為替市場はなにを拠り所に売買しているのか

投稿者 曽我純, 9月19日 午前8:52, 2022年

対ドルで円は急落している。昨年末と先週末値を比較すると24.2%の円安だ。次に下落率が大きいのはポンドの15.7%であり、ユーロは11.9%である。昨年末から9月12日までの名目ドル実効相場(BIS統計)は10.9%上昇している。ユーロ圏のインフレ率は8月、前年比9.1%と米国よりも高く、貿易収支は赤字であり、しかもエネルギーで経済が痛めつけられているわりにはそれほど売られていない。9月8日、ECBは政策金利を0.75%引き上げ1.25%としたが、これからも利上げが予想されることが、円ほどには下落していない要因なのだろう。

日銀の金融緩和策に変化はなく、欧米の利上げに追随しないことが、市場参加者を円売りに走らせているのだと思う。日米の消費者物価指数(7月のCPI)の前年比の伸びを比較すると米国が日本を5.9ポイント上回っている。通常、インフレが高いほど、その国の通貨の価値は下落する。インフレ分だけ通貨は減価するからだ。8月の米CPIは前年比8.3%も上昇しており、消費者は前年と同じ中身の買物をするならば、ドルを8.3%余分に払わなければならないのだ。米国民に万遍に8.3%の税金を掛けたことに等しい。

一方、7月の日本のCPIは前年比2.6%にとどまっている。高いのは生鮮食品と光熱であり、8.3%、14.7%それぞれ前年を上回っている。だが、生鮮食品とエネルギーを除いたコアは1.2%あり、この程度のコアの伸びで、なぜこれほど物価が騒がれるのだろうか。

2021暦年のコアは前年比マイナス0.5%だった。2000年から2021年までの22年間でコアがマイナスだったのは14回で、8回はプラスだが、最高でも消費税率の引き上げによる2.2%だった。化石燃料の高騰で値上がりしているものもあるが、いつまでも原油が高止まりすることはなく、今の半値に下落することも予想される。これだけのドル高のなかで、原油が高止まりしていたことは過去にはない。原油価格はいつ急落してもおかしくないのである。そうなれば昨年のようにコアはゼロ以下に落ち込むはずだ。

この程度のコアの変動は許容範囲内であり、今までが異常に安定しすぎていたのだ。市場経済である限り、物価の変動は避けられない。物価が需給を反映しているのであれば、それに従って行動することが好ましいのだ。石油元売り会社に補助金を出すことは市場経済を歪めることになる。温暖化で騒ぐのであれば、原油高は大歓迎ではないか。それほど原油高による物価が重大事であるならば、ロシアから原油を買えばよいではないか。液化天然ガスの購入を継続しているのだから、なぜ原油を購入しないのか。もし、エネルギーの輸入が途絶えるという窮地に陥った時に、米国は頼りになるのだろうか。はなはだ疑問である。価格の高騰により、8月のロシアからの液化天然ガス輸入額は前年比67.4%増加し、ロシア総輸入額の28.8%を占めている。今年1月から8月までの液化天然ガス輸入額は前年の約2倍の4,090億円に急増している。これだけの液化天然ガスをロシアから輸入していながら、なぜ原油の輸入ができないのだろうか。

日本の物価が生鮮食品と光熱を除けば前年比1.2%に落ち着いているのは、需要が弱いからである。7月の日本の失業率は2.6%と米国3.7%(8月)、ユーロ圏6.6%(7月)を下回り、ほぼ完全雇用状態なのだが、『毎月勤労統計』よれば、現金給与総額は7月、前年比1.8%にとどまり、実質ではマイナスだ。『家計調査』でも勤労者世帯の実収入は前年比1.6%減、可処分所得も2.1%減少している。『法人企業統計』をみても、今年第2四半期の従業員給与(28.5兆円)は前年比1.9%にすぎない。売上高は前年比7.2%伸び、営業利益(17.6兆円)は13.1%、経常利益(28.3兆円)は17.6%も増加しているが、給与の伸びは2%に満たないのである。受取利息・配当等の営業外収益が円安ドル高によって15.4兆円へと営業利益に近づき、経常利益は従業員給与にほぼ並ぶ。企業はこれだけ利益を上げているにもかかわらず、給与を出し渋っていることが、日本が需要低迷から抜け出せない主因なのである。完全雇用の状態でも労働者が賃金を引き上げることができないのは、企業制度が独裁体制になっているからだ。企業の独裁制を崩す以外に、日本の労働分配分を引き上げる方法は見当たらない。そのためには、労働者を経営に参画させる仕組みをつくることが必須ではないか。

