米物価高騰の最大の要因は貨幣ではなく戦争

投稿者 曽我純, 10月23日 午前8:39, 2023年

9月の米消費者物価指数(CPI)は前年比3.7%と前月と変わらなかった。ただ、ウエイトの大きい住居の寄与度が2.5%pあり、これを除けば1.2%である。住居のうち持家の帰属家賃だけで1.8%p引き上げており、これを除外すれば1.9%となり、米国の物価は実質的には落ち着いているのである。こうした物価情勢であるにもかかわらず、依然、物価上昇懸念が燻ぶり続け、何かにつけ、相場の材料にされている。特に、債券利回りは前週比30bpも上昇し、一時、10年債利回りは5.0%を超える場面もあった。これほど米債券利回りは上昇したが、対ドルで円は前週比29銭の円安にとどまり、ユーロやポンドは値上がりした。米債券利回りはピークに近いとみているからではないか。

米労働省は1913年以降のCPIデータを公表している。110年分の月次のCPIを分析すると変動が激しかったのは、まず第1次世界大戦後であり、次が1929年の株式大暴落に端を発した大恐慌デフレ、3番目は第2次世界大戦に突入以降と戦後の物価高騰、第4に1973年の第1次石油危機、第5は1979年の第2次石油危機であり、この時のインフレのピークは14.8%(1980年3月)。第6の変動は、リーマンショック後の軽いデフレであり、物価高は起こらなかった。第7番目は今回の物価高である。新型コロナによる大量解雇と雇用拡大が賃金の大幅な上昇をもたらし、さらにロシアとウクライナの戦争が資源高を誘発、物価を引き上げた。だが、6番目と7番目のCPI変動幅は10%未満であり、5番目までの2桁変動に比べれば緩やかだと言える。

いずれにせよ、物価の大きな変動は経済の需給要因に起因しておらず、もっぱら経済外要因によって引き起こされたのである。戦争による特需とその反動減、株式暴落による経済収縮、原油価格の大幅な引き上げ、サブプライムローン組み入れ証券化商品の不良資産化、新型コロナ発生等により物価は変動した。大まかに言えば、戦争、原油、投機に分類され、過去110年の間にはウイルスによる物価高は今回が初めてであった(第1次大戦の特需とその後の生産回復の遅れにより、米CPIは1920年までの4年半、高インフレが続いた。そこに1918年に発症したスペイン風邪の影響が加わったのか、つまびらかでない)。

ウイルスと戦争が今回の物価高の原因であり、そこに貨幣や金利を見つけることはできない。貨幣や金利が物価を変動させたのではなく、ウイルスと戦争が物価に影響したのだから、ウイルスの力が弱くなり、戦争が終われば物価は落ち着くことになる。貨幣量や金利を操作しても、それらが物価高の原因ではないので、効くはずがない。

戦争がはじまり特需が発生すれば、超過需要状態となり、物価は上がる。生産設備が需要に追いつくまでは、物価は上がり続けるだろう。特需の水準に引き上げられた生産設備は、戦争の終結とともに、一転、超過供給に陥り、物価は下落する。生産設備が適正水準に削減されるまで物価は下落するだろう。

1929年10月24日の株式暴落を機に大不況に突入したのだが、その前から米国経済はデフレ経済であった。CPIは1926年7月から前年割れとなり、一時的にプラスの月もあったが、米国経済は長期デフレ状態に陥っていた。株式暴落後、CPIのマイナス幅は拡大し、1932年はほぼ10%超の2桁のマイナスであった。デフレはバランスシートの資産の不良化と負債の負担増を発生させる。バランスシートの著しい毀損は短期間で修復できず、いつまでも経済を痛めつけていた。第2大戦がはじまる前の約2年、CPIは前年を下回り、本格的に物価が上昇したのは戦争が激しさを増した1941年央以降である。

FRBの公定歩合は1929年、5.21%(年平均、以下同じ)であったが、1930年3.00%に引き下げ、1934年1.54%、1938年には1.00%に利下げし、1947年まで1.00%を継続した。これだけ利下げし、1.00%の超低金利を続けたにもかかわらず、デフレ経済から抜け出すことができなかった現実を直視するならば、金利操作では物価の下落を止めることはできないと断言できるのではないか。

3カ月物米財務省証券の金利は1929年の4.42%(年平均)から1932年には0.88%と1%を割り込み、この状態は1947年まで続いた。だが、債券利回りは1929年の3.60%(年平均)から1935年に2.79%に低下したが、2%台は1940年まで続き、1941年に1.95%と初めて2%を下回った。公定歩合は1%に引き下げられていたが、長期金利はそれを1%p程度上回る状態を維持していた。

