言葉に惑わされてはならない

投稿者 曽我純, 12月27日 午後4:35, 2015年

11月の『家計調査』の内容には驚いた。二人以上の世帯の消費支出は名目前年比-2.5%と3ヵ月連続の前年割れとなり、2年前をも下回った。4月から11月までの8ヵ月のうちプラスは3ヵ月にすぎなく、今年度、経済の主力である消費はあきらかに下降している。財別ではサービスのプラスに対して、財はマイナスであり、特に耐久財は3ヵ月連続の2桁減である。

実質の消費支出は2.9%減少し、やはり3ヵ月連続減だ。4月以降では5月、8月を除けばマイナス。11月は住居と教育支出以外はマイナスとなり、消費は完全に不況をあらわしている。勤労者世帯の消費支出は前年比4.1%減と非勤労者世帯の1.2%減を大幅に上回るマイナスとなった。勤労者世帯の消費減は、実収入と可処分所得のいずれも3ヵ月連続の前年割れになっていることが原因。実収入は名目でも3ヵ月連続減である。収入が増加しなければ消費を増やす気持など起こらないからだ。

名目消費支出の季節調整値(2010年=100)は11月、前月比2.5%減の96.1と3ヵ月連続のマイナスとなった。これは東北大震災後の2011年5月以来4年半ぶりの低水準なのである。食料と保健医療以外は100を下回っている。

11月の実質消費支出(季節調整値)は91.8と遡ることのできる2000年1月以降では最低となった。過去16年間ではじめての経験なのである。11月、100を超えているのは食料、家具・家事用品、保健医療であり、光熱・水道、被服・履物、教養娯楽などは80台である。

11月の実質消費支出は記録的落ち込みとなり、GDPの6割弱を占める民間最終消費支出は10-12月期、前期比マイナスになることは確実である。7-9月期のGDPは民間最終消費支出の伸びにより、プラス成長だったが、10-12月期は民間最終消費支出の減少によって、2四半期ぶりのマイナスとなり、日本経済の停滞ぶりがあきらかになるはずだ。 

こうした消費支出の後退にもかかわらず、黒田日銀総裁は24日の講演で「個人消費については、雇用・所得環境の着実な改善が続くもとで、底堅く推移しました」と述べ、「量的・質的金融緩和」を自画自賛している。「2%の「物価安定の目標」を実現するために「できることは何でもやる」ということを改めてお約束」すると締めくくっている。

2013年4月に黒田総裁が打ち上げた「量的金融緩和」がどれほどの経済効果を上げたかをみるために実質GDPの2013年4-6月期と2015年7-9月期を比較する。実質GDPは当該期間3.3兆円増加したけれども、民間最終消費支出は6兆円減少している。内需は2.8兆円の増加だが、公需が民需よりも増加額は多い。実質GDPの増加も微々たるものだけれども、民間最終消費支出は減少しており、「量的金融緩和」は消費にまったく機能していないことがわかる。

「量的金融緩和」が機能しないことは、これまでにもしばしば言及した。銀行には国債と引き換えにマネーは入っていくが、そこから先には出ていかない。なぜ銀行から資金が出ていかないのかは、資金需要が乏しく、企業は十分な資金を保有しているからである。お金を本当に必要としている困窮家計にはマネーは届かない。銀行はそのような家計へは貸さないからだ。せいぜい貸し付けるのは正社員の家計が借りる住宅ローンだろう。

東京を中心に地価の上昇に点火したのは「量的金融緩和」だ。日本不動産研究所によると、2013年3月に六大都市の商業地は前年比プラスに転じ、その後、プラス幅は拡大、2015年9月には前年比4.4%上昇している。2015年9月には、東京では半年で7.5%も上昇するところも出現し、地下バブルの様相を呈している。東京区部では、いたるところで建設風景がみられ、東京の中心部は建設ブーム、建設バブルといってよいだろう。

 今、10年物国債の利回りは0.3%に満たないが、東京区部の不動産の上昇率や不動産から発生する地代は国債利回りをはるかに上回っている。上回っているから、マネーは東京区部の不動産に流入しているのだ。だが、マネーが東京区部の不動産に流入し続ければ、早晩、地下や地代は国債利回りに等しくなるところまで低下するだろう。

 株式も「量的金融緩和」という言葉の恩恵を受けた。今年末の株価も昨年末を上回り、4年連続の上昇となるだろう。「量的金融緩和」が中味のない空疎なものでも、繰り返し唱えられることで、社会に浸透し、中味を吟味することなく「量的金融緩和」を鵜呑みにする。たいていの人は「量的金融緩和」は株価を上げるものだと思うようになる。そして株価や東京の地価は上昇していく。しつこく言うことで人々の考えることを停止させることが、政府や日銀の狙いなのである。そうすることによって意のままに社会を操ることができるからだ。大衆心理を掴む常套手段である。そして全体主義にいつの間にか覆われてしまうことになる。恐ろしいことだ。言葉が言葉だけなのか、中味のある言葉なのかを突き詰めて考えることができるかどうかが問われている。

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