今年5月23日の日米首脳会議で岸田首相は「防衛費の相当な増額を確保する決意を表明」した。2027年度には防衛費をGDPの2%に引き上げ、10兆円程度の規模に拡大する方針。ロシアのウクライナ侵攻や中国、北朝鮮の脅威によって、敵基地攻撃能力を持たねばならないと危機を煽る。台湾にしても中国が直ちに侵攻することは考えられない。新型コロナや不動産不況、若年層の高失業率など中国は国内問題だけで手いっぱいであり、国内を治めることに専念したいはずだ。米国の言いなりになって、日本が盾になることは、それだけ相手に攻撃されるリスクが高くなる。薩南諸島から石垣島や与那国など琉球諸島にずらりとミサイルを配備すれば、それだけ攻撃されやすいのだ。第2次大戦で沖縄は本土の捨て石にされたが、それと同じことを繰り返そうとしている。沖縄戦の戦没者慰霊祭を毎年開催し、先の惨禍を2度と繰り返さないという強い決意を新たにしているはずだが、口先だけで、政府の安全保障政策はそれとは真逆なのである。現に沖縄は日本最大の盾とされているが、これをさらに強化すれば、安全はより空虚になる。
目先の現象を徒に誇張し、あたかも戦争が近づいているかのような雰囲気を醸成し、防衛費のGDP2%をやすやすと成立させようとしている。日本が防衛費を増やせば、相手も増やすだろう。こうした軍拡競争が始まればとどまることはない。そして、いつの間にか、本当の戦争が起きるのだ。日本人のように集団に巻き込まれ、没個性的な素質が、今回の軍拡といえる大規模な防衛費拡大を、なにの躊躇もなく是認し、成立させたら、もう軍備増強に対する歯止めはなくなり、憲法第9条は骨抜きになるだろう。
12月10日に臨時国会は閉会したが、69日間という短期間の一夜漬けの法案(第2次補正予算や被害者救済新法等)の成立では、現状からの改善は望むべくもない。むしろ、事態を悪化させることになるかもしれない。事の本質を見極め、徹底的な処方箋を示すことから掛け離れた内容では、それに費やした時間と金がすべて無駄になってしまう。特に、岸田政権は単に目前の問題だけを捉え、それを適当に捌けばそれでよしとする傾向が強い。このような姿勢でいくら政策を展開しても、後世に役立つ蓄積とはならず、その場その時に降ってわいた問題を適当に処理しただけに終わる。
政府のさまざまな分野の政策を遂行する基礎となる調査能力が衰退しているように思えてならない。霞ヶ関の官僚たちの自由な発想が、自民党支配下で抑圧され、斬新なアイデアが認められる職場環境ではなくなってきている。自由な思考ができないのは中国などの独裁国家だけでなく、表面的には表現の自由が確保されている日本でも、本当の自由はないのだ。官僚も上司や内閣の考えに沿うような差し当たりのない意見を具申しており、国にとってプラスになるアイデアを提出する機会は少ないのではないか。上司や内閣に物申すような内容であれば、出世にも響くことになり、無難な提案にとどめておくだろう。会社にしても、まったく同じように、上司を忖度しながら仕事を進めており、優れたアイデアは封印されやすい。
日本のように資源に乏しい輸出に頼る国で生活を持続させていくには、ユニークな考えやアイデアといった要素が極めて重要である。目の前の問題を適当に遣り過ごせばよいのではなく、長期を見据えた調査力といったものを育むことが大事なのだ。短期の業績だけを評価するのでは日本の先細りは必至である。過去数十年そうした短期志向の調査・研究が重んじられていたことが、日本の長期衰退の原因のひとつに挙げられる。
官僚の仕事はまさに国会答弁の作成など超短期であり、国の行く末まで視野を広げた調査に従事している人はほとんどいないのだろう。あまりにも基礎研究に携わる人が少なく、これも国力の衰退に繋がっているのだと思う。
大学院博士課程入学者は2003年度の18,232人をピークに2021年度には14,629人へと約2割も減少している。一方、大学への入学者は2003年度の604,785人から2021年度は627,040人へと3.7%増である。大学院博士課程に進学しても日本社会では調査研究に相応しい仕事にありつけないことが、減少の最大の原因なのだ。わざわざ博士課程に行き、路頭に迷うよりも学部を終えて、就職したほうが安定した生活を送ることができるからだ。
OECDによれば、日本の博士号取得者数(人口千人当たり、2021年)は2.60人と米国の2.64人を下回り、G7では最下位である(トップはドイツの4.53人)。博士課程進学者の減少が続けば、博士号取得者も当然減少し、研究の面でも日本の衰退が進行し、延いては国民経済の停滞に一層拍車を掛けることになる。
こうした目に見えない調査・研究だけでなく、もっとも切実な食についても満足に食べることができない困窮家庭が増えている。少子化が急速に進行しているにもかかわらず、出産や子育てへの支援は遅々としている。義務教育の小中学校の給食は国が全額負担すべきだ。問題を抱えている保育園制度の見直しも早急に行わなければならない。老人介護も人手不足で綱渡りの状態だが、団塊の世代がすべて後期高齢者となる2024年以降、介護認定者は施設に入所できるのだろうか、という切迫した問題もある。
調査・研究の底上げを図ることやさまざまな少子化対策、さらに介護の分野だけでも巨額の予算を必要とするのだが、岸田首相は「パンよりもミサイル」が大事だと言う。そのための防衛経費は2027年度までの5年間で現状よりも約17兆円増加するが、不足分は増税で対処するそうだ。「パンよりもミサイル」を優先すれば国民の生活は惨めになることは戦前の軍国主義を一瞥するだけで明らかだ。
2022年第3四半期の米GDP統計によれば、米国の国防費は9,351億ドル、日本円では127兆円という途方もないかねを「ミサイル」に使っている(GDPの3.6%)。これだけの規模に膨れ上がれば、ペンタゴンと軍需産業は不可分の関係となり、国防費の削減などできはしない。米防衛産業を維持するために日本に高額兵器を売り込み、ウクライナにも供給している。GDP2%で米国防費は5,133億ドルとなり、4,218億ドル、日本円で57兆円が民生分野に回せる。貧弱な医療制度の改善や皆保険なども整えることができるのだが、米国も「パンよりもミサイル」の国なのだ。そのバイデン首相の僕のように従うのが岸田首相なのだ。日本国民ではなく、バイデン大統領の顔色を窺いながらの政治なのである。
バイデン大統領だけでなく、為替、原油価格、物価などそもそも変動するものに気を取られ、政治をすることも間違っている。説明できないほどぶれたならば、かならずその反動が起こることは過去の事例からあきらかである。そのような当たり前のことに政治が翻弄されるようなことがあってはならない。
我々の暮らしている経済の多くは市場に委ねられているのだ。原油価格が上がれば、需要は減少し、価格は下がっていくはずである。今年6月には120ドルを超えていたWTIは先週末71ドルと昨年末を下回った。今年10月には150円を超える円ドル相場も今では130円台半ばまで戻っている。このような相場に、政府や中央銀行は右往左往してはいけない。