2月22日、日経平均株価は1989年末の過去最高値(38,915.87円)を抜いた。円安ドル高の持続が利益への期待を高め、株価を押し上げている。この強気相場に乗る以外にはないと買い意欲が旺盛だが、期待で上がっているだけに、その期待に少しでも疑念が生じることになれば、相場は終わりになるだろう。先週の一日当たりの売買代金も5兆円前後と超活況を呈しており、株式市場は博打場としてだけ機能しているようだ。本来、株式はプライマリー、つまり資金調達の場だった。それが今日ではセカンダリーが主力になってしまった。流通市場が本流になったことは、博打場だということなのだ。
日銀のマイナス金利によって、10年債利回りは1%未満の超低水準に釘付けされているため株式配当利回りが債券利回りを上回る状態が続き、こうした株式の優位性が株式に資金を引き付けている。その意味では、今の相場はバブルではないともいえるだろう。だが、金融政策で異常な利回りが実現されていることを忘れてはならない。貨幣の最大の特徴である「自己利子率」を消してしまう金融政策の元で成立している特殊な債券利回りなのである。通常のプラス金利に戻れば、債券利回りも上昇し、株式の魅力は失せるだろう。1%未満の債券利回りが正常化されそうだとの見方が広まれば、株式は一気に値を消すことになる。例えば、昨年11月、債券利回りが1%に接近した時には、株式も下押しを余儀なくされたことを思い出すべきだ。だが、景気後退局面で日銀がマイナスからプラス金利に政策を変更するとは考えられない。現状を変えないのであれば、円安ドル高傾向がじわじわ進み、それによって株式も買われるだろう。
日本は34年掛かってやっと最高値を更新したが、同期間NYダウは14倍、ナスダック総合34倍、DAX30 9.5倍、FT100 3.1倍である。ところが、1955年から1989年までの34年間の上昇率は日経平均株価が91倍とダントツであり、NYダウ5.6倍、FT工業株指数9.5倍、コメルツバンク指数9.7倍にすぎない。いかに日本株が1980年代後半に暴騰したかがわかる。1955年末から2024年2月23日までの68年間では日経平均株価91.8倍、NYダウ80.1倍、S&P500 111.8倍であり、日経平均株価がNYダウを上回っている。
1980年代後半の日本株の異常な高騰はなぜ起こったのか。5年間の日経平均株価の上昇率をみると1979年までは1.72倍、1984年までは1.75倍、ところが1989年までの5年間は3.37倍とそれまでの約2倍も急騰しているのだ。
当期純利益(資本金10億円以上の大企業)は1979年度までの5年間で1.88倍、1984年度までは1.47倍、1989年度までは1.80倍と株価が3.37倍になるほど当期純利益は拡大していない。同様に、5年間の名目GDPの伸びを求めてみても、1979年までの1.65倍、1984年まで1.35倍、1989年までは1.33倍と伸び率は低下している。1979年までの10年間は3.56倍だったが、1989年までは1.8倍となり、成長率は半減していることがわかる。年率では1979年までは13.53%だったが、1989年までは6.08%に落ちているのだ。このような経済成長率の大幅な鈍化にもかかわらず、株式は舞い上がって行った。
株式の大相場をもたらした最大の要因は金融政策だった。1985年9月22日のプラザ合意は、日本の対米黒字削減のための合意である。対米輸出を減らすため円高ドル安に誘導することが要請され、金利でそれを実行するよう仕向けられた。素直に政府と日銀はそれに従い、1986年1月、大蔵省出身の澄田智日銀総裁(1984年12月17日~1989年12月16日)は公定歩合を5.0%から4.5%に引き下げ、さらに3月、4月、11月と合計4回の利下げで、公定歩合は3.0%と戦後最低を更新した。日銀と政府は米国の理不尽な要求に応えたのである。1987年、5回目の利下げが行われ、公定歩合は2.5%という実体経済から大きく乖離した超低水準に誘導された。しかもこの超低金利は1989年4月まで2年3カ月も据え置かれたのだ。
