緊急事態宣言を出す前に、政府はどれだけ真剣に現状を分析しているのだろうか。4都府県に限定し、期間は17日間という短期間では、大半の人が感染者数を減少させることは無理だと結論付けるだろう。7日、菅首相は宣言の延長を表明したが、期間は5月末までの20日間、新たに愛知県と福岡県が加わり、6都府県に広げた。が、地方での感染拡大がより深刻になっている状況では、6都府県に限定した緊急事態宣言では、感染を阻止することは難しい。
この期に及んでもまだオリンピック開催に拘る。切羽詰まってもまだ優柔不断な判断しかできない。判断を引き延ばせば引き延ばすほどリスクは高まり、コストも膨らむ。なぜこれほど国の判断は遅鈍で稚拙なのだろうか。
第2次世界大戦で広島と長崎に原子爆弾が投下され、壊滅させられて、やっとポツダム宣言を受諾する。これほどまでに徹底的に遣られなければ、決断がつかないという情けない習性は今も生き続けている。
イタリアは1943年9月に早々と降伏、ドイツもヒットラーが自殺(1945年4月30日)し、ベルリン陥落後(5月2日)の5月7日、降伏した。ドイツは降伏したが、日本の無謀な戦争は続く。日本では1945年3月10日の東京大空襲、3月26日からの沖縄戦などすでに満身創痍の凄惨な状態であった。それでも、戦争を続けたのである。1945年7月26日、日本にポツダム宣言が発せられたが、この時点でも、まだ決断できず、広島(8月6日)、ソ連の対日宣戦布告(8月8日)、長崎(8月9日)と徹底的に追い詰められ、8月14日、ポツダム宣言を受諾し、終戦に至った。半月、早くポツダム宣言を受諾していれば、原爆やソ連の侵攻もなく、どれほどの人命が救われたことか。負けが分かっていながら、遂行することで事態はより酷いことになる。
福島第1の原発処理も第2次世界大戦の降伏決断を引き延ばし、被害を大きくしたことと同じ轍を踏んでいる。すでにメルトダウンから10年を経過しているが、依然、デブリを取り出すのだという。一途にそう考えているのだ。世界でそのような作業は行なわれていないのは、溶け落ちた核燃料を取り出すことなどできないからだ。できないことをできると思い込まされて突き進んでいるだけなのだ。特攻隊の精神そのものである。達成不可能で浪費するだけの作業を延々と続け、人と資金を湯水のように使っている。
日銀の金融政策も思考はまったく同じだ。敗戦が濃厚という段階を超えて、絶体絶命になってもまだ負けを宣言しない日本軍の行動を踏襲している。繰り返し酷い経験をしていながら、その経験はまったく活かされていない。日本は戦前も戦後も変わりないのだ。
すでに25年ほど前から1%以下の超低金利政策を続けているが、効果が現れているのは株式と不動産くらいであり、実体経済には及んでいない。金融経済を肥大化させるばかりで、経済全体のバランスは著しく崩れてしまった。これほど長期間、ゼロ金利を続けても実体経済を強くできなければ、ゼロ金利を検証し、その有効性を問わなければならないはずだ。
2%の物価目標を掲げ、これを達成するために金融政策を実施しているが、超高齢化・少子化で需要が減退している日本経済で、物価が2%まで上がることを想定することは、現実離れした仮説である。できないことが分かっても、あるいは100%敗戦となっても、なお当初の方針を死守する。このようなことを繰り返しているのが、日本なのだろう。
新型コロナの政府の現状判断は甘い。世界中に蔓延していることに留意すれば、日本など狭い国土に人口が密集している国だから、日本の隅々まで新型ウイルス拡散しているはずだ。6都府県だけに緊急事態宣言を出しても、感染の抑制効果は期待できない。どのような過疎地でも、新型コロナは入り込んでいくのである。ましてや、都市部から地方への拡散が顕著になってきているときに、一部の都市だけに緊急事態宣言を適用するのでは片手落ちである。
地方の新型コロナ対策が遅れていることが、感染蔓延を加速化するかもしれない。あるいは、日本の感染拡大はまだ初期段階にあるのかもしれない。感染拡大阻止とオリンピック開催を同時に手掛けることは難しい。「二兎を追うものは一兎をも得ず」というではないか。結局は、オリンピックは開催できないとの宣言を出すことになるだろう。
