閉塞状態から抜け出せない日本社会

投稿者 曽我純, 5月20日 午前8:57, 2024年

NYダウは終値で初めて4万ドルを超えた。それでも昨年末比の上昇率は6.1%と日経平均株価の15.9%を大幅に下回る。S&P500やナスダック総合はいずれも11.2%の値上がりだが、DAXより伸びは低い。米10年債利回りが上昇すれば下押し、低下すれば上伸する分かりやすい米株相場だ。債券利回りの動向は物価次第だが、4月の米CPIは前年比3.4%と前月より0.1%pの低下にとどまり、昨年下期と同じ伸びとなり、これからもCPIは極めて緩やかな低下にとどまるだろう。そうであれば、政策金利の引き下げ時期もずれ、債券利回りの低下もそれほど期待できないだろう。

CPIの伸びがなかなか低下しないのは、ウエイトの大きい住居(36.159%)が4月、前年比5.5%とCPIの伸びを2.2%p上回り、これだけで約2%pもCPIを引き上げているからだ。住居の前年比伸び率は低下傾向にあるけれども、2%台に下がるにはかなりの時間を要する。例えばリーマンショック以前のピークは2007年1月(4.3%)だが、1.9%に低下したのは2008年12月である。リーマンショックのような金融危機下でも住居の低下には時間が掛かることから、住居が現在の5.5%が2%に低下するにはそれ相当の期間が必要なのだろう。

さらにエネルギー価格(ウエイト6.915%)が上昇しつつあることもCPIの低下を妨げる要因だ。昨年6月には前年比-16.7%まで落ち込んでいたエネルギーはその後、マイナス幅を縮小し、今年3月には2.1%と2023年2月以来13カ月ぶりのプラスになり、4月は2.6%へとさらに上昇した。エネルギー価格とほぼ同じ動きをしている輸入物価も3月、前年比0.4%と昨年1月以来1年2カ月ぶりにプラス転換し、4月は1.1%となり、これからさらに強含みとなれば、CPIへの影響は避けがたい。

このようなCPI低下を妨げる要因を勘案するならば、米10年債利回りは現状からの大幅な低下は望めない。米株は過去最高値を更新しているものの、このレベルからさらに突き進む力はないのではないか。日本株の昨年末からの上昇率が米株よりも高いのは、日本の10年債利回りが、1%を超えない水準に維持されると想定されているからだ。日銀は1%を超える水準は容認しない。容認すれば堅調な株式と不動産が値崩れするからだ。しかも実体経済は景気後退に陥っているため、景気を下支えするためにも債券利回りの1%超は阻止するだろう。

今年第1四半期の日本の実質GDPは前期比-0.5%となり、加えて前期ゼロ、前々期-0.9%の不振を振り返れば、現状、日本経済は景気後退下にあると判断してよい。景気悪化の原因は民間需要が不調なからだ。民需は昨年第2四半期以降4四半期連続の前期比マイナスだ。家計最終消費支出(持家の帰属家賃を除く)の前期比-0.8%を始め、民間住宅-2.5%、民間企業設備-0.8%と民需は軒並み落ち込んだ。これだけ景気が冷えているときに、10年債利回りが1%を超えて上昇することになれば、ますます景気は悪化するだろう。日銀は、こうした危険を冒してまで10年債利回りの上昇を許すような行動は採らないはずだ。

1%以下に日本の10年債利回りが抑えられていれば、米債利回りとの格差は300bp以上が常態化し、円安ドル高は容易に解消しないだろう。輸入物価の上昇は避けられないけれども、輸出増と輸入減により外需は改善、特に、大企業の業績は輸出増に海外での収益、配当、利息などが円安ドル高で膨らむため過去最高益を更新し続けるだろう。収益面や配当利回りの高さなどから日本株の魅力はすぐには薄れないのではないか。

昨年第1四半期の米実質GDは前年比3.0%と前期よりも0.1%p低下したが、2四半期連続の3%超である。同期のユーロ実質GDPは前年比1.0%であり、日本だけが-0.2%とマイナスである。なぜこれほど日本の経済成長率は低いのだろうか。最大の原因はGDP統計に表れているように、賃金が経済成長を促すほど伸びていないからだ。例えば、今年第1四半期の名目GDPは前年比3.4%増加したが、雇用者報酬は2.1%とGDPよりも1.3%p低い。2023年度では名目GDPの前年比5.3%に対して雇用者報酬は1.8%であり、2022年度は双方2.4%だったが、2021年度はGDPの2.7%に対して雇用者報酬は2.1%であった。これだけ喧しく賃金引上げが叫ばれているにもかかわらず、賃金が抑制されていることが、消費することをためらわせているのだ。その一方で、コストカットと輸出増などにより大企業は空前の利益を享受する、というちぐはぐな仕組みが日本経済に組み込まれてしまい、日本社会は閉塞状態に陥ってしまった。

