食料高の背景と実体経済に無力な金融政策

投稿者 曽我純, 4月3日 午前8:55, 2023年

2月の米個人消費支出(PCE)物価指数は前年比5.0%と1月よりも0.3%ポイント(p)低下した。ただ、食品・エネルギーを除いたコア指数は4.6%と0.1%pの低下にとどまった。3月のFOMCのPCEコア予測(第4四半期、前年比3.5%~3.9%)を0.7%p上回っている。ユーロ圏の物価(HICP)は3月、前年比6.9%と2月から1.6%pの大幅な低下となったが、コアは7.5%と2月から0.1%p高くなり、これで4カ月の上昇だ。エネルギー(ウエイト9.5%)は前年比0.9%低下したが、ウエイトが高い食品(21.8%)が15.4%と上昇を続けている。さらに、サービス(ウエイト41.8%)は運輸や娯楽などが引き続き高く、緩やかだが上昇傾向にある。

3月の東京都区部CPIは前年比3.3%だったが、政府の支援がなければ4%を超えていた。コアは3.4%と1990年1月以来約33年ぶりの高い伸びとなった。それでも米国やユーロ圏とは比べ物にならないほど低い。エネルギーは前年比0.3%に鈍化したが、生鮮食品を除く食料(ウエイト21.4%)が8.1%、家具・家事用品も9.1%上昇したことなどが、コア指数を引き上げた。「生鮮食品」と「生鮮食品を除く食料」の食料(ウエイト25.3%)は7.6%上昇し、これだけでCPIに1.94%p寄与し、もしこれがゼロであれば、CPIは1.36%であった。

日本の物価が悩ましいのは食料価格が上昇しているからだ。特に、「生鮮食品を除く食料」が元凶なのだが、これは食生活が西洋化したことや出来合いの総菜などの購入を増やしていることなどが原因なのである。農家世帯はわずかで大半の家庭は非農業世帯であり、食料はすべて購入せざるを得ない。毎日消費する食料価格の上昇は家計を直撃し、切実な問題となる。

『家計調査』によって、2000年と2022年の消費支出(二人以上の世帯のうち勤労者世帯、1世帯当たりの1カ月の支出)を比較すると2022年は320,627円、2000年よりも21,269円少ない。食料は80,502円、2000年よりも5,328円多いが、穀物は11.4%減、なかでも米は50.4%減と半減している。代りにパン、麺類は伸びており、2022年のパン支出は米の1.85倍、麺も米より12%多い。そのほか果物加工品、油脂、菓子類、調理食品、飲料などは顕著に増加しており、22年間の比較でさえ食料支出の中身は変わってきている。こうした食料の消費内容の変遷が、今の物価高を引き起こしている要因のひとつなのだ。

もし、食料高に苦しんでいるのであれば、油脂、菓子類、調理食品、飲料などの購入を減らすか、避けるべきである。ものの値段は需要と供給できまるのだから、まずは価格の上昇したものの需要を抑えなければならない。そして、食生活全体を再考すべきではないだろうか。高血圧、糖尿病などは、食生活に深く関わっているといわれており、値段の高い加工食品を食べて健康を損なうのではなく、日本人の身体に相応しい食べ物を摂取することが大事なのだと思う。

最近、スーパーにいくと、特に調理済のすぐに食べられる食品棚が増えているように思える。独居高齢者の増加から、売り手も調理食品の棚の充実に注力しているのだろう。調理食品は加工代が加わり値段は高く、生鮮食品よりも利益率は高い。共稼ぎ家庭も即食べられるという便利さから求めているのだが、これが食料支出の増加の原因になっている。だれでも苦労するよりは楽をしたいという気持ちが調理食品の人気を高めている。

一旦、味を占めると値段が上がったからといって、調理食品の購入を控えることは難しいのかもしれない。売り手もあの手この手で調理食品へと消費者を誘っているのだ。家に持ち帰れば、少し温めるか場合によってはレンジでいとも簡単に出来上がってしまう、こういうご時世になってしまった。地方はともかく、大都市とその周辺の家庭では、多くの調理食品を利用するだけでなく、外食で済ませてしまっている家庭も多いのではないだろうか。日々、料理に奮闘している家庭は珍しくなってきているのかもしれない。

重いペットボトルを抱えて駐車場に向かう人をよく見かけるが、お茶でさえも、家で煎茶を急須で湯呑に注ぐという行為は、もはや過去の遺物になってしまったのだろうか。最近、新宿のデパートに出店していた老舗茶舗が閉店するなど、お茶の販売の衰退を目の当たりにする。お茶まで外部に頼ることになり、大量生産の仕組みに組み込まれている。最終的には、家庭で料理を作る作業は消えてしまい、すべて外注ということになるのだろうか。家で食べ物を作り、みんなでそれを食べることは、家庭生活の大事な場面だが、そこに他人が作った食べ物が並ぶ、そこまで外部化が進み、企業に委ねる部分がさらに拡大することになれば、家庭や家族とは、という問題に行き当たる。頭や手を使う頻度がAIや外部化で低下していけば、人間そのものが問われることになるだろう。

