年前の2013年度を4.5%も下回っている。CHが回復しないことには日本経済は立ち直ることはできない。第2四半期のGDPもさしたる変化はなく、個人消費不調の状態は持続し、景気はさらに後退へと進んでいるはずだ。

景気の現状に照らし合わせれば、金融政策は緩和すべきである。景気後退期に引締めれば、景気は一層収縮することになる。だが、ゼロ金利だからこれを続けるしかない。これまでのマイナス金利やべらぼうな国債購入は金融政策を破壊するものであった。経済状態はひとまず棚上げし、こうした無茶苦茶な政策からの正常化を図るのだと宣言することである。だから、景気後退下にありながら、金融調節が幾分引締め気味になることもありうるのだと。

これまでの異常な金融政策を長期間続けたけれども、その効果が具現したのは株式と不動産に限られた。だが、これら2分野だけでは日本経済を動意付けることはできなかった。長期金利が1%を超えることになれば、株式と不動産は打撃を受けるだろう。株式と不動産といったカジノ的経済から実体経済へとシフトさせるためには実体経済に相応しい金利が付けられるべきなのである。金利は物価の安定ではなく実体経済が適切に機能するための役割を果たすことが大事だ。市場経済であれば長期金利は先行きの実体経済の動向を睨みながら決まるのだが、短期金利を極度に低い水準に抑えていれば、長期金利は実体経済よりも過度に低いところで成立することになる。

そのような不都合が起きないように、短期金利も実体経済の動きを注視し、たとえば、向こう10年間の名目GDPが年率いくらで推移するか、といった数値を基に、その水準をいくらか下回る水準に決めなければならない。このような作業はなにも仰々しい金融政策決定会合を年に8回も開いて、決めるべきことではないのだ。日銀や政府などではなく第3者機関でもできる仕事なのである。

2023年度までの20年間の名目GDPは年率0.63%しか成長していない。人口減、少子高齢化等を考慮すれば、向こう20年間はこれまでの成長を下回り、ゼロに近い成長かマイナス成長が予測される。そうであれば、長期金利は1%前後、短期金利は0.5%程度が妥当な水準である。

日銀はいつまでもあやふやな態度を取り続けるのではなく、日本経済の将来の姿を明確に示し、そのためにはしかじかの金融政策を実施しなければならないのだ、との指針を提示すべきだ。

日銀のゼロ、マイナス金利政策は株式や都市部の不動産所有者だけに多大な恩恵を与え、富の集中度を高め、富の不平等を拡大した。一部の人に富や所得が集中することは、米国の例を見るまでもなく、社会情勢が荒み、不健全にすることになる。中央銀行が資本主義の暴走を助長し、所得分配を歪めるような政策を遂行したのでは、その存在を根底から揺るがすことになる。

政府が米国の言いなりになっているが、日銀もFRBに右へ倣えなのだ。だいたい物価の2%目標は日本では達成できない。数十年もできない目標をいつまでも掲げることは馬鹿げている。しかも、過去の物価高は金融要因で起きていない。金融が原因で起きていない現象を金融で対処できるのだろうか。

1990年代半ば以降、ほぼゼロ金利だったが、物価はまったく反応しなかった。この事実をみるだけで、金利操作では物価を調整することは、できないことなのだということがわかるはずだ。だが、日銀は事実を事実と認めず、念仏のように2%を唱えているだけなのだ。それが、日銀の仕事ぶりから窺い知れるのは、社会とは隔絶されたところで暮らしている仙人とでもいえる存在なのだろう。

日本はいつまでたっても惰性で生きているようだ。数十年も目標に到達しなくても、なにのお咎めもない。独立性を盾にそれに固執する。ピラミッド型の超官僚組織だから、上に物申すことはなく、自浄作用はまったく働かない。だから、永遠に2%を唱え続けるのだ。戦争ではないので直接人が犠牲になることはないが、前述したように、日銀の金融政策は富や所得格差の拡大を通して、日本社会を歪にし不安定にするという大問題を孕んでいる。

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