「自由経済研究」第43号

「自由経済研究」第43号、2016年6月15日刊、が刊行されています。
目次
漸進的に解体された国家(上) シルビオ・ゲゼル
シルビオ・ゲゼル派のNWO運動史 グュンター・バルチュ
発行
ぱる出版
〒160−0003 東京都新宿区若葉1−9−16
電話 03−3353−2835
FAX 03−3353−2826
 
定価 本体1000円+税

自由経済研究、第37号、2012年6月刊

自由経済研究、第37号、2012年6月、が刊行されています。

特集 ワットシステム
大規模な破滅的事象後の復興のためのP2P経済 斎藤賢爾ほか
ぼくらのおカネをつくろうよ(下) 森野榮一ほか
社会主義の経済学と哲学 ノーマン・バリー

編集 ゲゼル研究会
発行 ぱる出版
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電話 03ー3353ー2835
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生き残りし者

一ヶ月経っても、大震災とその後の展開に気が落ち着かない。 
幾度も訪ねたことがある町の壊滅した光景をテレビで見せられ、思い出す挿絵が一つあった。 
第二次大戦の終わり、1945年にスイスのベルンで、シルビオ・ゲゼルの思想を紹介する書物が刊行された。 
「生き残りし者たちに、シルビオ・ゲゼルの思想」というゲゼルの言葉などを集めた平易な解説書である。 
その、「失意、信念、そして希望」という章に、この挿絵がある。
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いま震災と原発事故による黙示録に直面して、同じ状況にあるなと思う。生き残っているという気持ちを持つことから復興へ向かいたい。 (森野榮一)

quote of the day ドル崩壊の予兆?

アジアタイムスの金融危機に関する一文を読んだ。金融パニックがドル崩壊の予兆かもしれないとの議論が目にとまった。

「現在の危機と1929年のクラッシュとの間には平行するものが多くあるが、主要な相違は米ドルのグローバルな様相である。1929年には、ドルは上り坂で、まもなく世界の準備通貨として英国ポンドの影を薄いものにしていった。さらに米国経済は基本的にはたいへん強力であったので、1934年に米国は通貨を金に結びつけることができた唯一の大国であった。

以来、米ドルの特権化された「リザーブ通貨」の地位は米国の持続的な繁栄の主要な要因であった。このドルの難攻不落の地位が、米国の富の枯渇をごまかし、いまや公表された債務がGDPの100%近くにのぼるところまで米国国債を首尾良く増やすための米国の支配を成功させてきたのである。米国政府の債務の総量は、IOUや一時借り入れを含め、いまや驚異的な50兆ドル、GDPの5倍にもなっている。ドルがたんに別の通貨であったなら、このことはけっして可能ではなかったであろう。

しかし今日の危機で、ドルはグローバルな金融のドラマのなかで、おそらく主演俳優として最後の主役を演じている。別の、より強く、債務を背負い込んでいない通貨が舞台の袖で老いた紳士が最後の役目を終えるのを待っている。

ドルの崩壊は連邦政府が無視することで促進されている。米国経済を再構築し、生産性を取り戻し、インフレによらずに富を創造する政策を実行するのでなく、議会は単に、古くさい崩壊している建物にファイナンスしている。」(ジョン・ブラウン)

quote of the day 100%リザーブ

いま、昨秋の金融・経済危機を歴史の一こまにするかのような期待が、オバマの大統領就任の日に向けてふくらんでいる。噂では7000億ドルにものぼる経済刺激策が発表され、これが本年下期には経済を危機から脱出させるにちがいないという期待だ。

しかし、昨秋来経験している信用崩壊の現実は、より根本的な私たちの金融システムへの懐疑をもたらしているはずだ。

部分準備の金融システムが債務マネーをふくらませてきたことへの反省が、かつての大恐慌後提起された100%リザーブのシカゴプランへの関心を喚起している。

そんな折、「金融資本が産業資本を麻痺さる仕方:部分準備銀行業の役割」という一文を読んだ。文中に、ジョン・ホットソンからの引用を見かけたので、ちょっとご紹介。

「100%リザーブプランが・・・債務マネーを終わらせるだろう。・・・政府貨幣[法定通貨]が「良貨」である。なぜなら利子や債務とは無縁に流通に投ぜられるからだ。そうして改革の後、比較的僅かな置き換えの費用で貨幣の有用な機能が紙幣や鋳貨を歓迎されないものとする。・・・商業銀行が作り出す貨幣は「悪貨」である。なぜなら利付きで流通に投ぜられるからだ。そして誰かが利子の支払いを受け入れ、銀行が貸し付けを続ける意思がある限りでのみ存在するものにすぎないからだ。」(ジョン・ホットソン、「債務マネーシステムの終焉」[Hotson, J. “Ending the Debt Money System”, Challenge, March-April 1985, pp.48-50.])

quote of the day 090104

イスラエル軍地上部隊、ガザ侵攻。

第一次世界大戦に反対して暗殺されたジャン・ジョレスの言。

「雲が嵐をもたらすように資本主義は戦争をもたらす。」

ということなのかもしれない。

金融・経済危機で昨年、1バレル140ドル台から30ドル台まで急落していた原油価格は反転上昇の兆し。この2日には、WTIは46.34ドルをつけた。これにつられてか、コモディティ市場はどれも上昇に向かう気配だ。投機マネーが再びコモディティ市場に戻ってくるようなことがあれば、世界経済の不安定性は増すばかりだろう。

ケインズの『一般理論』第六篇末尾

「現在、人々はふだんと違っていっそう根本的な診断を待望しており、それを受け入れようとする気持ちはとくに強く、それが少なくとももっともらしいものであれば、それを試みてみることを熱望している。しかし、このような現在の機運は別としても、経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実践家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。なぜなら、経済哲学および政治哲学の分野では、二五歳ないし三十歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家やさらには扇動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。」

いま、根本的診断が必要なときではないのか。

quote of the day 081225 流動性の罠

深まるばかりの金融・経済危機のなか、各国中銀は競って政策金利を引き下げている。

しかしこれによって経済刺激の効果があるかはギモン。

いわゆる流動性の罠だが、「貨幣当局が利子率に対する効果的支配力を失っている」状況下、あらためてケインズの指摘の該当部分を振り返って確認しておくことも必要か。

『一般理論』、第15章、流動性への心理的および営業的誘因のなかで、こう述べられていた。

「利子率がある水準にまで低下した後では、ほとんどすべての人が、きわめて低い率の利子しか生まない債権を保有するよりも現金の方を選好するという意味において、流動性選好が事実上絶対的となる可能性がある。この場合には、貨幣当局は利子率に対する効果的支配力を失っているであろう。しかし、この極限的な場合は将来実際に重要になるかもしれないが、現在までのところでは私はその例を知らない。」(GT,p.207.)