2021年度の営業利益は前年比30.2%増加したが、2018年度のピークを19.9%下回った。だが、営業外収益が30%拡大したため、経常利益は33.5%増の83.9兆円と過去最高を更新した。税引前当期純利益も84.4兆円と過去最高を更新したが、法人税等は21.6兆円と税引前当期純利益の25.6%にすぎない。バブルピークの1989年度の法人税等(20.9兆円)とさして変わらないが、その時の税引前当期純利益は38.9兆円であり、その53.7%が税金として納められていた。これを当てはめれば2021年度の法人税等は45兆円になる。配当金は29.8兆円と2年連続で過去最高を更新。因みに1989年度の配当金は4.1兆円であった。2012年度から2021年度までの10年間の配当金総額は217.5兆円だが、だれの懐に入ったのだろうか。2021年度末の株式保有状況(時価)によると、個人等の株式保有比率は16.6%と3年連続の16%台である。一方、外人の株式保有比率は上昇しており、昨年度は30.4%を占め、法人は20.0%と個人よりも保有比率は高い。企業は配当金を大幅に増やしているが、個人が直接手に入れる配当は年5兆円弱にとどまり、多くは外人や法人の所得となる。外人や法人の所得になるのであれば、税金として取り立て、国内の保育や介護の充実のために使うべきではないか。

政府は今でも「貯蓄から投資へ」と叫び続けているけれども、個人等の株式保有比率は低下基調にあると言える。1970年度には37.7%と最大の保有者であったが、バブル期の1989年度にはすでに20.5%へと大幅に低下し、バブル崩壊により、ゼロ金利政策等の超金融緩和策が取られたにもかかわらず、緩やかだが、低下に歯止めはかかっていない。賃金がほとんど伸びない状態が常態化していれば、生活することだけで精いっぱいなのだ。リスクの高い株式を保有する余裕などないのである。だから、株式配当利回りが預金金利や債券利回りを上回り、政府がいくら喧しくいっても、株式保有を増やそうとはしないのである。

CPIコアの1.2%の上昇で物価が問題になるような国では、物価は大幅には上がらない。上げれば需要は潮が引くように後退していくだろう。値上がりしたものは買い控えられ、安いものへの代替も進むだろう。財布の中身が一定なのだから、そのなかでやり繰りする以外にない。どのような企業活動や仕事でも日々改善が行われ、生産性は上昇していくはずだ。コスト増を徐々にそうした創意工夫で、100%は無理としても、ある程度吸収していけるだろう。

日米の物価格差は開いた状況が持続するけれども、今は金融政策の違いが為替相場を動かす最大の判断基準になっているため、物価の違いは見過ごされている。さらに、8月の貿易収支が過去最大の赤字になったように、これからも赤字幅は容易に縮小しそうにないことも円売り材料にされている。貿易・サービス収支に利子・配当等を加えた経常収支も7月、6,290億円(季節調整値)の赤字となった。2014年3月の6,802億円以来、過去2番目の規模の赤字となり、経常収支の急速な悪化も円売りドル買いを誘発しているようだ。

総務省の『人口推計 8月報』によれば、8月1日現在の日本の総人口は1億2478万人、前年よりも85万人の減少だ。前年比減少数(10月1日現在)は2019年19万人、2020年40万人、2021年64万人と毎年20万人増のペースで拡大しており、来年には100万人を突破するだろう。婚姻の減少、晩婚化、高年齢出産等いずれも人口減を加速させる要因ばかりだ。急速な人口減と超高齢化は日本の最大問題であり、為替相場にも少なからず影響しているのではないか。為替相場は長期的には国の総合力を映すはずだ。市場参加者が金利差や物価、経常収支だけでなく、よりファンダメンタルズな「日本の人口」に目を注いでいるならば、円の地位は危うい。

曽我 純

そが じゅん
1949年、岡山県生まれ。
国学院大学大学院経済学研究科博士課程終了。
87年以降証券会社で経済・企業調査に従事。
「30年代の米資産減価と経済の長期停滞」、「景気に反応しない日本株」(『人間の経済』掲載)など多数