3月の日本のCPI総合は前年比3.2%、前月よりも0.1%ポイント(p)低下した。生鮮食品を除くは3.1%の横ばい、さらにエネルギーを除くコアは3.8%と前月よりも0.3%p高くなった。3月の米CPIとユーロ圏HICPは前年比5.0%、6.9%それぞれ上昇しているが、日本はそれらを大幅に下回っている。国の電気・ガス支援が1%p引き下げており、これを除けば4.2%になる。最もCPIを引き上げているのは生鮮食品を除く食料(非生鮮食料)であり、これが3月、前年比8.2%と依然上昇を続けているからだ。他方、生鮮食品は5.4%と昨年5月の12.3%をピークに低下してきている。非生鮮食料のウエイトは22.3%と高く、これだけでCPIを1.82%p引き上げているため、非生鮮食料の価格動向がCPIの鍵を握っているのだ。だが、これから昨年の上昇のピーク月に対応するため非生鮮食料も低下していくだろう。
それにしても、スーパーなどは食品売場の加工・調理食品陳列のスペース拡大を図っており、非生鮮食料で売上を伸ばしていく方針のようだ。世帯人員が減少し、一人世帯や高齢者世帯の増加から家庭で使う食材よりも、出来合いものを購入する割合が高くなってきている。ただ、夕方、スーパーの調理食品コーナーに行くと、値引きのシールが貼られているパックがたくさん並んでいる。総菜など翌日に回せないものは当日に売り切らなければならず、余りそうになれば、値引きせざるを得ない。残り物を出さないためには、需要に供給を合わせなければならないのだが、これがなかなか難しく、どうしても供給過剰となり、廃棄物が出てしまう。農林水産省によれば、2020年度の食品ロスは522万トン、FAOによると、世界では食料生産量の3分の1に当たる約13億トンの食糧が廃棄されている。家庭で調理するよりも、企業が予測しながら調理食品を作るほうが、無駄が発生しやすくなる。これだけ食品ロスが発生していることは、供給を需要に近づけるならば、無駄な廃棄を減らすことになり、食品の原材料の削減が可能となり、価格を抑えることができる。
過去の物価高の局面は必ず外的な要因が絡んでおり、需要が供給を超過することによる物価高は先進国ではほとんど起こっていない。今回の物価高も新型コロナとロシアの侵攻によるものだが、前者は出尽くし、後者についてもさらに物価上昇をもたらすとは考えにくく、物価は沈静化に向かっていくだろう。
日本のCPIの1970年から2022年の52年間の上昇は年率2.32%であった。2回のオイルショックと消費税の導入、その引き上げがあったが、それでも2.32%なのである。期間を短くし、例えば1980年から2022年までの42年間では年率0.8%、さらに2000年から2022年の22年間では0.25%に低下する。このような長期のCPIに目を配るならば、日本の物価には、何の不安もなかったと頷けるのである。今までこれほど日本の物価が安定しているにもかかわらず、日銀は2%の物価目標を掲げ、頑なに固執する。なにを根拠に2%という数値を引っ張り出してきたのだろうか。これからまた石油危機とかそのような外的衝撃が起こることを想定しているのだろうか。そのようなことでも起こらない限り、将来を見据えた場合、日本のCPIが2%に達するとの予測は妄想でしかない。
米国の1947年から2022年までの75年間のCPIは年率3.45%だが、2000年から2022年までの22年間では2.72%低下する。だから、FRBは2%の物価目標を掲げているのだ。日本のCPIは2022年までの22年間、年率0.25%と米国とは比較にならないほど低いが、この違いは経済成長から説明できる。2000年から2022年の22年間の日本の名目GDPは年率0.17%であり、辛うじてプラスだった。片や、米国は同期間、年率4.22%もの高い成長を遂げており、これだけの成長力が物価を引き上げているのである。過去22年間の成長率が0.17%とやっと前年を上回るたどたどしい経済では、物価は上がるはずがない。米国のように4.22%の高成長の活発な経済では自然に物価は上昇することになる。
毎年同じような消費と生産が繰り返されている日本のような経済では、需要と供給にそれほどの変化はない。価格は需要と供給でほぼ決まるのだから、需要と供給に変化がなければ価格は変化しない。モノやサービスの需要と供給が一定であれば、お金の流れも一定となる。たとえ調理食品の需要が増加してもその他の食品の需要が減少し、食品全体ではそれほどの変化がなければ、お金にも変化はない。スマホなどの新製品が発売され、大いに売れたけれども、新聞や書籍類の販売が減少すれば、総需要は前と変わらないことになり、必要なお金も増加しないことになる。
