汁講

地域通貨がたいそう耳目を集めていたころを思い返してみて、果たして地域通貨はその仲間を呼ぶ言葉を作り出すほどに、深さのある連帯を作りだしたのであろうか、と思うときがある。

というのも、柳田國男は、明治から大正にかけて、講から共済組合へと推移する地域社会の職縁や地縁などのさまざまな共同のあり方を研究するなかで、こう教えてくれていたから。

「”けやく”といふ言葉が東北地方などで友を呼ぶ語に用ゐられて居る。元は契約講の仲間といふ意味で、講中の者を呼び懸ける親しみを意味してゐるが、是は宛(あたか)も一つの兵営生活をした者が、戦友と呼び合ふのと非常に似てゐて、親しい愛情が含まれてゐる。尊敬しておやぢと呼んで居るところもある。漁夫などは互ひに”こて”と呼び合ふのも、御亭だか何だか知らぬが、元は講中仲間の親しみを現はす言葉に他ならぬのであつた。」(強調のルビがある箇所は” ”で引用者が囲った)
(柳田國男、「伴を慕ふこころ」、『明治大正史』世相篇所収)

講への関心や、なかには北米先住民のメンバの同等性を競い合い互酬性を特徴とするポトラッチなどまでもちだす人が地域通貨のなかにはいた。それへの連想から、一品持ち寄りの感じでポトラッチを理解する方もいた。しかし、それとの関連でいえば、たとえば、江戸時代の汁講について知る人はどれだけいたのかなと思う。近隣や仲間に食事を呼びかける人は鍋にいっぱいの汁だけ用意する。その他の食事は各自持ち寄るのだが、そこでの関わりの様子がポトラッチとはだいぶん違うのだ。

仲間を呼ぶ言葉が生まれこないうちは、そこでの共同は持続性のない、はかないものかもしれない。もちろん、共同は拘束的側面ももつから、はかない一期一会の自由を地域通貨の関係が理解していたとすれば、それは地域通貨のポジティブな一特質といえるかもしれないが、それでも、心持ちを同じくする者たちの呼びかけの言葉は生まれて欲しかったと思ったりする。

(森野榮一)

無尽講

マネーシステムや地域通貨に関心がある者にとっていちばん興味があるのは無尽講だと思う。起源は諸説あるようで、なかには中世、寺院が檀家を相手に組織させたもので、尽きることなくカネが湧いて出てくるから無尽といったとかと指摘する人もいる。

しかし、カネがからむと、人間の善人にも悪人にもころぶあやういその性も露見する。

江戸時代の考証随筆家、喜多村信節が文政13年に刊行した『嬉遊笑覧』にもそれが出ている。「無尽金を企 其上金子之肝煎等致し逐電仕むさぼりたる儀」で死罪になった者など、明和年間に無尽講が流行ったころの世相に触れているし。

此の頃はすでに現在あるように、無尽講は共済システムではあるが、掛け金を入札で落とし借り入れるような融通の仕組みで、「たのもし無尽と名付けて貧なるもの有徳なる者をかたらひ金を持寄座中に出し百両も二百両も積置皆入札を入 是を買取る有徳なる者は貧なるものにたかふ買はせ毎月金の利足とるを悦び貧者は持たぬ金を得るこヽちして歓ぶはやりものなれば いかなる人も五十口三十口無尽に入 扨又無尽好む人達は一人にして百口二百口するなり」とあり、貨幣経済が発展する江戸期にあって、財テクのひとつになっていた。

そんななかで、無尽をいましめる古老を喜多村が記録しているのは興味深い。

(下記引用、いい文章なので誤読を避けるために、文章の切れ目で改行して引用しておきたい。)

「己が有を有として貪らず
是先賢のいましめなり
夫(それ)無尽といふ事は貧なる者のたくみ出せる悪事なれば矛盾と名付たりしを
此わざ好む者が無尽と文字を書かへたり云々
人と中あしき事をむじゅんといふ
是により無尽のある年は必(かならず)国にさはがしき事あり云々
[この歳元和元年なるべし]見えたり同意して行ふ事を矛盾と呼むこといかゞなり
何ぞ其故ありしなるべし」

無尽の語源を矛盾とする説である。人と仲が良くないことを矛盾というんだ、無尽に熱中しているような世の中は騒擾の時にある、人があいまみえ約束を交わして行うかけひき、それは人の関わりの矛盾を示すのに、無尽といいかえる。どんな理由があるんだ、と。

カネである。カネの故であるといわねばならんなあ。

「己が有を有として貪らず」(古老はまるでムスリムのように語っているなあ)

い〜言葉と聞くか、辛気臭い言説と受け取るか。これも人が内に抱く矛盾であるかもしれない。

(森野榮一)

