黒田日銀総裁が8日付で退任した。7日の記者会見で、大規模な金融緩和をやってきたことは正しく、大規模緩和がなければ、経済は現状のような姿にはならなかっただろう、という発言が目立った。2%の物価目標にどのような根拠があり、この目標を達成することで日本経済はどのようになるのか、といった根本的問題は最後まで聞くことはできなかった。
日本の総人口は2008年をピークに減少しており、少子高齢化も進行していながら、物価を2%まで引き上げることに何の疑問も抱いていない。総裁就任以前の2012年までの10年間、CPIは年率-0.45%であり、GDPデフレーターは年率-1.12%も下落していた。実質GDPは0.66%とやっと浮上している不安定な状態にあった。2012年までの過去18年間の名目GDPは年率-0.11%であり、すでに日本経済は定常状態に入っていた。経済状態からして、CPIが前年比ゼロ付近で推移するのは何ら不思議なことではない。
2%に拘る理由などどこにもないのである。欧米に右に倣えで、自主的に決めたわけではない。日本経済の成長率がゼロに近い安定している状態で、物価だけが2%も上がることは不自然である。毎日、つつがなく暮らし、体調になにの不都合も生じていないときに、体温だけ上げるならば、体調は悪くなるだろう。それと同じように、ゼロ成長下で物価だけを上げることはできないし、そのようなことを無理やり行えば、かならず経済を歪めたり、副作用で苦しむことになる。
今年3月末の日銀のバランスシート(BS)の総資産は734.8兆円、10年前の164.3兆円との比較では4.47倍である。国債は125.3兆円から581.7兆円、ETFは1.5兆円から37.0兆円、貸付金は25.4兆円から94.4兆円にそれぞれ急増している。BSをこれだけ拡大しても2012年から2022年までの10年間のCPIは年率1.01%でしかない。しかも、2014年4月と2019年10月の2回で、消費税率を5%から10%に引き上げており、さらに資源高、円安も加わり、CPIは近年にない上昇をしているが、これらを控除すればCPIの伸びはゼロに近いはずだ。
つまり、日銀のBSを4.47倍にしても2022年までのCPIの伸びは、2012年までの10年間とさほど変わらなかったのである。BSをこれほど膨らませても日本経済の体温を上げることができないのだ。BSを拡大することは、取りも直さず、マネタリーベース(MB)の急増でもあり、2022年までの10年間で4.67倍とBSをやや上回っている。2012年までの10年間は1.39倍でありMBの異常な増加がわかる。当たり前のことだが、物価は需要と供給で決まり、貨幣量だけでは決まらないからだ。
MBの異常な増加が日本経済の成長力を高めたのだろうか。2012年までの10年間の実質GDPは年率0.66%だったが、2022年までは0.52%と2012年までの10年間を下回ったのだ。なぜなのか。GDPの5割超をしめる実質民間消費支出が2022年までの10年は年率-0.06%と2012年までの10年(年率0.68%)から悪化したからである。民間消費を左右する最大の要因、実質雇用者報酬は2012年、2022年までのそれぞれの10年間、0.3%、0.53%と2022年までの10年間が伸びたのだが、家計は消費を削減し、貯蓄性向を高めたのだ。いずれにせよ、年率1%に満たない報酬では消費を拡大することなどできない相談なのである。
実質預金+CD(3業態計、平均残)は2012年までの10年間で1.19倍、2022年まででは1.48倍に増加し、貸出(銀行計)は2012年までの0.95倍から2022年までは1.29倍へと拡大した。ただ、2022年末の貸出は1990年代半ばの水準を下回っている。預金増は持続し、それに伴い過去10年間、貸出も増加したのだが、消費支出は微減となり、GDP成長率を押し下げたのである。