第2次大戦後も米国は朝鮮戦争(1950年6月~1953年7月)をはじめ、ベトナム戦争(1960年12月~1975年4月)、イラク湾岸戦争(1991年1月~4月)、アフガニスタン紛争(2001年10月~2021年8月)、イラク戦争(2003年3月~2010年8月)と切れ目なくアジアと中近東で戦争に深入りしていった。米国経済は戦争を抜きにしては成り立たないのである。

第2次大戦後の1946年、欧州や日本の復興需要に伴い米CPIは1946年央から上げ足を速めインフレは1948年まで続いたが、1949年5月からはマイナスとなり、プラスに転じたのは朝鮮戦争開戦後の1950年7月であった。しかし、朝鮮戦争が終わる前から物価上昇力は弱まり、戦争後の1954年、1955年にはマイナスがみられるなど、米国経済の活動は衰えていた。

1960年代の米国経済は黄金時代と呼ばれているが、ベトナム戦争が1960年12月に始まっており、この長期間継続したベトナム戦争が、米軍需産業を勢い付け、その影響力が経済全体を行き渡っていったことが、1960年代の好景気をもたらした原因のひとつであることは間違いない。

世界のどこかで戦争や紛争が起こり、米国が参戦すること、ないしは間接的に影響力を行使することが米国経済にとっては不可欠なのだ。戦争に関わる膨大な軍需品の需要が生まれ、しかも短期間で消耗してしまい、戦争期間中、需要が衰えることはない。世界1の軍需産業を抱えている米国にとっては、戦争は軍需産業を維持し、米国経済を維持するために必要なのである。

巨大な軍需産業があるということは、戦争を前提とした経済であると言える。戦争に直接関わる、あるいはウクライナのように間接的に軍事支援ができる立場を保つことが、米国経済にとっては極めて大事なことなのである。戦争がなく平時の状態が続けば、経済が機能しないメカニズムが米国経済には組み込まれているのだ。因みに、1929年の米名目GDPを1とすれば2022年は246.1だが、2022年の軍事支出は844となり、名目GDPをはるかに上回っている。2022年の軍事支出・名目GDP比率は3.61%、支出額は9,284億ドルである。

米国で物価が激しく変動したのは、戦争や原油高の突発的な事件が発生したときにのみ起こっており、それ以外の平時のときには安定していた。貨幣や金利が原因で、物価の上昇や下落は起こらないのだ。1913年9月から2023年9月までの110年間の米CPIは年率3.16%であった。1993年9月から2023年9月までの30年間では2.53%に低下しており、金利を動かさなくても、自然に2%や3%程度に落ち着くことが、長期のCPI統計は示している。政策金利はそうした長期のCPIの伸びに見合った水準から大きく外れないようにすべきだ。一方、2022年までの過去29年間の名目GDPは年率4.66%であることから、長期金利はこの4.66%前後が実体経済に相応しい水準なのである。今、10年債利回りはこの水準を超えているので、売られすぎだと言える。今は、流動性を手放し、米債を購入する時期なのだ。

1995年頃から2020年までの期間のCPIコアは前年比0.6%~3.0%の範囲に収まっていた。同期間、政策金利のFFレートはゼロ~6.0%とCPIコアの変動幅を超えていた。ゼロ金利を続けても、CPIコアは2.6%までしか上がらないのだ。この間の政策金利とCPIコアの動きをみると、これだけでもCPIコアは政策金利とは関係ないことが明らかである。

2008年12月にFRBはFFレートをゼロにし、2015年11月まで約7年間ゼロ金利を継続した。その間、NYダウは2.09倍に急騰、年率では11.1%の2桁増であった。一方、同期間の名目GDPは年率3.1%にとどまり、CPIは年率1.69%と上がるどころか、一層の落ち着きをみせた。2008年12月までのゼロ金利ではなかった7年間のCPIは年率2.51%であり、政策金利が高い時のほうが、物価上昇率は高かったのである。

政策金利に反応したのはCPIではなく、株式、債券、商品相場などの金融商品なのである。金融商品は売買コストに占める金利の割合が高く、金利の変動を最も受けるからである。金利が低くなればなるほど金融商品の売買は活発になるのは当然のことである。利下げと金融商品の高騰は常に結び付いており、金融政策は金融業者のために実行されるのだと言ってもよい。

 

★次号は休みます。

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