私たちはケインズが見たことがなく、予測した事態を眼前にしているわけだ。

2004 Quote of the day

  • 「昨日の危機は明日の冗談だ。」La crise d’hier est la blague de demain(Herbert georges Wells)
  • 「凡そ學たるものは、いわゆる温故知新の道理てふものにて、古へを知りて今を知り、己れを知りて彼れを知り、四通八達至らさる所なからしむ、こを学問の本体とし侍る、それ故に学者いやしくも今を知らむとほつせは、かならす先つこを古へに考へ知らさるへからす、彼れを知らむとほつせは、必すまつこを(注:まずこれを)おのれに考へ知らさるへからさるものとす、故に今彼の西洋の學をなさむとほつせは、かならす先つ我か国古今のことを学ひそのうへ漢土の學を究め、しかして後ち始めて西洋の學を攻(おさ)むるを要すへし、近来書生の風習たる、都て己れの国のことを知らすして、徒らに彼の西洋の言語を学ひ、僅かに彼の書を読ミ、やゝ新奇のことなとを覚へ侍りて、己れは人の知らさることをも知れる顔にて、更になにらの考へもなく、ミつからもて足れるとし、常に意気揚々として人に誇る、いと片腹いたきことならすや、かく近来の洋学者と称するものは、往時の漢学者と称するものよりも劣り侍りて、実に(ケに:げに)その用をなすことなく、諺に言へるなま兵法は大疵の基なりとの譬(たとえ)の如く、却て害をなすことすくなからすと考え侍る」(西周、『十燈影問答』)

    こういう言は西周のような天才でなければ、容易に言い得ぬものですが、この国の知識人はまったく指摘される通りと思っています。農、環境等の分野にても然り。09:08:03morino

  • 「 あなたが電話をかける、クレジットカードで品物を買う、雑誌を購読する、税金を払う、どんなときでも、その情報はどこかのデータベースのなかに入っていく。そのうえ、こうした記録はすべて、リンクできる。だから事実上、あなたの生活の一つの調査書類ができあがる。あなたの医療や金融の履歴ばかりでなく、あなたが買ったもの、旅行した場所、交流した相手もだ。さまざまな組織があなたに関して保持するファイルのすべてを知ることは不可能だし、いわんやその正確性を保証したり、それにアクセスできる者をコントロールすることなどできはしない。各種の組織がそれら自身のためにさまざまな源泉から記録をリンクする。確かに、ローンの申し込みを受け、ジョン・ドウが過去二年間、四種の似た貸付に滞納がないか知ることは銀行のためである。こうした情報を銀行がもつということは、銀行が不良貸付のコストを転嫁するその他の顧客を助けもする。そのうえ、こうした情報は支払い履歴が完璧なジェーン・ロウが、彼女がこれまで一度も見たことがないお店で支払い口座を作ることを可能にする。しかしながら、その同じ情報が悪人の手に握られると、ビジネスの防御も顧客へのよりよいサービスも提供しはしないのだ。泥棒は盗んだクレジットカード番号を使い、犠牲者の支払い記録上で取引をする。殺人者は政府が保持するアドレスコードを調べてターゲットを追いつめる。別のレベルでは、合衆国国税庁はメーリングリスト運営会社が集めた家計所得の見積もりに基づき監査する納税者を選びだそうとした。個人に関してさまざまな組織が集めた増え続ける情報がリンクされうる。なぜなら、これらはどれも、米国では問題となる個人を識別するために社会保障番号という同じキーを使うからだ。この識別子に基づいたアプローチは必然的に個人の自由をトレードオフする。(その関心が彼らを詐欺から守るためか、マーケッティングの目標を決めるためかにかかわらず)組織がもつ情報が多くなるほど、人々が保持するプライバシーとコントロールはより少なくなる。・・・」
    (デビッド・チャウム、「電子上のプライバシーを実現する」、This article appeared in Scientific American, August 1992, p. 96-101.)
  • 「由来我公同自治の典制は、民衆が適所に就き、隣閭修睦して自ら治まるのであれ
    ば、其政治的施設は、只だ善く自ら治まる可く仕向くるが常例であり常則である。故
    に大化令に於いて善く古来の成俗を正たし、井伍互に相検察するの法典を定められた
    ものにして、其遺習は我邑里構成の根基を成し、戦国喪乱の時代に於てすら「民の自
    ら治まる所に随ひ之を統ふ」と云う根本大是を立て、邑里民衆に対しては、成る可く
    官の干渉を避けたものである。若し万事都て官吏の手に治むるとなれば莫大なる政費
    を要し、其負担の為に民衆を苦しめ、是に依り非違奸濫紛起し、遂には一民一官を付
    するも及ばさるに至ると誡めてある。」(権藤成卿、「制度の研究」、第二巻、第三
    号、昭和11年3月号)

    古来の誡めを知るべきときか。

  • 「世界のあらゆる国の貨幣制度において、各マルクにつき年間10プフェニヒの税を 共同社会がこのマルクを所有する者の負担で課税する。そのマルクが事業所のレジス
    ターのなかにあるか、ストッキングのなかにあるか、銀行に保管されているかは問わ ない。

