中央銀行の時代遅れの目標

投稿者 曽我純, 12月4日 午前8:38, 2023年

米10年債利回りは先週末、4.19%へと急低下し、今年8月末以来約3カ月ぶりの低い水準だ。週間で27bp低下し、これにつられてドイツやイギリスの利回りも同様に急落したが、日本だけは7bpの低下にとどまった。米債券利回りの急低下によって、円ドル相場は週間、1.8%の円高となり、今年9月11日以来約3カ月ぶりの円高ドル安だ。また、債券利回りの低下に伴って、NYダウは2.4%もの大幅高、これで5週連続高となり、過去最高値に187ドルのところまで接近してきた。

米利回りの急低下は、最近発表の統計が、物価が着実に安定化に向かっていることを裏付けたことに加えて、パウエルFRB議長が週末、スペルマン大学で行った講演で今の金融状態(引締め過ぎでもなく緩めすぎでもない)のリスクが「より均衡している」と述べたことが、相場高騰に拍車を掛けた。米債券相場は来年前半までの利下げをほぼ織り込んだと言える。さらに米債が買われるには、さらなる物価低下を示すような指標が公表される必要がある。

米国の物価は経済に好ましい環境を作り出している。10月の個人消費支出物価指数(PCEP)は前月比横ばい、前年比3.0%となり、前年比は2021年3月以来2年7カ月ぶりの低い伸びである。適度に物価が上昇すれば、供給側の売上高は伸びるし、需要側は買いを刺激され、負債は減価するが、資産は増価する。こうした経済状況であれば消費や生産はより円滑になり、経済は成長していくはずだ。

金融政策は物価の動向を見ながら決めるので、利上げはすでに物価が底打ちし、ある程度上がってからであり、利下げは物価がピークアウトして下落してからなのだ。だから、政策金利の上げ下げが物価に影響しているかどうかははっきりしない。

今回の物価高の原因はパンデミックによる経済攪乱であり、この経済攪乱が収まれば、自然に物価高も収まるのである。それを殊更、金利で鎮めることができるのだ、という考えは実態を理解していないと言える。経済が好調で過熱しているのであれば、冷まさなければならないが、経済はまったく過熱状態ではなく、雇用のミスマッチ等で物価の上昇が起きていたのである。FRBがゼロから0.25%に利上げしたのは2022年3月だが、その時すでにPCEPは前年比6.9%に上昇していた。その3カ月後の同6月、前年比7.1%でピークアウトしたのである。

物価は上がり続けるのではなく、今回のように突発的な原因による上昇であれば、ピークまでの期間は短く、その後の反落の速度も速いということになる。他に何か物価引き上げの要因があらわれなければ、そのまま低下傾向を辿り、1、2%の水準に落ち着くであろう。金利と物価とはほとんど関係がないのだ。そもそも今回の物価高は貨幣・金融が原因で起きたわけではないので、攪乱は一時的でしかなく、自然に落ち着くのである。FRBの金利操作は物価変動に遅れて、それをなぞるだけなのである。

今年9月のFOMC経済予測によれば、2023年の実質GDPは1.9~2.2%、失業率3.7~3.9%、PCEP3.2~3.4%、PCEPコア3.6~3.9%(いずれも第4四半期、前年比(失業率除く))である。現状、これに当てはまっているのは失業率だけであり、第3四半期の実質GDPは前年比3.0%、PCEPとコアは3.0%、3.5%と予測から外れている。大幅な利上げしたが、実質GDPは2022年第4四半期の0.7%を底に3四半期連続して勢いを増している。今年第3四半期までの過去10年間の実質GDPの伸びは年率2.34%であり、2四半期連続でこれを上回っている。

FRBが利上げした2022年第1四半期の実質GDPは前年比3.6%と3四半期連続で低下していた。2023年第3四半期に、FFレートを5.25%まで引き上げたが、利上げに反して、実質GDPの伸びは拡大している。10月の失業率は3.9%と予測内だが歴史的低水準にあり、PCEPとコアは予測の下限以下に低下しており、実体経済は政策金利とは無関係に動いているようだ。

