あらゆる情報媒体が新型コロナ関連のニュースを、大本営のように発表している。感染状況とワクチンに関する報道の垂れ流しである。右から左へ伝えるだけで、主義主張はほとんどない。感染者や死亡の情報がそれほど重要であるならば、物事には必ず表と裏があるのだからワクチンについても両面からの報道が求められるはずだ。日本のコロナ死亡数は累計で1万1,459人(5月15日現在)だが、厚生労働省の『人口動態統計』によれば、昨年の日本全体の死亡は138万4,544人、前年比9,373人減であった。今年2月までの2カ月間の死亡は前年同期よりも1.7%増加しているが、これだけ日々報道し続けているほどの変化ではない。肺炎(95,518人、2019年)や誤嚥性肺炎(40,385人、2019年)の死亡に比べればはるかに少なく、なぜ新型コロナにこれほど大騒ぎするのだろうか。
ワクチンが感染を抑える切り札だという。1年も掛けず、突貫工事のように作り上げたワクチンの安全性や有効性に疑問が湧き、接種によって新たな問題を引き起こすことは否定できない。遺伝子組み換えにより作られた遺伝子ワクチンを身体に取り込むことは、予想外の副作用をもたらすかもしれない。そうした症状がいつ表れてくるか予想することもできないのだ。農作物では遺伝子組み換えが頻繁におこなわれているが、こうした口から入ってくるものでさえ、不安は尽きない。ましてや、体内に注入するのであれば、体内で複雑な反応を示すなど危険性は甚だ高くなるだろう。
『新型コロナウイルスワクチン接種券在中』という封書が市役所から送られてきたが、その中に、「新型コロナワクチン予防接種についての説明書」(ファイザー社製)が同封されており、そこに「現時点では感染予防効果は明らかになっていません。ワクチン接種にかかわらず、適切な感染防止策を行なう必要があります」と記載されている。「感染予防効果が明らかになっていない」、「予防ができると考えられています」というあやふやな訳の分からない物質をワクチンとしてなぜ接種するのか、疑問は尽きない。
これまでにも薬害によって多くの人命が失われ、後遺症に苦しんだ人をみてきた。新技術により、十分な臨床試験を経ず、短期間に作り上げたワクチンを世界中の人に接種しているが、ワクチン接種を推進したことにより、ウイルスの変異を促し、ワクチン効果が期待できなくなる事態も予想される。
つまり、世界中でワクチン接種が実施されているが、新たな問題を作り出していると言える。過去のインフルエンザウイルスをみても、数年、人間の行動を限定すれば、事態は収まるものを、ワクチン接種で1日も早く経済活動を元通りにしたいという要求が強く、力づくで新型コロナを押さえつけようとしている。自然の力に立ち向かうという無謀な抵抗のように思われる。
強欲な資本主義経済と同じ発想が、そこには読み取れる。新型コロナの言わんとするところは、奴隷制度のような仕組みを駆使して、金儲け至上主義経済を続けることへのアンチテーゼではないか。また、地球温暖化に各国盛んに取り組んでいるが、それほどの危機感を共有しているのであれば、新型コロナは絶好の反地球温暖化を成し遂げるチャンスではないか。金儲け至上主義経済の格差拡大経済を修正していく契機としなければならない。私は人為的地球温暖化説に与しないが、それほど喫緊の課題であるならば、経済活動を抑え、化石燃料の消費を削減しなければならないはずだ。
しかし、一刻も早く、もとの経済活動に戻りたい一心なのである。新型コロナは世界の政治家や経営者のパラダイムの転換を提示しているが、転換ではなく存続・強化だという姿勢が強く表れている。巨額の財政支出、ゼロ金利政策などいずれも地球温暖化推進政策ではないか。経済成長を低下させ、化石燃料の使用削減を図ることが、地球温暖化を阻止するもっとも重要な政策なのだが、現実の政策は地球温暖化の推進なのである。
ワクチン接種にしろ、地球温暖化にしろ、世の中の大半が同じ標語を掲げ、それに邁進していくことに何の疑問を抱かないことこそ一番の問題だと思う。少し立ち止まって考えを巡らすならば、物事はそれほど単純に割り切れるものではないのだが。さらに結論にいたるまで、徹底的に検証されたか、というとそういう形跡は認められず、みずからの主張に都合の良いデータだけが取り上げられている。
早晩、新型コロナも弱毒化するだろう。だから、製薬会社は手っ取り早くワクチンを作り、新型コロナが弱毒化する前に、大量にワクチンを製造・販売し、創業者利得を得ることに全力を注いでいるのだ。そして、製薬会社と国は副作用等の被害がでても免責されるように、強制ではなく希望者だけに自己責任でワクチンの接種を進めているのである。
地球温暖化説にしても、これだけITをはじめとする科学が発達したと言われているにもかかわらず、一方通行の様相を呈している。地球温暖化説は二酸化炭素の放出量が増加し、濃度が高くなれば、それに連れて気温が上昇するという仮説に依拠している。だが、それでは、過去には今よりもより多くの二酸化炭素が大気圏に放出されていたことになる。約千年前の平安時代の気温は今よりも高く、さらに約1万年前の縄文時代の気温は平安時代よりも高かった。化石燃料をまったく使用しなくても二酸化炭素が多量に発生していたのだろうか。このことは、気温の上昇につれて、二酸化炭素の濃度が高くなるという主張に繋がる。地球の温暖化は海水の温度を上昇させ、海水からの二酸化炭素の放出量を増加させるのである。
いずれにしても常識のレベルでワクチンや地球温暖化のことを考えてみても、一方的な報道だけでは納得できない。もっと互いに激しい論争をすべきである。そうした過程を歩むことによってのみ、理解は深まるのだと思う。物事には両面があり、一面だけをみていると落とし穴に嵌ってしまうことになる。戦前の大本営発表となんら変わらない報道が今でも、なにの躊躇いもなく続けられているのだ。