WTIは今月8日、バレル122.11ドルまで急騰していたが、先週末には107.62ドル、8日比11.9%も下落した。銅は同期間13.9%減とWTI以上に下落し、CRBは5月10日以来の300割れである。その間、米10年債利回りは11ベイシスポイント(bp)の上昇にとどまり、S&P500は5%下落し、円ドル相場は1円未満の円安ドル高だ。原油の需給に大きな変化があったわけではなく、世界経済の先行きを不安に感じたことが、商品相場を押し下げた。見通しの僅かな変化が相場変動を引き起こす。短期的には相場は上にも下にも大きくぶれる。そのような超短期の変動に振り回されていては、本当に大事な成すべき事がお座なりになり、大局を見失ってしまう。どうしても日々の出来事に目を奪われ、そうした問題を取り上げ、なんとかしなければと気をもむ。そして、なにか仕事をしている気になるのだ。会社の仕事でもしばしば目先の問題に右往左往し、事の本質を見失しない、将来、土台が崩れてしまうような事態に陥りかねない問題が放置されることがある。
参議院選の各党の姿勢もまさにこの短期の目先の問題に焦点を当て、論戦を繰り広げている。今の円安ドル高が良くないという。だが、悪いといっても変動相場制なので、できることは限られている。確かに、めったにない急激な円安ドル高ではあったが、円安ドル高により輸出は好調であり、昨年11月、約13年ぶりに過去最高を更新し、その後も増勢は続いている。一方、輸入価格の上昇により、輸入は抑えられるはずだが、原油高によって輸入も昨年11月に過去最大を更新、輸入は輸出以上に拡大し、5月の貿易赤字額(季節調整値)は2兆円弱と過去最大となった。
本来、円安ドル高の進行は輸出を増やし、輸入を減らすことによって赤字額は解消していくことになる。現状は原油高のため輸入の拡大が持続しているが、原油の高騰は需要を抑え、輸入量を抑制するだろう。円高ドル安はいつまでも巨額赤字をそのままにはしておかない。半年以上の遅れはあるけれども、確実に赤字額は縮小していくはずだ。
消費者物価指数(CPI)の上昇もしばしば話題に上る。だが、報道関係者は発表のCPI統計をよくよく検討しているのだろうか。5月の総合指数(季節調整値)は前月比0.2%と2月の0.5%、3月、4月の0.4%から低下し、生鮮食品を除く指数も3月の0.3%から5月0.1%と2カ月連続の低下、生鮮食品・エネルギーを除くコア指数は4月の0.2%から5月、0.1%へと低下している。過去1年間のコア指数の前月比伸び率は最高でも0.2%なのである。
総合指数は前年比2.5%だが、コア指数は0.8%である。これで物価が大問題になるとは、ほかに論ずべき課題はないのかと問いたい。確かに、電気代やガソリンなどのエネルギーは17.1%も上昇しており、家計を圧迫していることは間違いない。石油元売りへの補助金がなければもっと上がっている。だが、低所得者層にとってはエネルギーが上がる前から生活に困っており、そうした原因として、所得税の累進性の緩和と消費税の導入と引き上げ、非正規労働の急増、男女賃金格差などを掲げることができる。まずは、累進性を強め、金融所得の税率を引き上げなければならない。
CPIの変化は避けられない。CPIが変化することによって、需給は調整され、経済は効率的に機能するのであり、価格メカニズムは市場経済の根幹をなす。CPIの動きが歪められることになれば、経済はあらぬ方向に向かうことになるかもしれない。もちろん、CPIの動きがすべて正しいわけではなく、万能でもない。
原油価格や為替相場を管理することはできないし、長期的に一方方向に進み続けることもない。ある意味、自然現象に近いのだ。そうした現象に必死になったとしても、できることはほとんどないのである。例えば、地震の予測ができないことと同じようなことなのだ。地球や太陽系については、ほとんど何もわかっていないのだから、成り行きに身を任せる以外に取るべき道はない。
むしろ、人為的に作った制度であれば、これを変えることはできる。そのような議論を深め、改革しなければ、経済社会は良くはならない。物価高といっても日本では憚られるほどの上昇だが、これこそが最重要課題だと声を上げる。また、ロシアのウクライナ侵攻により、日本もうかうかしていればウクライナのようになると危機感を煽り、防衛費の拡大が必要だ、敵基地攻撃能力を高めよ、など勇ましい言説が跋扈している。何の根拠もないプロパガンダであり、ロシアと変わらない。挙句の果ては、憲法改正をやり遂げたいという。なんという浅ましい考えなのだろうか。
先週公表の6月の『人口推計』によれば、日本の総人口は1億2、493万人、前年比80万人の減少だ。過去最大の減少であり、減少率は前年比0.63%と昨年6月(0.44%)よりも0.19ポイントも拡大しており、人口減は加速している。
4月の『人口動態統計速報』によると、4月までの1年間の出生は前年比1.9%減、死亡は6.5%である。出生は前年が5.3%減と大幅に減少したからだが、死亡は2021年の1.5%、2020年の0.7%と比べて異常に増加している。今年1月~4月までの死亡は前年比8.4%とさらに悪い。新型コロナによる同期間の死亡(11,176人)を除いても6.2%前年を上回っているのだ。何が原因なのだろうか。
過去27年間(1994年度~2021年度)、名目GDPは5.8%しか増加していない。この数字をみるだけで、これまで時間と金を掛けて実施してきた自民党の政策は、ほとんど掛け声倒れに終わったと言える。特に、家計最終消費支出(持家の帰属家賃を除く)は2.2%増とGDPよりもさらに低迷し、GDP比では45.1%から43.5%に低下した。民間住宅は32.1%減少したが、民間企業設備は8.3%拡大した。一番の牽引車は20.1%増加した公的需要であった。これが過去27年間の結果なのである。民需はほぼ横ばいであり、外需は落ち込み、公需のみが伸びた。
2021年度のGDPデフレーター(2015暦年=100)は100.8、前年比1.1%低下し、デフレと言える状態であった。2015年度に比較しても0.6%高いだけであり、1994年度と比較すれば11.8%も下回っている。
「官から民へ」、「規制改革」、「貯蓄から投資へ」等々聞き飽きるくらい聞かされてきたが、実際には実体経済にはなにの影響も与えなかったのだ。これまでの経済政策を反省することもなく、わけのわからぬ「新しい資本主義」を突如言い出す。なんでもいいから取り敢えず、アドバルーンを揚げ、注目され、なにかやっているのだなと思われることが大事なのである。中身など曖昧模糊で良いのだ。そもそもぼんやりとした取り留めのない状態が、日本人にとってはもっとも居心地が良いのだから。過去27年間、経済の実績は皆無であったが、お人よしの日本人はなにの疑問も抱くことなく、自民党の長期独裁政権に安住している。参政権(1票の格差が3倍超もある不平等制度だが)や多党制などが認められてはいるが、戦後、ほぼ同じ政党が政権に就くことは、独裁と変わらぬではないか。