震災・原発から1年経ったが、政府は早々、福島原発の収束宣言を出し、「社会保障・税の一体改革」に邁進している。まったく震災・原発から目を逸らせる目眩ましとしかいいようがない。原発の核燃料がどこにあるかもわからず、今後、どのような災難が降りかかってくるかもわからない。なによりも、原発の被害をこれ以上ださないために全力を尽くさなければならないのだ。だが、そうした取り組みがなされているとはとうてい思えず、中途半端な対策にとどまっているように思える。
震災の爪痕は徐々に復旧させていくことができるけれども、原発はそうはいかない。事故が起きれば、放射能を封じ込めることもできず、原発地域は永久に住めなくなるからだ。福島原発にお手上げ状態だが、政府は原発の再稼動に熱心である。54基中2基の稼動だけで十分に電力供給できており、なにをそんなに原発が必要なのかさっぱりわからない。夏場もやりくりしていけば、原発が全基止まっても、支障なく過ごすことが出来るだろう。一時的なピークさえ凌ぐことができればいいのだから。
原発事故が起こらなくても毎年大量の核廃物が発生する。これの処理ができないことがわかっていても、原発の稼動を続けるという理不尽さがまかり通っている。化石燃料の負担を減らす、地球温暖化対策になる、電気代が安くなるなどの長所があるので核廃物の発生など取るに足らずといったところか。だが、そのどれもが捏造、隠蔽、改竄、粉飾を駆使した報告に基づくものだということをわすれてはいけない。
核のごみなど眼中にないので、いまだに福島4号機にある使用済み核燃料をそのまま放置しているのだろう。いつ次の地震に襲われるかわからないのに数年そのままの状態にしておくそうだ。1号機から3号機よりもより危険な状況下にありながら、使用済み核燃料を放置しつづける政府、東電はどのような神経の持ち主なのだろうか。高所にある1,500体を超える使用済み核燃料が剥き出しで散らばったら、どのようなことになるのか。おそらく、昨年3月の爆発以上に悲惨な状況となり、広大な地域が永久に足を踏み入れることができなくなるだろう。
そのようなリスクがありながら、住民の帰宅を促す政府の方針に騙されてはならない。まず、使用済み核燃料を地上に降ろし、安定したところに保管する必要がある。東電任せではなく国が最重要事業として、人、もの、金すべてを惜しまず投入、高所にある使用済み核燃料を処理しなければならない。一部の警戒・避難区域に帰ることができるようになったとしても、この作業が終わるまでは帰宅させてはならない。
使用済み核燃料という最重要問題に取り組むことなく、政府は原発の再稼動を企んでいる。事故が起きれば廃炉もままならない原発をまだ動かしたいのだ。事故がなくても生命を奪う途方もない量の負の遺産だけが残る原発をなぜ存続させねばならないのか。原子力村と言われる一握りのエゴによって、国そのもの存亡が握られている仕組みを断たなければならない。戦前、軍部が戦争に踏み出し、焦土と化した過程を原発推進者がなぞっているように思う。地震多発地帯にある狭い国土に54基もの原発があることは、自ら墓穴を掘るようなものだ。侵略される恐れよりも自己崩壊の火種を抱え込んいることのほうが怖い。
戦前から続く「官尊民卑」、「横並び」、「長い物には巻かれよ」といった根本原理は戦後も生きており、そうした生き様が今の結果を生み出したと言える。官に任せ民はそれに従うという仕組みでたいていのことはやってきた。産業界も金融界もそうだ。困ればすぐに役所に駆け込む。官は税金をふんだんに使って、自らの威厳を高める。地方は金を握られている中央にお伺いを立てながら、自らはなにも決められずにいまに至っている。地方自治体の主要ポストには中央から人材が送り込まれている。早い話が官の独裁で日本は動いてきたのである。だから、いまだに経済産業省は原発事故などなかったかのように振舞っているし、そのまま存続している。内閣府、文部科学省もなにも変わっていない。政治はなにも変えられないのである。変えられないのは官僚の力が強いからである。
官僚の力が強いことは彼らに能力があることではない。ルーティンワークは得意だが、日常業務と掛け離れた問題には狼狽する。バブル崩壊後の金融危機などまさにお手上げ状態であった。だから、今回のさまざまな会議の議事録を作成する余裕さえなかったのだ。長期経済不況、不良債権処理、原発事故等いずれも官の守備範囲を超えており、霞ヶ関も役に立たなかった。
1年経過しても電力改革、東電改革は手付かずである。まったく政府は悠長であり、やる気は感じられない。送電、発電分離や曖昧な電力料金体系、東電解体国有化を進めなければならないが、それには各電力会社に乗り込み原価を正確に算定する作業が欠かせない。独占体制なのだから原価などの情報を包み隠さず出さねばならぬ。膨大な子会社、関連会社との取引も精査する必要がある。東電はこのままずるずると現状維持に持ち込もうとしているが、早いうちに国は株式の大半を取得し、東電内部を洗い浚い調べ、実態を暴きだす必要がある。
政府と東電は成すべきことを成さず、現状を取り繕うとしているだけだ。そのように現状踏襲路線をとるならば、1990年代以降の長期経済不況に拍車を掛けることは間違いない。機械や建物でも撤去・処分コストは掛かるが、原発の資産は何十兆円ものマイナスとなり、桁違いのコストが掛かる。本来、生産的分野に配分できる資金を原発処理というなにの果実も生まない分野に注ぎ込まなければならないのだ。
再生可能エネルギーの買取制度を拙速にきめたが、とてもコストが高く、結局、儲かるのは生産する企業で負担するのは消費者なのだ。年金運用と同じで、うまい話などないということを肝に銘じなければならない。再生可能エネルギーのシナリオなどは、官僚主導でいかようにも描くことができるのだ。まずは正確な電力統計を作成し、データを基に電力の問題を考えても決して遅くはないのである。