新型コロナウイルス、現代社会への鉄槌

投稿者 曽我純, 3月23日 午前8:59, 2020年

3月3日、FRBは50ベイシスポイント(bp)の緊急利下げを実施したが、15日の日曜日、一気に100bp引き下げ、政策金利をゼロにした。2015年11月以来4年4ヵ月ぶりのゼロ金利である。2週間も経過しない超短期間に150bpも下げることはこれまでにはなかった。3月3日に引き下げたが、株安は止まらず、2日から13日までにNYダウは13.2%下落、15日にゼロ金利にしたが、13日から20日までは17.3%も急落する始末。NYダウは2月12日の過去最高値から約1万ドルの崩落となった。20日の終値は2016年12月第1週以来、3年3ヵ月ぶりの安値であり、トランプ大統領就任以前の水準に戻った。

株価急落によって、商品相場は底を抜けている。週末のWTIは今年1月の高値から64.2%落ち込み、2002年2月以来約18年ぶりの低水準である。ITバブル崩壊後の低金利政策が株式同様、原油市場を活気づけ、投機相場となり、異常に値上がりした。1990年代にはバレル10ドル台の時期もあり、今の22ドルが安いとも言えない。だが、米国のシェールオイルは生産コスト高く、この水準では採算割れとなり、立ち行かなくなる。それでトランプ大統領は困っているのだ。

CRB指数も123と1月の高値から33.9%下落し、過去40年では最低である。当指数は1967=100としていることから、53年経過しても23%の上昇にとどまっている。2度のオイルショックで急騰したものの上昇は一時的であり、商品相場は名目GDPの伸びを大幅に下回っているのである。

利上げ観測が高まる2015年にCRBは大幅に下落し、その後低迷を続けていた。だが、NYダウは2016年代の初めに幾分調整したが、すぐに勢いを取り戻し、CRBとは異なる動きをしていた。

日経平均株価も1月20日の高値から31.3%、7,531円下落し、2016年9月第5週以来の安値だ。日本株は米株のコピー相場であるから、これからも米株如何である。大胆な利下げもまったく効かず、逆に火に油を注ぐ結果になった。意外性を重視するあまり政策実行の前倒しと大幅な利下げを組み合わせたが、ウイルス撲滅には役立たず、利下げは的外れだった。利下げしても、外出禁止令(カリフォルニア州)や在宅勤務の行政命令(NY州知事)など人の動きを制限する措置が取られるばかりで、経済活動だけでなく社会全体が沈滞してきている。

それだけでなく、米株はあまりにも高水準に上昇しすぎていた。暴落しているけれども、これは正常な状態に復位している下げなのである。過去最高値に至る過程は、トランプ大統領とFRBによる株価操作によるところが大きい。株式至上主義の米国経済の行き着いた株式バブル経済が適正な状態に戻るための道程なのである。それを阻止すれば、米国経済はますます歪になり、自己崩壊に追い込まれるだろう。

FRBの対応は、完全に間違いである。日銀も同じ轍を踏んでいる。株式を支えることしか念頭にない。すでに金利は低すぎ、資金をやり取りするときにも金利はさほど重要な要因ではなくなってきている。10年債利回りがすでに1%以下になっているときに利下げをしても、株式を買う材料にはならない。

新型コロナウイルスが収まるにはそれ相当の時間を要するはずだ。人に耐性が備わるには数ヵ月や半年といった期間ではなく、より長い忍耐が必要になるのではないだろうか。それによって、人の動きも長期間、制約を受けるかもしれない。自由な活動ができなければ、経済の歯車はかみ合わず、動きは緩慢にならざるを得ない。

ウイルス感染症の脅威に度々晒されてきている。2002年のSARS、2009年の新型インフルエンザ、2012年のMERS、そして今回の新型コロナウイルスと2000年以降でも4回のウイルス感染がある。そしてこれからも新型ウイルスがあらわれ人々の生活が脅かされるのだろう。

新型コロナウイルスの発生源はコウモリではないかと言われている。中国の辺鄙な本来ならば人と接触することなどない森に棲んでいたコウモリが、その棲家を人間社会に侵食されるにつれて、人の居住区まで近づいたことが、新型コロナウイルスの出現に関係しているように思う。自然界にはまだまだ知られていないウイルスが密かに出番を待っているのかもしれない。

人間の生産活動が活発になるにつれて、公害が大きな問題になったが、重化学工業だけでなく、大規模な農林業や牧畜も自然を傷つけてきた。開発によりそこに閉じ込められていたウイルスが文明社会に出没してくるのだ。自然を侵食し、手を入れることには常に反作用を伴うのである。地表の隅々まで人が入り込めば入り込むほど新たな発見もあるだろうが、禍もまた付随して出てくる。ウイルス感染症は文明社会の落とし子ともいえる。

新型コロナウイルスの出現は次々に新製品を開発販売し、自転車操業のような立ち止まることを許さぬ社会への鉄槌とも言えるのではないか。地球温暖化を危惧しているようだが、大量生産大量消費主義は貫かれ、膨大な製品が製造販売されているではないか。数年経てば買い替えし、新製品を求める。10年も使用されると経済がもたない仕組みなのだ。化石燃料でさえその消費量は減少していない。冷暖房なしには暮らせない社会は広がるばかりだ。口先では地球温暖化を唱えるけれども、企業や家庭でどれだけの対策が取られているのだろうか。

資本主義経済のこうした飽くなき生産と消費の拡大だけが、すぐれた経済社会ではないのである。ゆっくり歩むことのできる大規模ではなく小規模の経済社会、頻繁に買い替えするのではなく良質のものをじっくり長く使う経済社会、化石燃料からできた製品ではなく、できるだけ自然素材から作られた製品を使用する経済社会の構築を目指すべきではないだろうか。そうすればゴミの排出量も減少するし、ゴミも腐り自然に返すことができる。

新型コロナウイルスの行方を見通すことはできないが、言えることはこれからもウイルスの脅威は続くということである。途方もないウイルスが現れる可能性も否定できない。開発・生産・消費に明け暮れる生産活動を続けていけばウイルス禍の危険も自ずと高まる。

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曽我 純

そが じゅん
1949年、岡山県生まれ。
国学院大学大学院経済学研究科博士課程終了。
87年以降証券会社で経済・企業調査に従事。
「30年代の米資産減価と経済の長期停滞」、「景気に反応しない日本株」(『人間の経済』掲載)など多数