CPIは落ち着いていたとは言え、名目GDPが年率6%で成長していたときに、公定歩合が2.5%まで引き下げられ、それにつれて10年債利回りも1987年4月には3%まで低下した。経済成長率が金利を大幅に上回れば、貨幣コストは割安となり、資金需要は旺盛になるだろう。特に、金利に敏感な株式や不動産に資金は流入していくことになる。株式や不動産のコストは金利の占める割合が高いため、金利が下がれば下がるほど、資金は流動性が実物資産に比べてはるかに高い株式や不動産に向かうのである。
1989年4月に消費税が導入され、同月CPIは前年比2.4%と前月よりも1.3%p上昇した。株式はすでに急騰、六大都市商業地の地価は1987年9月、前年比46.8%も暴騰していた。このように株式、不動産が異常な熱気を帯びていたにもかかわらず、日銀は1989年4月まで公定歩合を2.5%に据え置いていたのだ。やっと消費税導入の翌月の5月、3.25%と75bpの大幅な利上げを実施した。その後、10月、12月にも実施され1989年末には4.25%と8カ月間に175bpも利上げした。そして翌年3月にはさらに一気に100bpも引き上げ5.25%と1983年9月以来の高水準となった。公定歩合の急激な引き上げにともない、10年債利回りも1989年4月の5.09%から1990年3月には7.35%に上昇し、資金コストは様変わりした。これほど金利が上昇すれば、とても株式や不動産で値上がり益を得ることは期待できず、資金は流動性を求め、株式や不動産の売却に一斉に走った。
過去を振り返ってみれば、バブルの発生と消滅は、金融政策が惹き起こしたものだということがわかる。実体経済に比べて、金利が低いか高いかで、資金は実体経済へあるいは金融経済へと流れを変える。バブル発生は実体経済に比較して金利が著しく低いときに起こり、金利が実体経済よりも高ければ、膨れたバルブは破裂することになる。
現状はどうであろうか。2023年までの10年間の名目GDPは年率1.51%だった。ただ、2023年のデフレーターが前年比5.7%も上昇したため、成長率は高目にでた。2022年までの10年間では年率1.12%であり、予想を上回る人口減と超高齢化等、先行きの社会の仕組みを考慮すれば、名目GDPは年率1%前後にとどまるのではないか。そうだとすれば、10年債利回りも1%前後で推移するだろう。債券利回りが1%を下回るあたりにとどまるならば、バブルが進行しやすくなり、1%を超えて2%に近づけば、バブルに衝撃を与えることになるだろう。
株式価値を決める当期純利益はどうなるだろうか。2022年度までの10年間、当期純利益年率14.65%で拡大した。売上高は年率1.14%しか伸びていないが、当期純利益は2桁増だった。営業利益も年率6.27%であり、当期純利益の半分にも満たない伸びである。原価を抑え、営業外利益拡大の結果なのだ。このような当期純利益捻出の仕組みが、これからも機能するだろうか。売上高の伸び悩みは、今後さらに深刻になるだろう。原価を抑制する以外に営業利益を伸ばす方法はない。そのような方法を取れば、ますます売上高は低迷することになる。原価を極力抑えるという方法に永続性はなく、いつかは壁にぶち当たる。円安ドル高も気まぐれであり、これも先を見通すことは難しい。為替や利益に直接影響し、その動向を左右するのは金融政策なのである。
1985年、日銀は米国のベーカー財務長官の言いなりになり、実体経済から逸脱した低金利政策を推し進めた結果、株式・不動産バブルを発生させ、その後の暴落は日本経済に瀕死の重傷を負わせた。そして、今また、その轍を踏んでいる。今の日本経済は1980年代後半のバブル当時とは似ても似つかないまったく衰退し老齢化した経済である。そこへ、株式と不動産が逆回転を始めることになれば、経済状態はバブル崩壊後の何倍もの衝撃を受けることになるだろう。現状の金融政策を続けていけば株式・不動産はさらに膨らみ、ますます手に負えなくなる。リスクの芽は、できるだけ早目に取り除くことが定石なのだが、日銀はいかなる選択をするのだろうか。