日本株は完全に米株の写真相場である。政治が米追随であり、経済も米国を抜きには語ることができない親密な関係にあることが、日本株の動きを決定付けている。だが、あまりにも体格が違い、着る服も相当手直ししなければ着ることができない。大きなだぶだぶの服を着て、体に似合わないこと甚だしい。日本の体格に合う服を作らなければならないところを、そのままにしていた結果が、いまのようなみっともない身なりになってしまったと言える。
だから1989年末のピークから22年以上経過しているが、日経平均株価は1万円を割り込み、あまりにも低い水準をさまよっているのだ。米国追随から抜け出せず、日本の生き方を模索し、それなりに自らのスタイルを作り上げていくことができなければ、日本は経済だけではなく政治の分野を含めて、ますます衰退していくだろう。
混迷に拍車を掛けているのは野田首相だ。福島原発が手におえない状態にあるなかで、13日、福井県の大飯原発の再稼動が妥当だと判断した。地元が再稼動に賛成しても、第2、第3の福島を作らないために、再稼動を阻止することが政府の役割だが、野田首相は日本を核廃物で溢れさせる道を選んだ。
北朝鮮のミサイル発射をそれほど危惧するなら、国内にある54基の原発や六ヶ所村再処理工場の危険はどう考えているのだろうか。狭い国土に54基もの原発を抱えていることのほうが、ミサイル発射よりはるかに物騒で危険である。国内にこの上ない危険物体を放置したまま、ミサイル発射を非難するのは本末転倒もはなはだしい。
原発を稼動させれば膨大な核廃物が発生し、気の遠くなるような長期間、保管・管理しなければならない。国債とはわけが違う。核廃物だけでもどうにもならないのに、原発を動かすのである。原発を動かせば動かすほど、核廃物は溜り、日本は身動きできなくなる。このようなわかりきったことが分からない、正常な判断力を持ち合わせていない政治屋が政治的判断を下し、原発再稼動にのめり込んでいる。
福島原発を中心に広大な土地が放射能汚染に曝されているが、こうした被爆といった命に関わることは、だれも責任が取れない。国が責任を取るとしても、DNAの破壊の責任などだれも取れないのだ。いままでの幾多の公害訴訟を省みても、国が最初から責任を取ろうとしたことはない。まさに責任逃れに終始してきた国の行動や原発訴訟でも国の片棒を担ぐ裁判所の姿勢をみると、国が責任を果たすことなど考えられない。福島原発でもいまだ政府や東電のだれもが責任を問われず、刑務所にも収監されていない。法冶国家ではなくなった。北朝鮮を非難できる政府といえるだろうか。
政府は、原子力安全・保安院が数日間ででっち上げた安全基準を鵜呑みにし安全だという。安全基準で安全が保たれるのであれば、福島の事故など起こっていない。安全基準がたとえ完全なものであったとしても、原発のすべてを解体修理することなどできず、安全基準に達しているかどうかを人間がチェックできないので、安全とはいえない。だからコンピューターでシュミレーションする程度にとどまらざるを得ないのだ。だが、これでは安全基準に適合しているかどうかはわからない。なにしろ調べたいところは近づくことさえできないので、本当の状態は掴めない。だから、原発の事故は起こるべくして起きたのである。事実、今までにも数限りない事故が発生しており、稼動すれば、これからも事故が起こることは間違いない。原発事故をなくすには、原発を止めることによってのみ可能なのである。
机上の空論であるシュミレーションで安全だといい、さらに電力不足になるので再稼動したいという。だが、いま述べたように原発の安全などまったくお伽噺の世界のことであり、危険に満ちている。危険だが動かすというのが政府、経済産業省の本音だ。つまり、彼らは、命よりも原発や電力が大事なのである。命より大事なものはないのだが、彼らは命の上位に原発と電力を位置づけている。戦前の赤紙一枚で召集し、人間を物体のように扱い支配するのと同じだ。おぞましい人間が政治の中枢を支配している。
現状、ほぼ原発の運転なしで電力需要を賄えている。この状態を持続させたい。昨年の夏、東京などで電力不足が心配されたが、乗り切ることができた。原発事故後の電力供給見通しはその後、大幅に上方修正されたし、需要は節電の効果が顕著に現われた。湯水のように使用していたので、まだまだ絞ることができるはずだ。喉もと過ぎれば熱さを忘れるだが、まだ電力使用量を削減する努力を怠ってはいけない。
電力の供給体制を抜本的に改革する真剣な取り組みがなされていない。独占体制を崩し、相互融通ができる仕組みを作り上げる必要がある。原発を止めるだけでなく、電力会社の総括原価方式による杜撰な価格決定を変え、価格を徹底的に見直さなければならない。地球温暖化の議論に惑わされることなく、電力供給は自然エネルギーではなく高効率の火力発電で対応すべきだ。
大企業は原発再稼動に賛成が多数を占め、世論調査との違いがはっきりあらわれており、企業は異質な体質を依然持ち続けていることがわかる。企業は電力が不足すれば、深刻な影響を受けるという。だから原発を動かすというのは、身勝手で人間軽視もはなはだしく、いまだに企業優位の思考から抜け出せないでいる。原発の事故が起これば、途方もない多くの人と土地が被害を受け、何十兆円もの非生産的なコストが掛かる。
これまでの日本企業は電力が豊富にあったにもかかわらず、衰退の一途を辿ってきた。電力があれば企業は業績を伸ばすことができるとは言えない。電力が適度に供給される環境であれば、後はいかに知恵を絞るかである。電力不足や値上がりを心配するなら、グループとかコンビナートで自家発電所を造ればよいではないか。その前に、就業規則を守り、残業をなくし、ネオンを消し、自動販売機を撤去すべきだ。部分照明に切り替えることも電力コストの削減になる。東京から地方への移転も進めなければならない。まだまだ電力を削減する方策はあるはずだ。