1月のCPIは前年比2.2%に低下したが、現金給与総額(毎月勤労統計)は同2.0%、勤労者世帯の世帯主収入(男、家計調査)は同0.0%とCPIの伸び以下である。昨年の春闘の妥結結果によれば、3.99%の賃上げが実現された。だが、これだけ賃金が上昇した指標は、どこにも見当たらない。今春闘の連合による第1回目の集計によれば、5.28%と1991年以来33年ぶりの高い賃上げだそうだ。最終的な集計結果はこれを下回ることになるだろうが、昨年より高くなり、もし5%ほどの引き上げとなれば、世帯主収入は年間20万円超増加するだろう。だが、2023年の世帯主収入(男)は前年比-1.8%と2020年以来3年ぶりのマイナスなのだ。昨年の春闘では4%弱の賃上げが決まったにもかかわらず、あらゆる規模の企業を含む『家計調査』では賃金は減少した。事業規模5人以上の『毎月勤労統計』によれば、2023年の現金給与総額は1.2%増だが、春闘の妥結額には程遠く、2022年よりも0.8%pも低い。今年の春闘では満額回答続出で今年こそは大幅な賃上げを享受できそうだが、本当に物価の伸び以上の賃上げとなるのだろうか。
CPIはすでに2.2%に低下し、生鮮食品を除くは2.0%と日銀の目標に到達している。日銀が金融政策を変更しなくても、CPIは自然に低下している。円安ドル高や資源価格の上昇がいつまでも続くのであれば、CPIも上昇するけれども、円安ドル高や資源高が際限なく続くことはない。こうした要因が一巡すれば、CPIも落ち着くことになる。CPIの鈍化は、金融を引き締めなくても達成されるのだ。事実、日銀がなにもしなくてもCPIは落ち着いてきている。日銀は目標を達成しているので、金融政策は現状維持でよいのではないか。マイナス0.1%のゼロへの変更などで議論することは時間の無駄でしかない。さっさと決めてしまえ、と言いたい。
CPIの上昇に対して、極端に金利を引き上げれば、むしろ自然な自律的な経済の動きに悪影響をおよぼし、経済を弱めることになる。金融政策は病気で言えば対症療法なのだ。病気の原因を突き詰めて、治療を施すのではなく、表面に現れた症状を抑えるために、薬を投与するのと同じことである。そのような対症療法に頼っていれば、本来備わっている免疫力が活躍する場面を失うことになり、弱い体になってしまう。経済も同じであり、変化に対する適応力を弱め、自律的調整機能が働かなくなる。
CPIが上がったと騒いでいるが、最高でも2023年1月の前年比4.3%であり、4%超はたったの2カ月であった。これほどの上昇で物価高だと騒ぎ立てることこそ問題なのだ。ほかに大事なことはいくらでもあるというのに、3%や4%をさも重大事のように取り上げることは、ばかげている。アルゼンチンやトルコの3桁や2桁のインフレでもやり繰りしながら経済は成り立っている。
それも値上がりに寄与しているのは食料であり、1月のCPI上昇率2.2%のうち食料だけで1.56%p引き上げているのだ。これを除けば前年比0.64%なのである。食料の中身をみると菓子類0.21%pと調理食品0.32%pで計0.53%pもCPIに寄与しているのだ。これを除けば、1月のCPIは前年比1.67%となる。菓子類と調理食品は前年比9.0%、7.0%それぞれ値上がりしており高いが、消費者は購入している。値段が高くなれば、そのようなものの消費は抑制され、値段は下がるのだが、なかなかそのようにならない。菓子類や調理食品の購入量を少しでも減らせば、CPIの低下速度は増すのだが、消費志向がそうしたものへの需要減を阻んでいる。本来家庭で作るべき食事を外部に委ね、家庭で料理を作る時間は少なくなっている。家庭がスーパー等から調理食品を購入すれば、購入額はGDPにカウントされるが、自宅で作ればカウントされず、このような外部化によってGDPは嵩上げされている。
「賃金と物価の好循環」が実現可能だろうか。1月の失業率2.4%、有効求人倍率1.27倍とほぼ完全雇用状態であり、人手不足でありながら賃金は売上高の伸び以下に抑えられている。労働の超過需要が持続していながら、賃金がまったくそのことを反映することなく決められているのは、使用者側の力が労働者に比べて圧倒的に強いからである。労働組合といえるものが日本には存在しなくなったことが、使用者側の意志だけで、思いのまま賃金を決めることを許しているのだ。これからも企業が賃金の決定権を握るという図式は変わらず、企業の一存で賃金は決まるのである。
そうであれば、業績が少しでも悪くなれば、賃金はカットされることになる。これまで好業績で過去最高益を出していたが、それでも賃金の大幅な引き上げはできなかった。今になって、やっと5%超の賃上げが実施されるようだが、来年についてはまったくわからない。過去数年のような高収益が続かなければ、来年の賃上げは厳しくなるだろう。
賃金の上昇と同じ率で物価が上がれば、実質では変わらず、これでは賃上げをする意味はない。物価は賃金以下の伸びでなければならず、労働生産性を高めることで物価の上昇を抑えることができるかどうかだ。賃金が上がり、所得が増加すれば消費も増えるのだが、日本の消費行動は増加した所得の一部しか消費に回さない傾向が顕著にみられる。そうであれば賃上げの物価に及ぼす力は決して大きくはない。将来のことを考えれば、家計は追加的な所得の大半を貯蓄しておくのだ。
もの・サービスの価格は需要と供給でだいたい決まる。短期的には需要増は価格を上げるだろうが、長期的には需要が拡大しても供給がそれに応じて生産能力を高めるので、価格は元の低い水準に低下する。賃金が上がって、消費が増加しても、価格が高止まりすることはなく、再び低下するだろう。「賃金と物価の好循環」はそれぞれを決める要因が違い、好循環が起こる根拠は極めてあやふやである。
生産性を上げて、物価の上昇を賃金以下に抑えることができるだろうか。『法人企業統計』の「1人当たり付加価値」(労働生産性=付加価値額÷従業員数)をみると全規模全産業では2022年度までの10年間に10.8%しか増加していない。ピークは2017年度であり、バブルの1989年度と比較しても9.8%上回っているだけである。過去10年間で大企業では26.1%増加しているが、資本金1千万円以下の中小企業では1.1%の微増だ。規模が小さくなるにつれて、労働生産性は低下することが明白にあらわれている。
中小企業では賃金を上げたとしても労働生産性が低いので物価をおさえることはできない。賃金を上げれば物価も上げざるを得ないのである。だが、なかなか値段を上げることは叶わない。特に、大企業と取引しているところでは値引き要請が厳しく、しかも低生産性だから賃上げはできないのである。
従業員一人当たり売上高(全規模全産業)もピークは1990年度であり、2022年度はその88.6%でしかない。2012年度と2022年度では9.0%増加しているが、20年前の2002年度比では同じである。大企業は過去10年間で12.8%増加しているが、ピークは2007年度であり、2022年度はピークを7.1%下回っている。
2022年度までの過去10年間、年率1.0%の労働生産性の伸びでは、大幅な賃上げは一部の大企業に限られる。春闘の結果は日本企業の一握りをあらわすだけで、日本全体の賃金とは掛け離れている。昨年の世帯主収入(前年比-1.8%)がそのことを端的に表している。『法人企業統計』によれば、従業員の給与+賞与は2022年度までの10年間、年率1.02%、過去20年間では0.93%であった。こうした事実に基づけば、これからも給与+賞与の伸びは、せいぜい年1%程度ではないか。