大地震と原発の崩壊で為替、株式市場は大きく揺れた。地震と原発は日本経済に大打撃を与え、元の経済水準に回復するには数年を要するだろう。多数の人命が失われ、精神的ダメージは計り知れず、地盤が沈下しているなど、元に戻らないところもある。原発が収束に向かうのか、メルトダウンがさらに進行し、破局を迎えるのか、によっても日本は大きく左右されるだろう。
円ドル相場は16日のNY市場で一時76円25銭まで円が急騰し、1995年4月19日の79円75銭を約16年ぶりに更新した。投機業者の円買いの動きにみんなが乗り一気に円高に進んだからだ。ヘッジファンドなどの投機業者の為替売買プログラムには過去の地震直後の仔細なデータが入力されており、単にそれに基づいて売買した結果が、このような円高ドル安になった。ファンダメンタルズでは、日本経済は悪化するのだから、円は売られることになるけれども、短期的にはコンピューターのプログラム売買(円買いドル売り指令)が市場で優勢になったのだ。プロの投機業者にアマも追随していったのである。
このような大惨事が発生したときに、頼れるのは過去にどのようなことが市場で起こったか、ということぐらいしかたいていの人は考えられない。阪神大震災後に円高に突き進んでいるので、市場参加者は、今回も同じようなことが起こるだろうと予想したことが、円高の大きな流れを作ったはずだ。だから、一旦円買いドル売りのプログラムに基づき売買が執行されてしまうと、その後、円高ドル安は長くは持続しないはずだ。しばらくすると、地震・原発が日本にどのように影響するかわかってくるので、そうした通常の情報を頼りに売買する姿勢が強くなり、コンピューターによる猛烈な円買いという一時的な偏った売買は影を潜めることになる。
18日、G7は急遽電話会議を開き協調介入を発表したが、当局はプログラム売買の短期的な特性を十分に理解していないのではないか。16日に付けた76円台は瞬間であり、同日、NY市場は79円60銭で引けており、介入などしなくても元の水準から大幅に乖離することはない。今回のようなM9.0という大地震は市場でなかなか消化されず、円高期待が円高をもたらすという形で円高が進行していった。だが、ファンダメンタルズと異なる理解不能な現象など長期間続かない。期待だけに基づく不確実性の高い状況下で、そのようなポジションを長く持つとリスクが大きくなりすぎ、円買いのポジションをすばやく手仕舞わなければならないからだ。だから自然に円買いドル売りは収まり、急激な円高ドル安は修正されることになる。鳩首会議で強調介入したことは当局の為替にたいする知識や能力の欠如を示すものだ。
さらに言えば、為替や株式が乱高下する原因を作り出したのは政府・中央銀行であり、彼らが放ったマネーが暴れ馬のように荒れ狂っているのである。日銀は14日以降、日銀当座預金を増やしており、18日には32.7兆円と前週比15兆円も増加している。貸出の前年割れが続き、金融機関は余剰資金の使途に困っている状態で、むやみに現金を増やしてなにになるのだろうか。そうした金が必要なところへ向う保証などなにもない。日銀がなすべきことは現金を被災地に確実に届けることくらいだ。為替や株式の変動を意識した行動にでたのであれば、市場を歪めるだけでありお門違いだ。ゼロ金利を長期間続けるなど、日銀の金融政策は限界点にとどいており、なにかをできるなど考えないほうがよい。
日本の生命保険会社が外債などの有価証券を売っているから、円高になっているのだという話を聞くが、日本の超保守的な主体性のない生保などが、そのような行動を取れるはずがない。阪神大震災のときもドル資産を売却したような行動は取っていないし、そもそもそのような決断力など持ち合わせていない。為替・株式市場を牛耳っているのは外人であり、市場が激しく変動したのは、かれらが円買い、債券買い、株売り注文を出し、その動きに国内勢は釣られて動いているだけだ。
日本株についても為替と同じで、2日で16.1%も急落したのは外人の売りである。そもそも外人が東証1部の売買高の6割以上を占めていることから、日本株市場は完全に外人の領地なのである。決断力に乏しい日本人には株式や為替のような相場には向いていないのかもしれない。おまけに資産運用の歴史も短く、運用者の質にも問題がある。生保や銀行などが為替や株価の変動に一喜一憂するようでは困るのだ。
自由に変動することによって均衡に至るという理屈に基づき作った市場を「想定外」という言葉ですべてを反故にすることはとうてい許されることではない。日本の90年代のバブル崩壊以降でも「想定外」の現象はしばしば起こった。金融機関は巨額の損失を抱え二進も三進もいかなくなり、国の介入でなんとか生き延びた。結局、「想定外」で行き詰まれば、あっさり自己責任は放擲され、国民が負担し面倒をみなければならなくなる。
