GRSJ HOME / ライブラリー
青木講演録/自治体が破産するってホント?(3)

:(C)2002 Hidekazu Aoki & Yuuji Urasima,:

ヴェルグルの実験

1933年、オーストリアで人口4300人のヴェルグルという町でとんでもない実験をやった。その時の町長ウンターグッゲンベルガーが公務員の給料を「労働証明書」という債券で払った。公共事業にもこれを使った。この紙券は月末に額面の1%のスタンプ(シール)を貼らないと使えない。100円の券だったら1円のスタンプを貼らないと99円としか認めない。持ってれば持ってるほど価値が減っていくので、お金よりそれから先に使おうとする。(持越し費用がかかる)ということで月に12回人の手に渡った。逆に言うとその地域で12倍になっているということ。例えば、1万円があって、2回人の手に渡ると2万円使ったことになる。お金が何回転かするということはその町で財とサービスが余計に回ったということで、失業解消・経済復興・財政再建を同時に解決した。税金もこれで払えるようにした。1930年代は世界恐慌の真っただ中。この町は財政破綻していた。住民の2人に1人は失業者だった。

背景にゲゼル主義

このような「貨幣」が発行されたその背景には、シルヴィオ・ゲゼルという人が主張した考えがある。お金というものは利子などによって自動的に増えていく。または絶対減らない。しかし、人も含めてあらゆる物は老化し劣化する。最後は死に絶える。でもお金だけは違う。だから、お金もそういう風にしなさい。老化して劣化していくのが自然なんだから、経済もナチュラルな秩序に従いなさいと主張した。この考えにヴェルグルの町長が心酔して、実践した。それが見事に成功する。労働証明書の意義というのは、(1)地域通貨---ヴェルグルでのみ通用。(2)消滅貨幣---自動的に価値を減ずる通貨。(3)政府紙幣---自治体が発行したものをそのまま流通させた。この3つの性格があった。これを自治体の財政面から見ると、役所が借金をしているということ。直接借金を(支払いに当てて)渡してもこれは公債。普通、公債というのは、公債という債券を発行してそれを誰かに買ってもらって現金に代えてから、自治体は事業に使ったり、職員の給料を払う。ウェルグルでは労働証明書を職員や債権者に渡して、直接「借金」したということ。しかもそれは、時間がたつ毎に価値を減らす。逆の面から見ると、消滅貨幣なのでスタンプ収入(スタンプは自治体が発行)がある。なのでそれを償還財源に当てることができる。ということは、自分で償還財源をつくれる公債ということになる。そういう評価ができる。経済学者も財政学者もこういう評価はしない。こういう評価は私のオリジナルとおもうが、財政破綻に直面した自治体は、こういう形のものを発行しなければしかたないんではないか?

財政再建策の提案

財政再建の提案として、過去の借金はもう現金がないので払えないから借り換えるしかない。(1)借金は借りて返すしかない。もっともそれ以上増やさない。利払いを続けることは累積債務をどんどん膨らますことなので、これ以上の利払いはやめる。では、借換えの利息分はどうするか、そこで(2)利払いとPB赤字分に減価公債を当てる。PB赤字は財政ギャップのことなので、この赤字にも減価公債をつかう。つまり(いまはやりの)痛みを債権者に直接負担してもらうことだ。公務員も8000万円の高額の退職金をもらう人がいるが、例えば、一般の公務員の3000万円を超える部分を減価公債であてる。そうすれば、その人はすぐ使ってしまうはずだ。ただし、それだけで使うとそっちの方ばかり動いてしまうので、普通のお金と一緒に、3割とか5割、PB赤字分くらいの割合で混合流通させる。消滅貨幣に普通の円を付けて回してやる。そうしないと普通のお金が動かない。今は普通の円が回らない状態なので、こうすれば、こちら(減価公債)を回すことで円もまわることになる。最後に、同時に円との混合納税も認めることによって回収をはかる。自治体が自分で出したものを自分で回収するのでれば、債権債務が自動的に消滅するので、借金はチャラになるというわけです。そうとう大胆な提案だが、その位のことを考えないとうまく行かないのではないか?そのためそれを成功せるためには、将来の明確なビジョンを持たないといけない。