2002年末の預貸率は87.5%だったが、2012年末69.9%、2022年末60.8%と低下し続けている。2012年末には預金が貸付を173兆円超過していたが、2022年末には335.2兆円も預金が貸出を上回っている。この超過預金を金融機関は何で運用しているのだろうか。この持て余す預金は日銀の当座預金に振り替えられているのだ。日銀は金融機関などが保有する国債を購入し、今年3月までの10年間で国債を456.4兆円も増やしている。一方、金融機関は同額の現金を受け取ったのだが、すでに預金の運用に四苦八苦しているので、国債の売却代金の相当額も日銀の当座預金に積み上げているのだ。
日銀が大規模な国債購入をしても、すでに預金でさえ運用に困っており、さらにその上に国債代金まで加わり、金融機関は食傷しているのだ。2012年までの10年間で、金融機関の預金は94.5兆円増、2022年まででは280.6兆円増と前の10年の約3倍もの増加である。多くは家計の貯蓄と考えられるが、消費であれば、家計のお金は小売店やスーパーに流れ、さらに卸売りや製造企業にお金は手持ちを次々と変えて、世の中を循環していく。こうした循環が途切れなく続いていけば、信用創造が十分に機能することになり、経済は活力を増すことになる。他方、家計が消費ではなく、貯蓄を選択することになれば、金融機関に預けられ、それが貸出されれば、そのお金は社会を循環することになるけれども、金融機関にそのまま保蔵されたりすれば、非金融機関の外にお金は出ていかず、信用創造機能は機能しなくなる。
お金が社会を循環するには家計が消費することが端緒となる。そしてどんどん持ち手が代わるリレーが行われなければならない。短い距離のリレーであれば速度は上がり、長いリレーでは速度は落ちる。ただ言えることは家計という最初のランナーが走らなければ、レースは始まらないのである。そのためには、貯蓄性向を引き下げるような社会を築くことが欠かせない。これだけ預金が増加していることは、日本の限界貯蓄性向は上昇していると言える。限界貯蓄性向が高くなっているので、設備投資の乗数効果は著しく低下しており、追加的民間設備投資のGDP拡大効果は薄れている。
日銀の金融政策は経済を駆動させる貯蓄性向の低下には全く効果はなかった。金利をゼロにしても、家計は金融機関へ預金を積み立てている。それだけ、貯蓄しなければ心が落ち着かないのかもしれない。子育て、老後等若い世代も中高年もお金がなければ惨めな思いをする。そうした境遇に陥らぬためにも貯蓄に励むのだ。2020年度に給付された全国民への10万円も、その多くは消費ではなく貯蓄されたことからも、貯蓄は習性として、日本人に根付いているように思う。
極端な少子高齢化が進行している状況では、10年もすれば社会が様変わりするだろう。そのように国民は考えをめぐらし、貯蓄ができるときにはできるだけ貯蓄するのである。こうした高貯蓄体質は多少の賃上げでは変わらない。物価高→賃上げ→物価上昇といった循環は起こらない。過去20年間で実質GDPは年率0.59%であったが、今後20年間はこの成長率を上回ることはなく、むしろ、いかにゼロ程度に食い止めることができるかどうかだ。
経済は成長しないのだから、ゼロ成長でも衣食住が事足りる社会を構築していかなければならない。いつまでも成長に拘れば、日本社会の進む方向が本来の道からずれてしまい、日本はますます混沌とした状態に陥るだろう。一旦、道に迷うことになれば、修正には巨額の資金と時間が必要になる。そのようなことにならないうちに、ゼロ成長の社会を構築しなければならない。軍事費に貴重な税金を注ぎ込むのではなく、ゼロ成長社会の構築のための政策に使うべきだ。
日銀の大規模金融緩和の経済への効果は金利だけであり、国債は民間金融機関等から日銀に置き換わっただけの話なのである。1994年から2022年までの28年間の名目GDPは年率0.3%である。日銀は長期金利を抑え込もうとしているが、この名目GDPの伸びをみるならば、市場に任せても、現状の水準から大きく離れることはないだろう。もし離れたとしても名目GDPの伸びに戻ってくるはずだ。金利の実体経済に及ぼす力は弱いので、翌日物はプラスにすべきだ。
自己利子率が最大なのが貨幣であることから、それをマイナスにするということは貨幣を貨幣ではないものにすることなのだ。そうすると自己利子率の高いものが選好されることになる。株式、仮想通貨、原油などいずれも自己利子率が貨幣を上回り、貨幣以上に選択されることになる。マイナス金利は間違った政策である。