    ・・・ 貨幣が商品とみなされず、商品所有者たちに商品交換の調停者とみなされるなら、そ こで、その交換に貨幣を調達するのはだれであろうか。もちろん、貨幣の保有者であ
    る。それで取引で扱われる商品は交換される、すなわち他の商品と交換され、商品の 製造者は貨幣がその交換を媒介するものと前提し、それゆえ、貨幣が存在しなければ
    商品は販売されず、交換されなくなる。しかし、交換を媒介する貨幣の保有者は彼が 好むときに商品を購入することができる。彼は今日それをなしうるし、明日すること
    もできる。まったく彼は強制されることがない。商品は打ち負かされ、彼はこれを無 価値なものにすることができるのだ。彼は商品 に優位し、実際上その所有者である。なぜなら、彼は商品を交換に従わせるであろう
    紙券を持っているからだ。

    貨幣が商品と区別されずに、傷み、商品のごとくさび付くなら、貨幣は商品と同じ関 係のなかで苦しみ、商品が死ぬのであれば、その配分者である貨幣もまた死ぬ。商品
    が死ねば、その交換の媒介物であることがその存在目的、存在資格である貨幣も死ぬ のである。商品の販売を通してのみ製造業者はその所有者である。なぜなら販売のみ
    が所有権を、またその代金を彼にもたらすからである。」(シルビオ・ゲゼル、『社 会国家への架け橋としての貨幣制度における改革』、1891年、ブエノス・アイレ
    ス)

  • 「貨幣は決して統計ではないし、動的なシステムである。通貨は動き(Tat)なのであって、物質ではないし、今日まで間違って、人が金本位に期待したような貨幣をなす金属の自動的副産物でもない。」(シルビオ・ゲゼル)
  • 「凡そ負債者も、乙酉の年より以前の物は利を収めること莫かれ、若し既に身を役せられたる者あらば利のためにまでは役せらるヽことを得ず」(持統天皇元年丁亥の詔、権藤成卿、『農村自救論』より重引)
  • 「我々は敵を一人殺害するにつき32万2千ドル使っていると見積られている。
    米国におけるいわゆる貧困との戦争で<貧者>に分類された人間一人につき53ドルしか使っていないのにだ。それにこの53ドルも多くは貧者でない人間のサラリーに消えていく。我々はベトナムにおける戦争をエスカレートさせてきた。そして貧困に対する小戦闘を縮小してきた。我々が殺戮を止めねばならないとするなら、我々が変わりうるどのような生活を望むのか、その構想が問われている。」マーチン・ルーサー・キング・ジュニア、「ベトナムにおける戦争の諸原因」、1967年2月25日。
  • 2004-02-28市場経済と資本主義の相反性について
    「’資本主義’という表現は’市場経済’と同義ではなく、市場経済の独占的逸脱と 同じである。当然にも人は完全競争の市場経済を’資本主義’と呼ぶことに反対する
    -19、20世紀の「資本家的」と名付けられた経済の病理学的退行の形態つまり実 際の競争経済の実効的な対立物を強調する。しかし、もしそうであるならば、こうし
    た歴史的退行には異なった別の用語が必要である・・・したがって我々は完全競争の 自由な市場経済から、・・・つまるところ我々が「資本家的」と呼ぶ19,20世紀
    の退嬰的な補助金に頼る、独占的で、保護主義的で、複層化した経済を区別する。」
    (aus dem Nachwaort von Sibylle Toennies “Die liberale Kritik des Liberalismus”
    zu Prof. Dr. Alexander Ruestow(1885-1963): Die Religion der Marktwirtschaft,
    Muenster 2001. Walter Eucken Archiv — Reihe Zweite Aufklaerung Band 2.S.179-180.
    Besonders empfehlenswert ist das Kapitel “Der dritte Weg” auf den
    Seiten 41-100 dieses Buches.)
  • 2004-02-28市場経済と資本主義の相反性について
    「’資本主義’という表現は’市場経済’と同義ではなく、市場経済の独占的逸脱と 同じである。当然にも人は完全競争の市場経済を’資本主義’と呼ぶことに反対する
    -19、20世紀の「資本家的」と名付けられた経済の病理学的退行の形態つまり実 際の競争経済の実効的な対立物を強調する。しかし、もしそうであるならば、こうし
    た歴史的退行には異なった別の用語が必要である・・・したがって我々は完全競争の 自由な市場経済から、・・・つまるところ我々が「資本家的」と呼ぶ19,20世紀
    の退嬰的な補助金に頼る、独占的で、保護主義的で、複層化した経済を区別する。」
    (aus dem Nachwaort von Sibylle Toennies “Die liberale Kritik des Liberalismus”
    zu Prof. Dr. Alexander Ruestow(1885-1963): Die Religion der Marktwirtschaft,
    Muenster 2001. Walter Eucken Archiv — Reihe Zweite Aufklaerung Band 2.S.179-180.
    Besonders empfehlenswert ist das Kapitel “Der dritte Weg” auf den
    Seiten 41-100 dieses Buches.)
  • 2004-02-28私がそれを指摘した最初ではないが、共産主義を破った資本主義は民主主義に対して同じことをしているようにみえる。市場は立派に振る舞っているけれども、我々はそうではない。Ian
    Frazier
  • 「しかしアーヴィング・フィッシャーは銀行貨幣を考慮して貨幣数量理論 を厳密に論述した最初の人間たちのひとりとしてよく知られている。1911 年の『貨幣の購買力』で、彼は有名な交換方程式 MV+M’V’=PTを
    提起しており、そこで彼は預金通貨のMと信用貨幣のMにつき、異なった速 度VとV’を区別している。取引量が独立な仕方で決定されると仮定すると、 たとえば需要と供給が唯一相対価格の動きを説明するような一般均衡理論
    におけるような場合であるが、決済の習慣や金融機関がVやV’を決定し、M’ は準備金の倍数であり、それで、一般物価水準Pは貨幣創造に比例して変化 する。人はもっとも伝統的なマネタリストの議論を知ることになろう。米国の歴史
    に刻み込まれた、60年代の「緑背貨幣(グリーンバック)」から「大インフレ」へ の エピソードである。これについてエールの経済学者(フィッシャーを指す)は現代の
    理論家がいうような諸個人の行動やポートフォリオの選択よりも金融機関の役割 を強調している。」(Robert Boyer, D’un krach boursier
    a l’autre: Irving Fisher revisite, 1988.)
  • 貨幣は鉄道のようなものだ、単に商品交換を媒介する国家の仕組みにすぎない。これを利用する者は誰でも利用料金を支払わねばならない。(シルビオ・ゲゼル、『貨幣の国有化』、1892年)
  • 『貨幣に関する座談会答問抄』より。2004-01-21