 

 

備前での窯焚きを終えて

話は変わるが、先週まで岡山の備前へ窯焚きに行ってきた。窯は備前焼を焼く小型の穴窯で、約20日間焚いた。窯の構造は現在一般的な連房式登り窯ではなく昔使われていた穴窯。備前市にはその窯址がいくつも残っているが、調査されたのは一部にすぎない。なかでも、伊部駅の南にある12基もある広大な南大窯には圧倒される。大きいのは全長50m超、最大幅5mといったとてつもない代物である。私が手伝って焼いている窯は8mほどだから、体積を比較すれば大人と赤ちゃんくらいの差がある。このばけもののような窯を焚いていた陶工からみれば、あまりにも今の窯は小さく、こんな窯で焼けるのと不思議がられそうだ。

連房式登り窯が備前に登場したのは江戸時代も末の天保で、それまでは穴窯で焼かれていた。穴窯が消滅したことで、古備前のような魅惑的な焼けの備前焼は途絶えてしまった。穴窯で焼き締めることによってのみ得も言われぬ備前焼ができるのである。連房式の部屋がいくつもある窯では炎はまっすぐに進まず、上に下へと移動するあいだに炎の勢いはすぐに痩せてしまい、器物に好ましい炎が当る機会は少ないのである。炎はまっすぐ進むことによって良い炎が作られ、そうした良い炎が当る器物がすばらしい作品になるのだ。

穴窯は斜面の傾斜を利用して、地面を少し掘り、その上にアーチ状の屋根を土でこしらえれば出来上がり。穴窯を作っても耐火煉瓦のような工業製品で窯を作ったのでは、穴窯は能力を十分に発揮できない。土は熱を吸収するが、耐火煉瓦は熱を弾く。窯はあくまでも土で作り、土の窯で土を焼くこと、材質が同じであることが大事なのである。また、穴窯でありながら耐火煉瓦製のりっぱな煙突を付けている場合がほとんどだが、これも不用、なぜ昔の古備前が作り出された煙出しを備えた窯を踏襲しないのか不思議でならない。

穴窯は炎がまっすぐに進むので直炎式とも言われているが、まっすぐ進むだけに最も上質な炎が当るところは限られている。ある一点、あるところといった狭い空間に配置された器物は特別な焼け成りとなるのだが、それ以外のところは焼けの質が低下する傾向がある。しかし、今回の窯焚きの結果はそのような穴窯の弱点を克服し、焚口から煙出しまでのすべての窯の領域で良い焼けのものが出てきた。

穴窯は優れものが焼けるけれども大半は不出来で不効率な窯だという評価が一般的。それに対して、連房式登窯は効率が良い、歩留まりで穴窯に勝っていると言われている。だが、今回の窯焚きの結果をみれば、そのような見方は一蹴される。

焼物は焼くことによって作り出されるものだ。備前焼のように釉薬を掛けずに、土を焼くことで出来上がる、極めてシンプルな焼物では焼くこと、焼き締めることが制作のプロセスで最大の難関であり、注力しなければならない仕事なのである。この焼き締めのプロセスがうまくいくかどうかで、ものの価値が決まる。現在、この焼き締めるという最重要プロセスに真摯に取り組んでいる人がどれだけ備前にいるのかはなはだ疑問。というのは、今の備前焼で焼き締められ、土味が味わえるようなものにはとんと出会わないからだ。備前焼の真髄に迫るのは焼くことのみで可能であり、姿形では到達することはできない。ましてや色彩に走ることなど備前焼からの逸脱であり逃避である。過去を振り返れば、これまでも備前からの逸脱や逃避が試みられたけれども長続きはしなかった。備前焼は備前のすぐれた土を焼き締めることでしか作れないのだ。

備前焼の歴史を学ばず、古い良き備前を見ることもなく、自己流で我が道を進んで備前が作れるほど甘くも簡単でもない。約千年の歴史が備前焼にあるということを肝に据えて置かねばなるまい。千年の歴史は重い、その過程を無視して、かってに備前焼を始めることはできない。そのようなことをすればすぐに行き詰まる。歴史を学ばなければならないのは備前焼だけではなく、あらゆる分野について言えることだ。私の関係する経済学とて現在の流行をいくら追っても、なにも出て来はしない。アイデアやヒントが浮かんでくるのは古典なのだ。現在生存している人の書物や工芸からはほとんど手がかりを掴むことはできない。備前焼の場合は現に鎌倉、室町、安土桃山の優れものが現存しており、それらの名品をお手本にすることによってのみ、備前の創作活動は充実したものになるのだ。

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