2月の米CPIは前年比6.0%だが、食料(ウエイト13.52%)は9.5%である。3月のユーロ圏HICPは6.9%に低下したが、食料(ウエイト19.98%)は15.4%、これだけでHICPを3.07%p引き上げている。日本同様、米国もユーロ圏も食料高が物価を高止まりさせていることは明白である。加工食品や調理食品への消費者の需要増が、エネルギー価格の上昇と相まって、物価高を持続化させているのだ。加工食品や調理食品は製造、流通、販売のそれぞれの段階でエネルギーを使用し、人件費も掛かることから価格は高くなる。

エネルギーをふんだんに投入して作られた野菜や果物が店頭に並べられており、生鮮食品の値段も下がりにくくなっている。トマト、ナス、キュウリといった夏野菜が年がら年中販売され、季節にはまだ早いような果物、野菜の登場もよく見かける。農業もずいぶん前からエネルギー、農薬、肥料などを多量投入し、コスト高経営が一般化しており、資源価格の高騰をまともに受けるようになった。

エネルギー資源がほぼゼロの日本で、エネルギー多消費型の農業をやっていくことは、自らリスクを高めていることになる。ただ成長しただけの形だけで中身のない野菜や果物を作ることで満足感を得られるのだろうか。冬に夏のものを食べ、夏に冬のものを食べるといった季節感を顧みないような食がまっとうな食なのだろうか。食料高の原因はつまるところ、こうした季節を逆転させたような食にもあるのだ。

エネルギーをはじめ小麦や大豆など輸入農産物高騰の影響をまともに受ける食料価格は、金利が上昇したからといって、その需要が抑制され、価格を引き下げることはできない。よほど所得が落ち込むといった酷い状態に陥らない限り、食料の需要を減らすことはない。つまり、今の物価高に金融政策で対処しようとしても、そのようなことはできないのだ。

金利で実体経済を操作することは、ほとんどできないと言ってよい。日本のバブル崩壊後の金融政策をみればあきらかである。1991年3月末の翌日物金利は8.56%だったが、4年4カ月後の1995年7月には0.84%と1%を割った。1%以下まで金利を急低下させたが、1995年の実質GDPは1991年比3.49%増にすぎず、超低成長がやっとであった。民間企業設備は急速に冷え込み、実体経済を支えたのは公的部門であり、当該期間22.3%も増加した。

1995年以降、金融緩和はさらに推し進められたけれども、日本経済は超低空飛行から抜け出すことはできなかった。1995年から2022年までの27年間の実質GDP成長率は年率0.64%にとどまっているからだ。

米国の利上げの局面である2004年5月(1.0%)から2007年8月(5.25%)の実質GDP比較(2007年・2004年)では、年率2.75%だったが、2004年・2001年比も2.77%とほぼ同じ成長率であった。大幅な利上げをしても実体経済はその前と変わらない速度を維持していたのだ。大幅利上げはサブプライム問題を顕在化させ、「サブプライム・ローン」の巨額損失から金融崩壊へとつながっていくことになった。

政策金利の上げ下げは、実体経済にはほとんど影響しないけれども、交換手段や蓄積手段である貨幣の量や流れに刺激を与え、ややもすると貨幣の流量が堤防から溢れ出たり、逆に、過度に収縮したりする。貨幣が潤沢に流れれば、経済は活況になるが、それが通常のレベルをはるかに超えてしまうと経済は高熱を出し、不安定な状態に陥る。金利の操作で需給を調整することは期待できず、むしろ悪病を引き起こす原因となるのだ。だから、物価や雇用のようにブレが大きい指標を金融政策の目標に据えることは、金利が実体経済の振幅を大きくするだけで、政策金利の著しい変動は「百害あって一利なし」と言ってもよい。そうした経験をいままで幾度も経験してきたではないか。物価や雇用の著しい変調は、それほど長期間続くことはなく、ある程度の時間の経過が解消してくれるのだ。そのような経済指標に金融政策が振り回されてはいけない。

曽我 純

そが じゅん
1949年、岡山県生まれ。
国学院大学大学院経済学研究科博士課程終了。
87年以降証券会社で経済・企業調査に従事。
「30年代の米資産減価と経済の長期停滞」、「景気に反応しない日本株」(『人間の経済』掲載)など多数