市場主義がまったく貫徹できないにもかかわらず、小泉政権は米国の尻馬に乗り、規制緩和、市場万能を高らかに宣言した。だが、08年の米不動産バブル破裂により、日本経済の落ち込みは本家よりも激しく、米発の津波により国内経済はずたずたにされた。
今回の原発も「想定外」で処理されかねない。『原子力損害の賠償に関する法律』によると、賠償額は1事業所当たり1,200億円以内であり、それを超える場合には国が面倒を見ますということが決まっている。さらに「損害が異常に巨大な天災地変により生じたものであるときには、この限りではない」。今回の地震が「異常に巨大な天災」に当たれば、東電は賠償を免れることになるのだ。かつての巨大銀行が生き延びたように、独占企業は法律で存続できるような仕組みが整備されていた。
原発事故がおこらなくても、原発が稼動するかぎり核廃物は増加しつづける。国債の増加が憂えられているけれども本当に憂えなければならないのは核廃物である。09年度に原発で発生した放射線固体廃棄物は72,425本(経済産業省、『平成21年度 原子力施設における放射性廃棄物の管理状況及び放射線業務従事者の線量管理状況について』、一本=200リットルドラム缶換算)、前年比7.1%増である。年度末の保管量は3.9%増の648,453本と6年連続増である。これ以外にも「ふげん」、「もんじゅ」といった研究開発段階の施設、さらに加工施設、再処理施設からも核廃物は多量にでてくるのだ。実用原発だけでも保管量は牛乳パックで約1.3億本、国民1人当たり約1本抱えていることになる。
核廃物の増加によって放射能を浴びるリスクは高くなり、しかもこうしたゴミに永久に金を注ぎ込まなくてはならない。国債は国が借入れを印した紙でできた証書で、今は額面100万円であれば年1.2万円の利子がもらえる。が、核廃物はコストが掛かり、その上、放射能を完全に封じ込めることは不可能であり、生態系を汚染する。何千年、何万年もだれが保管するのだろうか。「想定外」を作り出しているのは、原発を作り動かしている国と電力会社なのである。「想定外」を非難しながら自ら核廃物という「想定外」の忌わしい世界を作りだしているのである。米住宅バブルを作ったのは金融機関であり、金融機関のでたらめな貸付が「想定外」を作り出したが、それと原発のメルトダウンや核廃物の問題は、当事者の思い上りから招いた人災という意味では同根なのである。
さらに酷いのは原発で働いている従業員の格差だ。福島第1原発の従業員は09年度、10,303人(経済産業省)いるが、このうち東電の社員は1,108人と全体の1割ほどであり、9割方は協力企業の人たちだ。雇用機会の少ない地元住民にとっては「安全な原発」で働けることは、安定した収入を得ることのできる職場であった。だが、これほど東電社員を少なくしているのは、人件費だけでなく、リスクの高い職場だからである。平均線量は東電社員の0.8ミリシーベルトに対して協力会社の社員は1.5ミリシーベルトと東電社員の約倍の放射能を浴びている。国際放射線防護委員会では1ミリシーベルトの被曝で将来10,000人に1人のガン発生が考えられるとしており(原子力情報資料室)、微量の被曝でもガンに罹るリスクは高いのである。協力会社の社員は1ミリシーベルトを超えており、将来、ガンが発生するリスクは東電社員よりもはるかに高くなる。
原発従業員の総計は83,489人、内訳は電力会社の社員9,210人、協力会社の社員74,279人と福島第1とほぼ同じ構成である。平均線量をみると電力会社社員、協力会社社員は0.3ミリシーベルト、1.1ミリシーベルトといずれも福島第1を下回っており、福島第1の職場環境が劣悪であったことがわかる。福島第1の協力会社社員は09年度で1.5ミリシーベルトだったが、2000年度には2.7ミリシーベルトも被曝していた。東電社員は0.8ミリシーベルトと09年度と変わらず、福島第1は放射能漏れが際立った原発だったといえる。
「安全な原発」といいながら原発の運転の大部分は協力会社の社員を使い、手の汚れる現業部門はほぼかれらに任せていた。大惨事になっても現場で働くのは協力会社であり、東電社員は傍観するしかないのだろう。社長がほとんど姿をみせず、情報開示が杜撰であり、停電の連絡も混乱をもたらすなど、会社のこうした動きをみていると、ますます人災の思いを強くせざるを得ないのは私だけだろうか。