無情講

quoteoftheday2016-04-14 無情講

地域通貨が熱かった頃、それを説明するのに手を変え品を変えて説明しなければならなかった。それでその仕組みの有り様を説明するのに、大衆が何を必要とし、どのような組織や社会的枠組みを自発的に作り出してきたのか、歴史的事例を取り上げる機会もしばしばだった。

例えば、講である。これは、フォーマルに統治機構によって作り出されたものではない。あくまで衆庶がその社会的ニーズに応えるために自主的に取り組まれたものだ。

そのニーズは多様だから講の種類も多かった。貧者には身につまされる例もあった。例えば無情講である。なんで無情なのか。葬式を出す講だから。

「近き頃貧賤無禄のやから無情講とて組々をさだめ少ツヽの懸銭を集め其中に死の先だつものあればそのつみ銭を以て講中より合 のべ送り不足なき程にとり調ふ
[近ごろ此事大に流行り木魚講と称し大なる木魚に紐付て首にかけてこれを打ツヽ念仏をとなふれば其外これにつれて大声に念仏してのべ送りするなり(入子枕)]」

と、喜多村信節、『嬉遊笑覧』(文政13年)にあり。喜多村信節は文献考証家であり随筆家であったが、貧乏人が少しずつ掛け金を積立て、死んだら講中の仲間にのべ送りしてもらう光景が目に浮かびますね。

これ相互扶助の枠組みのひとつですね。信節が「入子枕」から引用している木魚講の文章もいいですね。

(森野榮一)

GRSJNews 2017年

2017年も押し詰まりました。本会会員のみなさまの研究にお役立ていただけるよう、本年は、GRSJNewsを再開いたしました。

GRSJNews No.83 2017年06月28日号
○ エレン・ブラウンの国家債務ジュビリーについて ほか。

GRSJNews No.84 2017年07月2日号
○ 日本のデジタル・マネー・プリンティング関連
○ ジョルジュ・ソレル、『現代経済への序』から

GRSJ News No.85 2017年07月15日号
○ ラウル・カッルリーロ、「貨幣主権、通貨主体、現代の貨幣と刑事法制度」について

GRSJ News No.86 2017年07月24日号
欠番

GRSJ News No.87 2017年09月01号
○ reading of today 2017-09-01マリア・アレジャンドラ・マディ、「ハイエクとデジタル・カレンシー」

明年はもう少し定期的に発行できたらと考えております。
MLで上記参照先をお知らせしましたが、会員各位で、お見逃しの方は、下記までご一報ください。
morino@tuta.io

自由経済研究、第46号、2017年11月25日刊、のご案内

自由経済研究、第46号、2017年11月25日刊が刊行されています。
目次
シルビオ・ゲゼル派の自然的経済秩序運動史
(1891ー1992/3年)(1) G・バルチュ
二分回路準備銀行制度
機能及び機能不全、将来の視点  J・フーバー
発行
ぱる出版
〒160-0003 東京都新宿区若葉1-9-16
電話 03-3353-2835
FAX 03-3353-2826
 
定価 本体1000円+税

「自由経済研究」第45号

「自由経済研究」第45号、2017年3月25日刊、が刊行されています。

目次

イタリアにおける租税控除証書提案と甦る租税証券の記憶 森野榮一

漸進的に解体された国家(下) シルビオ・ゲゼル

「アジアの子供の会」そして、スープカレー 乾 淑子

札を配りなおす–FDRモメント(2) 森野榮一

発行
ぱる出版

〒160-0003 東京都新宿区若葉1-9-16

電話 03-3353-2835

FAX 03-3353-2826
 
定価 本体1000円+税

「自由経済研究」第44号

「自由経済研究」第44号、2016年11月25日刊、が刊行されています。
目次
エンダービーの計算貨幣論に関する試論 結城剛志
漸進的に解体された国家(中) シルビオ・ゲゼル
札を配りなおす–FDRモメント(1) 森野榮一
発行
ぱる出版
〒160-0003 東京都新宿区若葉1-9-16
電話 03-3353-2835
FAX 03-3353-2826
 
定価 本体1000円+税

「自由経済研究」第43号

「自由経済研究」第43号、2016年6月15日刊、が刊行されています。
目次
漸進的に解体された国家(上) シルビオ・ゲゼル
シルビオ・ゲゼル派のNWO運動史 グュンター・バルチュ
発行
ぱる出版
〒160−0003 東京都新宿区若葉1−9−16
電話 03−3353−2835
FAX 03−3353−2826
 
定価 本体1000円+税

「自由経済研究」第42号

「自由経済研究」第42号、2015年10月25日刊、が刊行されています。

目次

アルゼンチンの通貨制度ーその利点と改善点(1893年)第一分冊(下) シルビオ・ゲゼル

五常講金貸箱と先祖株組合ー連帯経済回顧(2) 森野榮一

発行
ぱる出版

〒160−0003 東京都新宿区若葉1−9−16

電話 03−3353−2835

FAX 03−3353−2826

定価 本体1000円+税