    「問貨幣政策の具体的な目標--実行標準を問う。答物の価値は都て貨幣を以てその標準をとる。その合理不合理の議論は暫く措き、地球上に国を成したる各地域の各範囲内に於ては、金若しくは銀を以て貨幣の本位を定めている。それから産とは動産不動産であるが、これを細別すれば、その種類性質甚だ複雑である。
    併し人類存活の物質、例えば土地の如き、また物資を製作するの機関の如き、また物資の取り扱いをなす機関の如き、また物資の流通配給をなす機関の如き、皆な産として価値をなすものである。そこで産そのものを占有していれば自ら利益を取得さるるのである。而して貨幣は産そのものを占有する力を具備している。
    人類の心的、形的の労働は業である。衣食住物資製出の都ては皆この業の力に待つものである。故に業に対する政治的若しくは社会的措置が調斉を失えば、人類の共存は必ず不安全となるのである。経済の要則たる原料、労力、資本の均衡を全うするという意は、この義に外ならぬのである。併し資本力のみに特権の権力を認めてきた欧州の、近世幣帑組織を模擬した我貨幣制度は、今日の百弊続出を招致せし原因である。我国の現行法度に於て産そのものは如何なる程度に保証され居るや、また民衆一般の業、即ち労力は如何なる程度に保証され居るや、苟も彼れに利にして是れに不利なるものあれば、その調斉を破り、多数民衆の生存を脅威するに至るべきは、当然の結果と見なければならぬ。
    貨幣の占有者、その最も多く貨幣を占有している者は、謂ゆる資産家である。資産家は直ちに資本の供給者で、容易に産業の占有者となり、原料も直ちに資本権の支配に帰し、労力も亦資本権の支配に帰し、遂に人類の存活に利用されねばならぬ物資の配給は、その調斉を破り、今日の如き不自然界を現出する訳となる。
    我古来の産業制度は、単に民衆の衣食住を調斉する目的にあったから、法制の発布も亦この目的を離るるを戒めてあった。故に、資産に対する個人の特権を認めるのは己むを得ざる場合のみに限り、一般国民の職業に対し厚く保証を与えることとなっていた。これが大化以来、農地の売買、または宅地家屋の売買、または山林沢梁の独占が厳禁されて居った訳で、只だこの種の施設に依って貨幣の威力を緩和して、民衆の共存機関を保持したものである。
    明治に至って、我国も亦欧州式の私有財産制度に一変し、社稷全部の資産が恣ままに一部少数人に独占される事となり、法律の条規は随って之を保証して、株式会社日本銀行に、兌換発行の特権を与え、資本力万能の国となしたものである。
    その結果、農民ならざるものが農地を占有するを不合理としたる古制の大旨も、住宅の安定を以て民心和平の本源としたる政刑の目的も、全然滅絶し尽したものである。
    由来、共存共栄を以て社稷の要道となし、深く民物の独占行為を憎悪した我故俗が、現今の如き、農地兼併、住宅併有、山林も沼沢も幾んど余すところなく独占し、而かもその独占機能が時価を生じ、法律上之を有価物件と認められ、強制執行まで出来るようになり、そして謂ゆる資本主義機構の下、百事百般の梗塞、行詰りとなったのは、ただこれ異性異質の西洋文明を模擬模倣し、習慣を無視して不自然な制度を布いた結果である。
    日本には自ら日本の沿革習慣がある。何をするにも全く之を無視することは出来ぬ。仮令その沿革を襲わぬとしても、克くその利弊を明かにしてこれを決行せねばならぬ。明治の貨幣制度冊(原文はこの字にりっとうが付く字体)定は寧ろこの点の推究が漫然であったのである。」(権藤成卿)

  • 「かくてこの見方がどれほど簡単明瞭と思われようとも、しかし、 これを詳細な点にまで立ち入って展開するとなると大きな困難 に逢着する。われわれはほとんど一歩ごとに敵対的な見解に
    突き当たり、しかもこれらの若干は素人だけでなく専門家の一 般意識にも深く根を下ろしている。あるいはまた、われわれは 一見すると矛盾そのものと思われる結論に達する。私はこの
    困難をなんとか口先でごまかし去ろうなどとはせず、本当に 取り除こうと真面目に骨を折ってきた。しかし、もっと多くの文才 か、もっと多くの自由な時間をもっていたならば、すべてはまだまだ
    簡単に、平易にかつまた明確に叙述できたはずであったろうと思っ ている。」(ヨハン・グスタフ・クヌート・ヴィクセル、『貨幣利子と物価』、 1898年)
  • 「なにが事実なのか、繰り返し繰り返し幾度も、なにが事実なのか。希望的観測を避け、神聖な啓示を無視して、星々が示すものを忘れて、世評に近寄らず、隣人が考えていることなど気にかけず、想像しえぬ’歴史の審決’など断じて考慮せぬ、なにが事実であるのか、かくも無数の小数点以下の桁数にとって。君はいつだって未知の未来にいちばんに入っていく、事実だけが君のチャンスなんだ。事実を我が物とせよ。」(ラザルス・ロング)

2003 Quote of the day

  • 2003-12-07「物理学の教科書が学生から相対性理論や量子理論の革命を隠し、アインシュタインやプランクの支持者たちが追放者のように扱われる世界を想像してみよう。それはたいそう異なった世界であるだろう。その積極面はわれわれが「爆弾」をもたないということだろう。しかし、マイナス面は、レーザーや電磁波もなければ、あるいはより大事なことだが、われわれが住んでいる複雑な宇宙についてこうした諸革命が与えてくれた深遠な知識がわれわれには欠けているということだろう。幸いなことに物理学の教科書はそうではない。けれども、おそらく経済学の教科書はそうである。」(スティーヴ・キーン、「均衡と一体への固執」)
  • 2003-11-28大蔵永常、『広益国産考』、岩波文庫より

