北朝鮮は15日にもミサイルを発射したけれども、円ドル相場は前週末よりも3円も円安ドル高に振れた。「安全通貨」として円はもてはやされていたが、今回は「危険な通貨」に変身したのだろうか。短期間に理由付けは目まぐるしく変わる。8月の米CPIが前月比0.4%と予想を上回ったとはいえ、食品・エネルギーを除くコアは0.2%、前年比では前月と同じ1.7%であり、米国の物価環境は引き続き安定している。8月の米小売売上高は前月比マイナス0.2%と2ヵ月ぶりの前月比減である。ハリケーンの影響とも読み取れるが、米鉱工業生産指数は8月、前月比-0.9%と弱い。消費財は2ヵ月ぶりのマイナスとなり、特に、前年比では自動車が3.7%減と製造業の足を引っ張っている。
ゼロ金利政策によって自動車の需要は相当先食いされており、耐久消費財の需要低迷が米国経済拡大の最大の足枷になると睨んでいる。消費が拡大しなければ、米国経済は動きが取れない。どこの国でも消費需要が最大の需要項目だが、米国は特に消費への依存度が高く、いかに消費を喚起させるかに米国経済の浮沈はかかっている。だが、トランプ政権は消費を刺激するような政策を打ち出していない。これで金利を上げることになれば、米国経済は腰折れとなってしまう。FRBは物価安定で利上げの根拠を挙げることはできないだろう。利上げ観測はいつのまにか霧散し、円高ドル安傾向は持続するのではないだろうか。
北朝鮮が世界の非難・制裁にまったく耳を貸さないのと同じことが日本でもみられる。
原子力規制委員会は13日、東電が柏崎刈羽原発の6、7号機を運転することは適ったことだと判断した。原発事故で多大な犠牲を払いながらも、国と東電は原発の再稼働に躍起なのだ。まさに気が触れた暴挙としかたとえようがない。
東京電力は福島第1の大惨事を起こし、いつ収束するかもわからない事故処理に関わりながら、まだ原発を稼働させたいのだ。しかも溶けた核燃料を取り出すという。普通、これだけの大事故を起こせば、自主的に保有しているすべての原発を廃炉にすると宣言することが、社会に対するせめてもの償いになるのではないか、という行動を採るはずだ。放射能による被害は償いきれないが、2度と原発事故を起こさないためには、原発を捨てるしかないのだ。
原発を保有し稼働させれば永久に放射能から逃れることができず、放射能に苦しめられるのである。しかも10万年という途方もない超長期間、子々孫々に核廃物というとんでもないゴミを押し付けていくのである。そのようなことを平気でできる人は金正恩などの独裁者となんら変わりない。自分がやりたいことは国民のことなど歯牙にもかけず遂行する。これまでの東電の隠蔽、捏造、粉飾、改竄等の数々の行動からも、汚い手段を使わなければ使用できない特殊な原発の性質が浮かび上がってくる。
10万年も封じ込めなければいけない猛毒の発生を黙認し、猛毒の管理を民間企業に任せるという政策を自民党政権は続けてきた。非核3原則を謳いながら、原発という核物質を日本の過疎地に配備してきたのだ。過疎地が原発を容認したことはまったく愚かな決定であった。金を掴まされながら安全神話を鵜呑みにし、原発という核地雷を容認したのである。
原発という核物質は飛んでいかず、その場でメルトダウンする厄介な爆弾だ。そして敵の攻撃を受ければ、原発敷地内に保管されている膨大な使用済み核燃料が放射能を撒き散らすという身の毛がよだつ惨事となる。核爆弾が飛んでこなくても、核爆弾が炸裂するよりももっと強烈な放射能被害を受けることになる。海外からのテロを防ぐことより、国内にある原発がいかに危険なものであるか、こんなことはだれにでもわかることだ。
福島第1のメルトダウンでも風向きによっては、首都圏も住めなくなっていたかもしれない。1千万人が避難しなければならない事態を想定するだけで、原発が原爆と同じ、あるいはそれ以上の破壊力を持っていることがわかるだろう。国が戦争で破壊しつくされているシリアよりももっと惨いことが起こっていたかもしれないのだ。
そのような自爆装置が日本には50個所以上ある。狭い地震国に危険極まりない原発という核物質が点在しているのだ。北朝鮮を非難する前に自国の原発という核物質を撤去しなければならない。
原発をすべて廃炉にしても炉そのものが高濃度放射線汚染物という核廃物にまみれているため、廃炉には巨額の費用を要する。原発だけでなく核燃料を燃やしたごみの処置がまったくのお手上げ状態にあることも、原発が世界に受け入れられない理由である。
北朝鮮の原爆と原発は同じものなのだ。ウランを燃料とし、燃やす速度が速いか遅いかだけである。原発の稼働は放射能をばら撒くことであり、放射能が大量に大気に放出されることになれば、福島のような大惨事になってしまう。北朝鮮の核実験は非難するけれども東電の原発稼働は容認する。なんと矛盾した思考ではないか。
東電は原発を廃炉にするなど頭の片隅にもないのだ。福島第1の事故を深刻に考えていないから、平気で原発稼働に動くのだ。本来ならば、東電はとっくに破綻しているのだが、国からの資金注入により、国家管理で経営が維持されている。そのことが自律できていないにもかかわらず、傲慢な態度としてしばしば表れるのである。
すでに国からの資金援助は累計9.5兆円(6月28日)に達しており、この先、資金援助がどの程度まで膨らむかは検討がつかない。だが、東電は骨身を削るのではなく、税金からの援助と電気料金の値上げで費用を賄う心づもりなのだろう。
東電の有価証券報告書によると、昨年度の従業員平均給与は822.1万円(44.7歳、平均勤続年数23.2年)と東証1部上場企業のなかでも上位である。2012年度には619.6万円まで引き下げられていたが、事故以前の2010年度の761.3万円を8.0%も上回っている。
国税庁の『民間給与実態統計調査』によると、2015年度の800万円超900万円未満の給与所得者は131.4万人、総給与所得者の2.7%に過ぎない。900万円超の比率は6.1%だから、800万円以下の給与所得者が91.2%を占めている。国から巨額の資金援助に頼りながら、なぜ高額の給与を払うことができるのだろうか。自らの力で償っていくという気概が感じられない。東電の体質は事故後も変わってはいないのである。