過去22年間の家計最終消費支出(持家の帰属家賃を除く)は年率0.23%とGDPをやや上回っているが、最終消費がこれだけ弱いことは、供給は需要を常に超過する状態にあったのだ。供給超過額がそれほど大きくなくても物価は低下圧力に曝されていた。日本のCPIの上昇率が欧米に比べて低いのは、こうした供給超過状態が慢性化しているからだ。値段が上がったからと言って、必需品である食品だけは需要を削減することが容易でなく、値上げが浸透しやすい。
『家計調査』(二人以上の世帯のうち勤労者世帯、一世帯当たりの1カ月の収入と支出)によると、2000年から2022年までの22年間の実収入は年率0.42%だったが、消費支出はマイナス0.29%だった。直接税や社会保険料などの非消費支出が1.27%も増加したため、消費支出を削らなければ、可処分所得を年率0.24%で増やすことができなかった。消費支出と非消費支出の合計額は2022年・2000年比、1.65%の微増にとどまった。このように直接税や社会保険料の負担増によって、勤労者世帯は消費支出を削減し、こうした行動が供給超過状態を作り出したのである。これでは物価は上がるはずがない。
これから先、22年間も、実収入が過去22年並みの微増にとどまり、非消費支出も同じように拡大していくならば、消費支出は厳しく抑制されるだろう。おそらく消費支出は過去22年間とそれほど変わらず、供給超過は解消されることはなく、物価の伸びはゼロ前後で推移すると考えられる。
金融政策で物価を上げることはできない。すでに10年以上の長期にわたり、大規模緩和を推進してきたが、物価にはなにの変化も起こらなかった。金融政策で需要を刺激することはできないからだ。大規模緩和を続けて金融機関にお金を供給しても、そのお金は日銀に還流、その資金で金融機関の国債を購入するというプロセスを繰り返すだけで、非金融部門にはお金は流れない。それは最終消費が増加しないから、今あるお金以上にお金の需要が発生しないからだ。
2022年末の日銀券発残高は125兆円、2022年第4四半期の名目GDPの22.3%である。2000年の同比率は11.4%であり、バブル頂点の1989年は8.0%であった。GDPから判断すれば市中に流通している日銀券は、バブル期をはるかに上回っていることになる。それだけ日銀券が本当に市中に溢れているのであれば、物価が上がっても少しも不思議ではない。ところが今は外的要因で上がっているが、それ以前はほとんど上がることはなかった。日銀券と物価には、なにの関係も見出すことはできない。なぜ対GDPで日銀券が潤沢になっても実体経済や物価に影響を及ぼすことができなかったのか。これだけ多くの日銀券はどこに消えてしまったのだろうか。これは日銀当座預金の急増が実体経済にまったく無関係であったことと瓜二つなのである。つまり、需要不足のために日銀券も日銀当座預金も、ともに金融機関保有の国債や上場投信の購入に使われ、非金融部門には流れて行かなかったのである。だから、これほど多く発行された日銀券は、市中には全く姿をみせることはなかったのだ。
肝心かなめの最終消費が動かなければ、お金の需要は出てこないのである。大規模金融緩和と騒いでいるだけで、日銀と金融機関のなかでのみお金は動いている。実体経済にはなにの変化もないのだが、大規模緩和という触れ込みと期待だけで株式は値上がりの契機を掴んだ。こうしたデマとも言えるような大規模緩和は日本だけでなく、米国、欧州も巻き込み金融市場にだけ威力を発揮してきた。素人だけでなく玄人もだまし続けてきた大規模緩和の化けの皮を剝がさなければならない。これだけITとかAIが出現しても、金融の世界は、天動説の時代とほとんど変わっていないのである。
★先週、岡山へ墓参りに行ってきた。ついでに、昔、よく世話になっていた魚屋に立ち寄った。もう10年近く、寄っていなかったので、主人は引退しているのでは、と思いながら店に入ったら、なんとまだ現役で包丁を握っていた。ちょうど昼頃だったので、店主は持ち場で、昼飯をビールとともに美味そうに食らっていた。持ち場の横には1m以上もある締めた鱧が並んでいた。店主にとしを聞くと89歳になったと。あのでかい鱧や鰆、鱸、鯛を下すのは並大抵のことではないのだが、89歳でまだやってのけるとは感服。祭り寿し、焼き穴子、焼き鱧を求め、ひさしぶりに瀬戸内海の美味い魚に舌鼓を打った。