    「國産を拵ふる心得の辨余嘗て諸國遊歴せし折から見もし聞もせし事ども多かる中に、或領主の國にて産物の基を開かんとて、役所をたて奉行を置き、それそれ掛りの役人有て、いろいろの物を仕立て給ふ事あり。其一二をあげて云はんに、紙を漉かんとて、新に紙漉場をつくり、他所より楮を買入れ、餘國より漉人(すきて)を雇ひ、手傳の者をかかへ、漉立てさせたまへり。是は利を起すに似たれども、却りて損毛多し。夫紙を漉く事は農人農業の隙に稼ぎとするもの也。先十月十一月までに麥をまき仕まひて、夫より冬紙とて漉きはじめ、翌三月四月末麥刈頃まですく也。三月頃より水暖になりて紙の出来あしくなるゆゑ也夫より麥収納田植草手夏作にかかり、又八月より漉きはじめ、九月中頃まですき収め、稲収納にかかり、前に云ふごとく十月迄に麥を蒔き仕まひ、霜月より又すきかかり、春三月までに漉く事也。紙をすき出す國にては何れもみなかくのごとく農業の隙々に漉く物なれば、家内の人數少なくては漉く事できず。人を雇ひ入れては引合ふ物にはあらず。故に紙の利分といふは亭主壱人其日の働き賃百五十文にもあたり、妻女の賃七八十文、老父母五十文づつ、十四五歳ぐらゐの子供三十文位、合して三百文か四百文位の利益にあたる也。紙を漉かざる農家の男は家内縄をなひ莚を織り、女は蠶をかひ糸をとり、綿をつむぎ、機を織り、その外種々其國所にて農業の隙々の働きある物と同じ事にて、農隙(のうげき)に家内打ちより働きて賃を取るばかりにて、外にもふけとてなきもの也。故(かるがゆゑ)に人を雇ひ漉かせては引合ふものにてはなし。農家にて漉立てても捌口不自由にては益と成らざれば、其とき領主より買上場などを立て給ひて取集め、都會に出して賣捌き給はば、其ときは御益にもなるものなり。故に領主方にてすきては却りて損毛なりといへるは此譯なり。又一つに蝋燭鬢附油になる櫨の樹を植ゑそだて、國用丈も賄ひ、其餘國産になさんとて、實まきを仕立て、山をひらき、不毛の地をしつらひ、植ゑ給へり。されど實の撰びなく接木にあらざれば、三四年して實少々づつ生(な)るといへども少さく、且ならざる木多く、物入に引くらぶれば大ひに損毛なりとて退屈おこり、又其奉行轉役し、其跡役の人は心にそまずなげやりになりて、終に廢する也。或は勝手かた重役先役の仕かけたる事は廻り遠く、かつは物入等も多く別のことを思ひたちたらんがよかるべしとて、櫨の事は再び沙汰もなく廢して、その弊のみをかぞへ、罪をその者と土とに譲りぬる事あり。愚案に是等は利にのみ委しくして、法を知らずとも謂ひつべし。」

 

  • 「・・・対外債務については、いまこの瞬間、ブラッセルでヴァン・ツィーラント氏と交渉で復興のための借り入れ120億を申し出ているようにみえるシャハト博士が新生ドイツには借款の必要性はなにもないと述べているのは当然のことである。すなわち、ドイツはただ数多くの生産物を他国と交換したいだけである。自国の商品に対して同程度の消費したいと望むものを交換したいだけなのだ。

    わがプルードンは1848年にこういっていた。

    「ある国の生産物のある量を他国の生産物の等価な量と交換するためにいかなる貨幣も必要ではない。これは、貨幣がある国の生産物のある量と他国の生産物の等価な量と交換するのに必要ではないことと同様であるし、また、貨幣が二人の当事者の間で商品のある量を他者の商品のある量とバーターするためにも必要がないということだ。『交換券Bond’Echange』があれば十分なのだ。

    我々に事前の貨幣借入れを介入させることを促す銀行という悪質な周旋屋はそこでなにをすることになるのか。なにも種を蒔かなかった場所で刈り入れもせずに、寄生的な先取りをするのだ。

    ところで、この「交換券」こそが、生産者自身が、また彼らだけが確立する根拠こそが生産者の関心をひく。生産物を抵当とするproduitjustifie「交換券」でないものはなんであれ、担保を欠いたsansjustification「アッシニヤ」でしかない。・・・」(ジャン・バラル)