10月の米可処分所得は前年比7.0%と引き続き高い伸びであり、これが米国経済の原動力になっている。日本はどうであろうか。総務省の『家計調査』によれば、日本の勤労者世帯(二人以上の世帯)の可処分所得は9月、前年比1.3%減と5カ月連続のマイナスなのである。なぜこれほどのプラスとマイナスの正反対の結果が生まれてくるのだろうか。ひとつ言えるのは、日本企業は先行きに自信がないのだ。過去10年ほど巨額の利益を出しているが、売上原価の圧縮によって捻りだしたのであり、売上高を伸ばして出した利益ではないからだ。売上原価圧縮の手っ取り早い方法は人件費の抑制である。2023年度第2四半期までの過去20年間の大企業(資本金10億円以上)の売上高は年率0.78%だが、売上原価と販管費は0.69%、0.54%といずれも売上高の伸びよりも低い。従業員の給与プラス賞与は同0.55%しか増加しておらず、売上原価の圧縮に寄与していることは間違いない。

こうした過去20年間、売上高が伸びているのか伸びていないのか、わからないほどの低空飛行を前提にすれば、これから先、売上高はさらに低迷すると考えるのも無理はない。年間80万人超の人口減と超高齢化の進展を目の当たりにすれば、売上高がプラスになるこが難しいことは疑問の余地はない。こうした環境のなかで利益を確保するには売上原価と販管費を削るコストカット以外に利益を生み出す方法はない。そのためには給与をそうそう上げるわけにはいかないのである。給与は売上高の伸び以下に抑えざるを得ないのだ。いくら政府が企業の尻を叩いても、給与は上がらない。

可処分所得が前年比7.0%も伸びていれば、米国のPCE(個人消費支出)は自然に伸びる。PCEが伸びれば、それがGDPの7割弱を占めているので、GDPも伸びると言うわけだ。10月のPCEは前年比5.3%増加しており、実質でも2.3%伸びており、今年第4四半期の実質GDPも前年比2.5%前後の成長になるだろう。

金融政策によって、PCEが変動するかといえば、ほとんどしない。金利が下がれば住宅や耐久消費財などは上向くけれども、意外にその影響は小さい。大半のものやサービスは金利が下がったといってそれらをより多く買うことはないのだ。やはりPCEの決め手は現在と将来の可処分所得なのである。PCEが落ち込んだのは、ITバブルの崩壊、サブプライムによる不動産融資の破綻、パンデミックなどの今までに経験のない先行きへの不安に襲われたときなのである。そうした不安は利下げによっては払拭することができず、節約に走ることになる。実際に、所得減や解雇に直面すればより深刻になり、利下げは、なにの役にも立たない。ただ、いつまでも景気が悪く、解雇の嵐が吹き荒れるわけではない。心理的不安も徐々に薄れて行き、正常な精神状態に戻り、ふたたび消費も回復していくのである。

消費には心理的な影響が表れやすく、楽観と悲観の間を往き来することになる。人間は景気が好調なときは、さらにその先を追い求め、最終的には行き過ぎてしまうものである。こうした人間の習性は変わらず、いつの時代になってもバブルが発生するのだ。金利操作でこの経済バブルを止めることはできない。

株式のような金融経済には金融操作は効果を発揮するだろうが、最近では常に、何かのときにはFRBが助けてくれるという暗黙の了解があるかのように、米株式は過去最高値に近づいている。

これまでしつこく言ってきたが、金融政策は実体経済には効かないが、金融経済には効くのである。中央銀行は「雇用拡大と物価安定」に拘っているけれども、そうした標語はとっくに時代遅れとなってしまった。中央銀行の最大の役割は、「雇用拡大と物価安定」ではなく、株式や債券などの金融経済の過度の変動を防ぐことなのだ。

ゼロ金利といった貨幣の特徴を消してしまう暴挙にでたことが、金融経済を舞い上がらせ、米株式をバブル状態に引き上げた。株式時価総額は巨額だが、それは架空の世界なのである。ほんの一部の株式を売るだけで時価総額は激減することになるからだ。マネーゲームがいくら活況になろうが、単に株式の持ち手が代わるだけであり、新たな価値を付け加えることはない。マネーゲームに熱中する人が増えるほど、実体経済は細っていくことになる。

曽我 純

そが じゅん
1949年、岡山県生まれ。
国学院大学大学院経済学研究科博士課程終了。
87年以降証券会社で経済・企業調査に従事。
「30年代の米資産減価と経済の長期停滞」、「景気に反応しない日本株」(『人間の経済』掲載)など多数