いまだれが東電を動かしているのか

投稿者 曽我純, 5月29日 午後6:50, 2011年

5月17日、東電は福島第1原発1号機のメルトダウンを発表したが、24日には2号機、3号機もメルトダウンしていたという事故報告書を発表した。メルトダウンが明らかになっていたにもかかわらず、国会論議の揚げ足取りに使われた1号機の海水注入中断と中断なしの報告。さらに、事故直後に計測したの放射線量データの隠蔽。大事故を起こしたけれども東電の隠蔽体質は少しも改まっておらず、以前と同じ体質を引き摺っている。メルトダウンの判断が遅れたことについて、「解析よりも炉心への注水の継続などを優先した」(松本純一、東電原子力・立地本部長代理)というが、事実を正確に把握しなければ、対処の仕方も分からないのではないか。メルトダウンしたかどうかわからないまま、平気で対処していた東電には呆れるほかない。

放射線量のデータ後出しには枝野官房長官も激怒したが、怒るのであれば、東電の内部にメスを入れ、情報開示を徹底させる手立てを講じなければならない。いまだに政府は東電のデータの在りかを掌握していないことが問題だ。事故対策統合本部を3月15日に設置したが、統合本部事務局長に4月15日就任した細野豪志首相補佐官は単なるメッセンジャーボーイなのだろうか。東電を指揮監督している様子はまったくみえない。

4月25日、原子力安全・保安院は東電に震災以降の原子炉データや被害・復旧の記録を早急に出すよう命じた。事故後1ヵ月半も経過して、このような命令が出される不手際もさることながら、命令が出てからも一向に情報開示が改善しない東電の不逞さ、組織としての体を成していないとしか言いようがない。

 そうした東電の体質がわかっていながら、政府は事故収束や情報開示に本格的に指導力を発揮している姿勢はみえない。本来、原子力安全・保安院や原子力安全委員会が東電を主導しなければならないが、いままで原発を安全だと思い込んでいたので、どこから手をつけていいのやら途方に暮れており、存在さえも希薄になっている。楽観主義者の集まりである原子力仲良しクラブでは、危機には対応できないことがあきらかになった。

核燃料を冷やすために注水しているが、圧力容器だけでなく格納容器も損傷しているため、放射能汚染水は外部に漏れている。汚染水を循環させる冷却方法を考えているが、外部に漏れている状態では完全に循環を行うことはできない。現場の放射能汚染を考えれば、機器を設置することができるのだろうか。このような状態がだらだら続くことになり、放射能汚染が深刻さを増していくのではないだろうか。原子力安全・保安院や原子力安全委員会はどのように放射性物質の拡散を防ぎ、原発を収束させようとしているのか考えを出すべきだ。

原発推進派だけで事故収束はお手上げなのであれば、了見の狭い姑息な考えを捨て反原発派も呼び込み、日本の総力を挙げ取り組む必要がある。経済産業省の息のかかった情実人事が行われ、適材適所が実行できないのであれば、原発を封じ込めることはできないだろう。

 東電発表のリストラ内容はとても被災者を納得させるものでない。実質的に破綻した企業とは思えない軽いリストラである。東電にはいまだに顧問が21人もおり、7月以降も13人が居座るという。事故現場では高放射線を浴びながら3次、4次・・の下請けが作業をしている一方、東電本社で仕事らしい仕事もせず、高給を受け取ることが罷り通っている。顧問のようなあやふやな地位がまだ許されていることは、それと同じような制度や組織が巨大な東電には存続していることを示唆している。

『民間給与実態統計調査』(国税庁)によると、2009年分の給与所得者の平均給与は406万円だが、電気・ガス・熱供給・水道業は630万円と業種別では最高であり、最低の宿泊業、飲食サービス業241万円の2.6倍である。『毎月勤労統計』には電気業の分類があり、それによると電気業の2009年平均月間現金給与総額は636,762円(事業所規模5人以上)と銀行(512,151円)を上回りトップである。調査産業計315,294円と比較すると約2倍である。09年度の東電有価証券報告書には平均年間給与(40.6歳、平均勤続年数20.7年、監督若しくは管理の地位にある者を除く)は7,578,077円と記載されており、毎月勤労統計の数値を12倍したものにほぼ等しくなる。東電は一般社員の給与の2割削減を打ち出しているが、毎月勤労統計の調査産業計並みへと半減させるべきだ。それだけで約1,300億円以上の賠償資金が確保できるのである。福利厚生費や資産の売却等によっても相当の資金が捻出できるのではないか。24日、「東電に関する経営・財務調査委員会」が閣議決定されたが、これまで自動的に利益が転がり込む経営を抜本的に改革し、厳しいコストカットを行うことができるかどうかが問われている。 

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