  • 2003-10-04全国的な年金運動が逆風にあっているとき、カリフォルニア州では再び、新たな、より複雑な万能薬、「ハムとタマゴ」計画が生み出された。その1938年版では、「ハムとタマゴ」は50歳以上のすべての失業者に「毎週木曜日に30ドル」の支払いを準備した。そのもっともユニークな性格は、それが模倣したアルバータ州での経験のように、あらゆる支払いが代用貨幣でなされ、流通させる目的で一週に一度スタンプの貼付が必要であるというものであった(Hollywood,CaliforniaPensionPlan,1938)。この計画の発案者はロイ・G・オウエンスとロバート・ノブルのようである。1937年遅く、ハリウッドの広告業者で才能あるプロモーターのウィリス・アレンがキャンペーン・マネージャーとなり、元リーダーのタウンゼントとシンクレアらからなる11人の理事会が組織された。1938年の夏までに、ほぼ80万人のカリフォルニア州民が11月の選挙のさいにハムとタマゴ計画を州民投票にかけるよう憲法修正を求める請願書に署名した。一方では、元リーダーのエピックとタウンゼント、それにシェリダン・ダウニーが、大統領の反対にもかかわらず、新たな人気取りを望んだが、上院議員の再指名の争いで上院議員マクアドーに敗れた。民主党の知事候補クルバート・オルソンはタウンゼント博士がこの計画に反対したにもかかわらず、これに賛成した。選挙でダウニーやオルソン、その他の民主党員は勝利したが、ハムとタマゴ計画は10万票の相対的に小差で否決された。
    僅差の評決はハムとタマゴ計画の推進者に1939年11月の特別選挙で再び挑戦させることになる。このときはより考え抜かれたプランが発表された。欠点ありと言われていたいくつかを取り除き、発行される代用貨幣の使用を促すよう設計されていた。しかし、老人たちは、また落胆を運命づけられた。前年の僅差の記憶が、より徹底した反対を組織させ、辛辣なキャンペーンののち、ほぼ二対一で勝利したからだ。
    (JosephE.Reeve,Monetaryreformmovements,1943)「ハムとタマゴ」計画は人間の経済75号に掲載されています。
  • 2003-10-01「私の見解では(ケインズの)「金利生活者の安楽死」はこれらすべてに対する厳密な回答であり、公正な資本主義に対する批判がもたらしたものである。利子から解放された経済は集合主義に対するオルタナティブではないのか。・・・」(ロイ・ハロッド,Roy
    Harrod, Dynamische Wirtschaft, 1949)
  • 2003-09-30「上記の諸示唆についての簡潔な議論で示されたのは、誰も満足のいく、確実なゼロバリア及び流動性の罠の問題を低コストで解決しうる「王道」を与えていないということである。
     グッドフレンドやブイター及びバニギルツォグロウが、その実現がゼロ・バリア問題の確実な解決でありうると主張するのはシルビオ・ゲゼルの理念である。本位貨幣並びに帳簿貨幣への課税によって、技術上の諸制限からゼロ・バリアの制約が存在するが、中銀によってマイナスのエリアに切り下げられうるのである。名目利子率の低位バリアは流動性のわなにとって必然的な条件であるが、流動性への課税によって最終的には確実に除去しうる。・・」(Norman
    Ehrentreich, Geldpolitik angesichts der Nullschranke der Nominalzinsen: Ein
    UEberblick, Zeitschrift fuer Sozialoekonomie 136/2003)
  • 2003-09-20「科学はすでにその役目を果たした。もし我々が物理的で傷みやすい富のよりよい配分を望むのであれば、これまでその目的のために用いられてきた諸手段よりもよい分配手段を見いださねばならない。別言すれば、貨幣システムをば、生活の物理的諸要因に関する現代の知に対応したものに改革しなければならない。正当化できぬ、全く異質な諸機能に加えて、所得分配に影響を与えているのは貨幣であるからである。富の収入が複雑な現代の諸方法によって生み出されるかぎりは、そしていっぱんに、種の時期から収穫までの、また、ある意図の開始から達成までの長い期間、貨幣ないしなんらかのその完全な等価物がこうした機能を果たさなければならない。必要なことは貨幣が正当な目的以外のどのような目的にも使われないようにすることである。」(Frederick
    Soddy,The inversion of science,1924.)
  • 2003-08-25住基ネットが本格稼働するようですね。そこでひとつ。

    「理想的な圧制はその犠牲者がそれと分からず自ら管理されるものだ。したがってもっとも完璧な奴隷とはこの上なく幸福に、かつそれと知らずに我が身を隷属させる人たちである。」(ドレスデン・ジェームズ)

  • 2003-07-24「諸国が豊かになるほどに、正貨なしで済ます状態となる。なぜなら誰にとっても正貨が交換券という名の一片の紙券によって表現されうる世界が存在するからだ」(ボアギュベール)

    昔の話ですので、ここで正貨とはespeces、貴金属貨幣の意。
  • 「交換銀行の名の下に知られている諸商業団体の基礎に 役立つ根本理念を定式化した名誉はマルセイユのマゼル 氏に属する。ひとがいやしくも彼に異議を申し立てようとす
    るのは看板でである。マゼル氏は1818年にその理念を 抱いていたし、1829年から、マルセイユやパリ、ブリュッ セルで交換銀行を設立した。彼はこうした種類の機関の
    もっとも熱心な推進者であり続けた。」 (Alfred Darimon, De la reforme des banques, 1856)
  • quote_of_the_day230703 Date: Wed, 23 Jul 2003 12:03:03 +0900 From: Morino,Eiichi 数年前にイタリアでSIMECというオルタナティブマネーを始めたGiacinto
    Auritiの 文章から・・・

    「貨幣価値をそのリザーブを使って正当化しようとの議論には深刻な欠点がある。なぜなら、価値の物質主義的概念に基礎を置いているからである。上記でわれわれが説
    明したように、価値は物質の所有ではなく、一時的な関係とみなされるからである。 なぜならそれは常に予測や予見からなっている。ペンが価値を持つ場合、われわれは
    書くということを予測する。貨幣もまたわれわれが購入することを予測するがゆえに 価値をもつ。通常、黄金の価値は金属の属性をもつものとして考慮され、従って、そ
    の「内在的価値」という誤った概念を登場させた。しかしどんな物とも同様に、黄金 はそれが価値をもつであろうとの同意を得てきたから価値をもっているのである。金
    属が伝統的に貨幣象徴とみなされてきたために、生みだされた価値が慣習上金属に付 与されてきたのである。」(Giacinto Auriti)

  • quote_of_the_day220703 Date: Tue, 22 Jul 2003 11:29:47 Morino,Eiichi
    おそらくは地域通貨の淵源の一つである フルクラン・マゼルの宣言の一部を引用 しておきます。 ・・・

    貯蓄は死をもたらし-交換は生命を与える

    宣言

     公衆の理性が真剣に進歩の諸手段の研究に専念しており、 交換のシステムが広範な基礎の上で、有利な諸条件のなか で実践に移されねばならないようにみえる今日、もはや私
    には沈黙を守ることは許されない。

     交換の理論の最初の提起者であり、1829年以来、私 はある協会によって我が国の厚生を現実化しようと企て、 その支店は少なくとも6か月のうちに我が国境を越えて広
    がり、商業企業の観点からみて驚くべき結果をみた。しか し、その生成が成熟することはなかった。フランスは人間 的な進歩を開始したが、けっして十分な準備ができている
    わけではなかった。そしてもう一度間違った方向へと向か い、明々白々たる真理の地平を知ることがなかった。私の 理念に広がりや、それに含まれる、さらにいうならその論
    理の力やその流れが要求する詳細を与えず、むしろ私はじ ぶんの仕事を中断した、待つためである。