ゼロ金利政策下でも貸出は伸びない。『預金・貸出動向』によれば、3月の貸出は前年比5.9%伸びているが、これだけ貸出が拡大したのは、新型コロナ支援事業として実質無利子・無担保融資を実施しているからだ。4月1日の発表では民間金融機関から22兆円が企業に融資されており、日本政策金融公庫と商工中金も14.2兆円、2.4兆円それぞれ新型コロナ支援融資をしている。新型コロナ支援事業を除けば、民間金融機関の貸出は1.3%に低下する。
一方、預金は3月、前年比9.9%と依然伸びは高く、前年同月に比べれば、73.2兆円増加している。企業に貸し出しても金融機関にはまだ多くの預金が残っているが、その多くは日銀当座預金に向かう。国民がせっせと貯めて預けたお金は日銀に預けられるのだ。そして、日銀はそれを元手に、国債や上場投信の購入、さらに貸付に使う。
4月の日銀当座預金は前年比29.7%の523.6兆円、前年よりも119.9兆円も増加している。新型コロナで日銀の貸出は急増しているが、それまでは国債と株式といった金融商品の購入が主な使途であった。日銀は金融機関から既発債を購入し、金融機関に資金供給をするけれども、金融機関は資金の使い道がなく、その金が再び日銀に戻ってくる。そのようなことを繰り返しているうちに日銀総資産は720兆円(4月30日現在)に膨れ上がっていった。
こうした金融機関から日銀、日銀から金融機関という金の流れを作っているのは、家計の貯蓄である。この家計の貯蓄がなければ、こうした流れは成立しない。特に、新型コロナ以降は先行き不安の高まりから従来よりも一層多く、家計は貯蓄している。他の事情に変化がなければ、貯蓄増はモノの売れ行きを停滞させ、棚には在庫が増加、生産も減産を余儀なくされるだろう。そして、GDPは減少していくことになる。
日銀が既発債の購入を中止しても、金融機関は有り余った預金が手元にあるので、新発債の購入を続けることができる。企業の資金需要が弱く、資金がだぶついていれば、金融機関は国債に資金を振り向けるしかないのである。
日銀や金融機関の存在を無視すると、家計の貯蓄はすべて国債の購入に向けられ、国債の売却により入手した資金を国は公共事業やモノに支出する。家計貯蓄の増加傾向が続くならば、国債発行も継続し、発行残高は拡大していくことになる。
2020年度の国債発行額は過去最高の112.5兆円、国債依存度は64.1%、国債残高・GDP比は183.7%といずれも最高更新である。2021年度の発行額は43.5兆円、2021年度末の残高は990.3兆円が見込まれている。だが、家計の貯蓄意欲は依然強く、43.5兆円の発行では貯蓄・投資バランスは取れず、大幅に増額されるだろう。
家計が巨額の貯蓄を続ける限り、国債発行も増え続けることになる。「国民貸借対照表」でみれば、資産と負債が積みあがるだけであり、債務超過にはならない。『国民資産・負債残高』によれば、正味資産は3,689兆円(2019年末)と1994年以降では最大であり、総資産に占める比率は32.4%である。日本のバランスシートは健全性を維持していると言える。
2020年の名目GDPは539.0兆円であり、民間最終消費支出は288.6兆円、GDP構成比は53.5%である。2013年の58.1%からは4.6ポイントの低下である。因みに、2020年の米国の個人消費支出・GDPは67.6%と日本よりも14.1ポイントも高い。つまり、(消費以外の部分)貯蓄が日本よりも少ないのである。日本は46.5%も貯蓄していることになる(G7のなかではドイツ48.7%が最高)。民間企業設備と民間住宅を合計すれば、その構成比は19.7%であり、残りの公的支出比率は26.7%(米国は18.3%)である。144.1兆円の公的支出がなければ、日本経済は成り立たないのだ。貯蓄が増加すれば、それに連れて、公的部門依存度は上昇せざるを得ない。日本はそういう国なのである。