クリチバの挑戦

21世紀型資本主義の方向性では、どういう方向性を持てばよいか?いい例がブラジルのクリチバ市の挑戦だ。ここの社会改革は、交通政策の改革から始まった。いま市内循環のバス路線はどこまでいっても市内同一料金。乗り換えたら乗り換え券くれて、次に乗れる。しかし、これは市営ではなくみんな民営のバス会社。普通は公共交通機関として補助金を出す時は、どれだけ人間を運んだか、でだすが、ここが味噌で、クリチバ市はどれだけ長く走ったか(運行距離)で補助金を出した。すると、7つくらいの会社があるが、競って自分たち路線の運行距離を延ばそうとした。改革のターゲットをなぜバスにしたか?そこにバスがあったから、もしくはバスしかなかったから(笑)。つまり、既存のインフラらや施設しかなかったとしたらそれをどうしたらいいか真剣に考えた。ジャイメ・レルネル市長が出てきてからの話で、彼は社会改革の基本方針を4つ上げている。まず、(1)簡単。誰にでもできてわかりやすいこと。(2)迅速。すぐにできる、時間をかけずにできること。(3)楽しく。それに参加してたのしいこと。楽しければ参加したくなる。最後に、(4)安い、ということ。これらの4つの基本方針を守った。これはわれわれにとってもすごく参考になる。これからの政策評価をするときに、その政策はみんながいろんな手続をやらずに簡単にできるの?すぐにできるの?みんなが参加できるの?しかも安いの?これで政策評価をすればいい。いろんな主張、いろんな人たち、政治家が出てきてもこういうことを逆に聞いてみる。「あなたの政策はどうなんですか?」この4つの条件に当てはめてみる。たとえば、簡単で迅速でみんなが参加できるけど、えらい高いというのはだめ。すぐにできて、楽しそうで、安くできるけど、どうもいろんな条件をクリアしなければいけないな、これもダメ。そういうふうにシンプルに物事ができるのが最高の政策だとわれわれ側(市民側)が位置付ける必要があると思う。これから政策を考えたり、われわれが生きていく方向性をどのように考えるかということ。

自然資本の経済(ナチュラル・キャピタリズム)

これからは、生産性拡大を制限する方向で考える。今の生産性については、人的生産性や資本生産性をあげるつまり、投下した資本に体して産出がどれだけ多くあったか重要視されている。生産性の最大化とそれによって経済を活性化させようというのが今の小泉構造改革路線。とにかく生産性を上げて社会を効率化すればいいといってるだけ。生産性向上と言うのは3人で100の仕事をやっていたものを1人でやること。しかし、あとの2人は仕事にあぶれてしまう。そういう関係になってしまう。また、できたものは誰かに買ってもらわないといけない。しかし、失業したら物が買えない。ものを安く作っても買う人がいなくなれば、物がたくさんあっても売れない。この問題は、今のままの生産性論議では解決できないし、今の経済学はこの矛盾に答えていない。

生産性尺度の変更ヒト・カネ・モノ→資源

どうすればいいのかというと、投入資源に対して、廃棄物を最少にしながら産出を最大にする生産方法を考えないといけない。略して言うと資源をエネルギーと考えて、エネルギーを1投入することによってどれだけたくさんのものが産出できるのか、エネルギー効率をうんとあげていこう。それによって今までは機械でやっていたものを人手でやらなくてはならなくなるかもしれない。でもそれはそれでいいんですよ。その方がエネルギーが節約になれば。人間はご飯を食べれば、自分でエネルギーを出す。ガソリンを飲む訳ではない(笑)。しかし、現状は人間がご飯を食べて働かないで、機械にガソリンを飲ませて仕事をさせている。それを逆転させる。そうすると逆に雇用も改善される。ただしみんなでシェアしなければいけないので、ひとりがたくさんのお金を儲けるという世界にはならない。

生態循環に類似・適応する資源(リサイクル)

エネルギーや資源を投入すれば、かならず廃棄物が出てくる。これはしょうがない。今、ゼロエミッションというかっこいいことを言う。そういう思想はいい。しかし、現実の物理法則からいって廃棄物をゼロにすることはできない。全部うまく使ったとしても必ず廃熱は残る。その熱はどっかに捨てなければいけないし、捨てられなければ熱汚染になってしまう。だから、廃棄物を最小にするようにセットしながら、産出を最大にするやり方、方法を一生懸命考えないといけない。しかし、廃棄物を最少にしながら産出を最大にするやり方というのは、実は生態循環には備わっている。あるものの廃物があるものにとっては餌になり、栄養になるという循環がかならずつながっていて、最後の廃熱になった部分は大気圏の水と空気の循環、対流によって宇宙圏外に捨てられている。さっき紹介でゲゼル研究会といわれましたが、私はエントロピー学会にも所属している。つまりエントロピーの代謝機構が生態にはそなわっている。そういう機構が地球には備わっているので、それを真似たような、またはそれに適応するような資源サイクルを考える。あるいは、リサイクルする場合でもそれに適応する形で考える。今のリサイクルはそれにはずれているからリサイクルになっていない。アルミや紙をリサイクルする時もリサイクルすることで節約できるエネルギーよりも多くのエネルギーを新たに投入しているのでリサイクルになっていない。

所有から利用へ(世代間負担の公平性)

あるいは例えば、車を共同所有して利用する。または、共同で借りて利用するでもいい。自動車メーカーが所有するが、利用権に対しては対価を払う。一番は企業が全部所有することにすればいい。利用させようと思うと一台の車を何回も使ってもらう方がいいという指向になる。使うほうも共有すれば使用効率がいい。冷蔵庫、コピー機等、他にも適用できるものがある。一番いいのは住宅。住宅を借金して買わずに、借りればいい。住宅ローンのために自殺するなんておかしい。所有でなく、公共の物を生きている間だけ、借りるようにすればいい。そういう方向にもって行くべきだった。ところが、日本の経済は基本的には借金することで回っているので、住宅も借金させる道具にしてしまった。日本には住宅政策はなく、あるのは住宅金融政策ばかり。こういうところを変えるのが構造改革で、絶対変えなければならない。

(つづく)

GRSJ HOME / ライブラリー

2002 Gesell Research Society Japan: All Rights Reserved