     その後われわれは十分に前進した。誰もが時は来たとい う。交換とその、掲げられた旗幟の最初の擁護者は実践の 場に呼び戻される。私はここにいる!
     かつて我が著作で定めた以上の確信をもって、私は我が 周囲にあらゆるその理念の支持者たち、未来の闘士を集め る。かろうじて信仰をもつ人は、これらの人々が加わらな
    いとあえて告白するであろうか。

     私は真理の理念である交換を宣言する。・・・

    (フルクラン・マゼル、『交換の一般協会約款』、1849年) ・・・

  • 2003-03-24「この世界は厭わしい。愛することも見ることも能わぬ。いつの日か私が所有者であるなら、神と人間たちを作り出すであろう。貧者たちはどこでであれ、私を許すのだ!」(P.J.Proudhon,
    Theorie de la Propriete.『所有の理論』、これは遺作3部作の一つ)
  • 2003-03-08「それにしても、人々の決定がいかようのものであろうと、我々は事態を憂慮せずにおれる。個人はちっぽけなもので、ある点までは事態の進行を妨げるのは彼らにかかっているが、それをなしながらも彼らは自分たち自身を傷つけるだけである。人類(HUMANITE)のみが偉大であり、間違いを犯すことがない。さて、人類の名において、人類はもはや戦争を望まないということができると思う。」(P.J.プルードン、『戦争と平和』より

  • 2003-02-06 全 定根、「韓国における地域通貨の現状」
    「人間の経済」、第67号、2003年2月6日刊行予定)より

     韓国における地域通貨は、ちょうど1997年のIMF事態の危機を迎えて、全地域での 経済自立及び経済活性化そして失業救済等を目的に始まっており、現在は地域共同体
    の再構築やコミュニケーションの活性化 又は相互扶助等の多様な目的をもつ地域通 貨が2002年末現在、研究中のところも含め全国約20ヶ所のところで行っている。そし
    て現在全国の所々で地域通貨に対する関心が高まり、その運動や導入を始めようと慎 重に研究したり、試みているところも多い。しかし地域通貨が当初の意図通りに行か
    なく、活性化されていない地域共同体もあちこちある。これはつまり地域通貨を始め る前に十分な対話や討論そして実験等を経ないで急いで手がけたので、結局、開店休
    業になったわけである。そして地域通貨の種類もLETS型が多く、又LETS型としても、 通帳を使用することなく取引のすべてを事務局か運営委員会に電話をかけて知らせる
    形態を取っていた。つまりサービスを提供したい側とサービスを提供してほしい側、 また事務局のスタッフが互いに大変面倒で繁雑な作業を要求された。唯一、通帳を
    使っていて盛んになっているところは、忠淸道にある大田市の「HANBAT LETS」であ る。そして時間を利用したボランティア通貨や教育通貨もある。
  • 2003-01-15: 「われわれの誰にとってもおそらく十分には明らかでないこと は諸個人やとくに個々の消費者にとって 企業の行動との共謀の 程度である。・・・我が国のほとんどの人々、またどうやら
    『先進国』であるらしい世界の人々はその衣食住のすべてを生 産し提供することを企業に委任してきた。これにともなう問題 は自然自体やわれわれの自然の利用を懸念することがわれわれ
    の委任状の保有者によってではなく、われわれ自身によって実 行されねばならないということだ。実行することなしに心の有 り様や価値観を変えることは受動的な消費生活の別な仕方の無
    意味なぜいたくにすぎない。実際、『環境の危機』は個人的に かコミュニティにおいてか、人々が配慮もなしに与えてしまっ た委任状の責任を果たす場合にのみ解決されうる。もし人々が
    その経済的な責任のかなりな部分を自分自身に取り戻す努力を 始めるならば、彼らが見過ごすことなく最初に発見することは 『環境上の危機』がこんなことではなく、われわれの環境や近
    隣の危機でもなく、個人や家族のメンバ、コミュニティのメン バ、市民としてのわれわれの生活の危機であるということであ る。われわれが『環境上の危機』をもっているのはわれわれが
    食べたり、飲んだり、働いたり、休息したり、旅行したり、ひ とりで楽しんだりすることでわれわれが自然や神が与えた世界 を破壊している経済に同意してきたからである。」
    (Wendell Berry)
  • 2003-01-14: ・・自分の意のままになるNPOづくりを行政が仕掛けることは、NPOによる社会監視、新たな社会ニーズの発掘や社会サービスの提供といったNPO本来の機能を失わせることになる。しかも、行政とNPOの協働自体が歪められることにもなる。行政はコントロールできるNPOを作ろうと考えたりしないこと、市民側もそういう『官製NPO』を作ることに荷担しないことが求められている。良かれと思ってやることが、実はNPOが活躍できる市民社会を阻んでいるのである。」(「NPOってナニ? 第11回、官製NPO」、「おうみnet」第33号、2003年1月、P.1)
  • 2003-01-14: 「社会経済における流通はなにに基づいているのか。-貨幣。
    どのような原理がそれを動かすのか-貨幣。
    生産物に市場の門を開けたり閉めたりするのはなにか-貨幣。」
    (ピエール・ジョゼフ・プルードン)
  • 「貨幣はプラスの利子に導く3つの優位性を有している。
    1、貯蓄手段としてきわめて適しており、いかなる保蔵のコストも発生させない(ゲゼル)。
    2,それは貯蓄手段として高度な流動性価値を有してもいる(ゲゼル/ケインズ)
    3、他の交換手段、交換手法よりも格段に優れた取引コストの優位性をもつ(ゲゼル/ズーア)。これらの卓越性は貨幣を『交換の王座』(プルードン)につけ、貨幣に市場におけるジョーカーの地位を授与する(ズーア)。」(Klaus
    Schmitt, Geldanarche und Anarchofeminismus, 1989.)
  • 2003-01-12 :21世紀になったというのに、人を権威主義的に支配する左右のおぞましい傾向が目に付きます。
    ゲゼルの同志であったハンス・ティム「我々は柵のなかに押し込められたいかなる群衆にもなりたくはないし・・・また人種的ないし民族主義的集団をも望まない。」(H.Timm,
    “Zur Kritik der Freiwirtschaft”, in “Die Freiwirtschaft”,1925.)
  • 2003-01-12 アインシュタインで思い出しましたので、彼の文言をひとつ Morino,Eiichi

    「私はシルビオ・ゲゼルの魅力的な文体に熱中した。保有することが許されない貨幣の創設は所有をば別の本質的な形態で作り上げることに導くであろう。」(アルバート・アインシュタイン)[E.H.Schnell,
    Kapitalismus und Freiwirtschaft,1947, S.146.]

  • 2003-01-11戦争が近づいていますね。 どんな理屈をつけるにしても、戦争が強者による弱者から略奪に 変わりはないのでしょう。 そこで、経済学者、ヴィルフレート・パレートの文言をひとつ。
    Morino,Eiichi

    「歴史のどの時期でも・・・われわれはやり口の似た事実に気づく・・・それは一定の人間が他者 の財を領有するために策略を使うことを可能にするものだ。われわれが変わらなさとして主張しうるのは、人間の活動が二つの異なった仕方で行使
    されることを歴史がわれわれに明らかにしている ということである。生産ないし経済財の加工にこだわるか、あるいは他人が生産した財をs領有することに執着するか、である。様々な人々の間で、
    戦争は、古代ではいたるところで見られたが、強者が弱者の財を領有することを可能にした。そうした人々の間では、弱者から略奪することは法によるものであり、別の時代には革命によるものであった。」
    (V. Pareto, Manuel d’economie politique,1909)

  • 2003-01-10 Morino,Eiichi

    「現在、我々は”国家債務”にかかる利子を一日に百万ポンド近く支払っているが、その約三分の二は銀行が保有している。この利子が支払われる”元本”のほとんどは戦争の期間に帳簿記入で創造されたものであり、けっして現金のかたちで存在していたものではない。」(C.F.G.ギャロウェー、『豊穣の中の貧困』におけるペス・ヴィック、『国家債務』からの引用の重引。sans
    date. 戦前の書物です。)

  • お年玉QUOTE レオン・ワルラスもこう言っていました。 Morino,Eiichi

    「我々が享受している民主的で議会制の国家がこうした活動の水準にあるにしても、しかし経済的なまた社会的な理論の価値がそれが持つ機会には必ずしも依存していないとか、あるいは直接的には実践されないということが真実であると私は考えない。紀元2ないし3世紀のストア学派の何人かの哲学者は奴隷を解放するための道と手段とともに、奴隷制なき社会状態の厳格で正確な定式を与えたが、その計画がローマのあらゆる社会組織と矛盾することを人々に示し、どのような場合にもけっして適用されることはないであろうと主張する見事な役割を果たしたとき、短期的にみて人々が事物の秩序に満足する理由をもったにしても、そのことは彼らが真実と将来をもつのを妨げなかったのである。」(Leon
    Walras, Economie sociale,1885.)

  • 年始QUOTE 民族とはなにかに、年頭に当たり、思いをいたしておくのもいいかもしれません。
    そこで、グスタフ・ランダウアー、「民族問題に関して」、1915年に言及したトマス・ケラーの論文から一節を。 Morino,Eiichi

    「ランダウアーは民族の概念を実体からみる観点から解放した。民族は『ひとつの多様な関係』であるので、それは絶対性でありえず、その個性は一個の文化領域を形成するあらゆる諸民族との関係のなかでのみ決定される。それ自体として民族は存在しない。またひとつの民族の内部では異質な諸要素からなる、連合的な構造による関係性が形成されねばならない。こうした関係はさまざまな信念や確信による内部的な差異化である。人種ではなく、いわゆる関係をもつ個性や『類似性』、『差異における等価性』が民族を形づくる」(ThomasKeller,
    Die Personalismen der Zwischenkriegszeit und diedeutsch-franzoesischen Beziehungen:
    Wider die deutscheKontingenzscheu.)

  • 年末QUOTE 02年もそろそろ終わりですね。今年一年も全国各地の 地域通貨の関係者の皆様にはたいへんお世話になり
    ました。新しい取り組みがぞくぞく登場すると同時に、 そうした取り組みがさして話題にもならぬようなかたちで ごく当たり前に登場してくる時代になりました。
    その現場に居合わせていただく喜びのなかで体感 してきたものは、行き詰まったこの国の形式的な「民主 主義」ではなく、現実の多様性を尊重しあうなかで連帯
    関係を築き上げる実質的な民主主義の形成が始まって いるのかなというものでした。 地域や地域主義、分散型の社会経済などが語られはじめ ました。19世紀から欧州で始まった人格主義personnalismeや
    連合主義の哲学や思想がこれまでのように無視されるのでは なく、現実のなかで消化されてゆく時代がくるのかなという感じ がしています。 そこで、アッティリオ・ダネーゼの論文から・・・
    Morino,Eiichi

    「実際、もともとの民主主義システムはどちらかといえば量や 多数性、数字上の平均を偏重するものである。ひとが形式的 な民主主義から実質的な民主主義に向かって進化していき
    たいと感じるのはそのためである。エティエンヌ・ボルヌはこう 述べていた。『人格主義と民主制は相互に、事前に調和がある わけではないが、弛緩することなく調和を確立し、再確立する
    ものだ』と。そしてそのなかへと新-人格主義はかけがえのない 貢献をもたらすことができる。 -人格主義的民主制のために- 人柄(personne)を語ることは多元性(pluralite)を語ることと同じ
    ことである。人格主義は融通の効かない全体を包摂するような 仕方で市民社会を組織しようとは思わない。反対に、ありうべき あらゆる領域を保持することを望んでいる。
    ムーニエの意図しているところは民主主義に実質的な中味を 与え直すことである。形式的で量を重んずる民主主義、それは 1789年のイデオロギすなわち個人主義と抽象化の非嫡出の
    成果とみなされるが、それは少なくとも間接的な仕方で、貨幣が 支配する王国のなかで、自由と内発的に動き始める力を押しつ ぶしている。・・・」 (Attilio
    Danese, Critique de la democratie formelle et quelques idees neo-personnalistes
    pour l’avenir europeen)