GRSJ HOME < ライブラリー
中立貨幣、ディーター・ズーア教授の提案

:: 森野 栄一訳

現代ゲゼリアーナの代表的論客であったディーター・ズーアの「中立貨幣ネットワーク」については全文を配布する予定です。下記に訳出したのは、インターネット上に配布されている彼の議論の要約です。不注意から要約者がだれか調べ忘れてしまいました。お許しください(訳者)。

中立貨幣、ディーター・ズーア教授の提案

 故ディーター・ズーア(ドイツ、アウグスブルク)教授は現行の貨幣システムに対する批判と実行可能であると思われる解決をともに提供した。彼の批判はオリジナルなものではないく、シルビオ・ゲゼルやルドルフ・シュタイナー、アーヴィング・フィッシャー、ジョン・メイナード・ケインズなどの理念を総合するものである。しかし、彼の解決策、すなわち中立貨幣ネットワークの導入は極めて独創的に思われる。

ズーアによる批判の要約

 貨幣は情報と取引コストの節約のために導入された。AがBが必要とするなにかを生産し、BがCが望む価値ある物を生産し、CがDが評価するサービスを提供し、DがAが需要する財を生産すると仮定する。また、AはBとDにコミュニケーションを取りうるが、Cとはとりえない。BはAとCと連絡があるが、Dとはそうではない。CとDは連絡があるとする。ABCDが共通の通貨を使用するとき、取引は実行されうるが、共通の通貨がないときは、ABCDは共通のバーターが可能かどうか、一緒に協議しなければならない。貨幣の導入で、こうした煩わしい手続きを回避することができる。それは、迅速で匿名性を維持した取引を可能とする一種の経済的な潤滑油として振る舞う。そして、多くの参加者が集う大規模なバーターを別の時と場所で行われうる小規模な取引に分割することが可能となる。

 ひとたび貨幣が導入されると、分業は急速に進むことになる。なぜならわれわれは経済上の取引を実行するのにはるかに少ない情報で済むからである。しかし、この急速な発展はまた、貨幣への経済主体の依存をも導入する。取引連鎖のどこかの点で貨幣不足が発生すると、その連鎖全体が軋んで、停止する。もし、取引連鎖、A=>B=>C=>D=>・・・=>Y=>Z=>A(各矢印は次のパートナーが提供する財やサービスに対する支払いを示す)において、もし一人のパートナー、例えばBが貨幣をもっていないとすると、次からの取引はすべて不可能となる。なぜならBはCに支払う貨幣をもっていないためであり、CはDへの支払いが不可能になってしまうからだ。同じことが以下同様に続く。このような不足を回避するためには、貨幣が流れるのを維持することが重要である。Bが貨幣を所有していても、自分のポケットにしまい込みたいこともあろう。もし彼がそうするなら、Bに会うこともなく、彼を知ることもない人々の間の取引の連鎖全体が妨げられることになる。ズーア自身のいうところではこうだ、「貨幣をもたないたったひとりの個人が取引の連鎖全体を停止させうる。したがって、自分の貨幣を支出しないか、あるいは貸付けないたったひとりの貨幣保有者が、同様の効果から取引の全連鎖を苦しめることができるのだ。」

 こうする余裕のある人々は貨幣を「貯える」ことができ、不足を作り出すことができる。そうして、彼らは利子と引換えに通貨を必要とする人たちに貨幣を貸付けるのだ。結果として、経済活動は新たなスタートをきることができるが、しかし、彼が受け取る利子のゆえに、貸し手はより多くの貨幣を「貯え」、そして再び経済の機構を阻害することになるのだ。

 経済学者は利子が「時間選好」の代価であると主張することで、利子支払いを正当化する傾向がある。なぜなら人々は将来のある時点で貨幣を使うよりもいま支出するほうを好むものだし、支出をさき延ばしすることを受け入れるひとは節欲から金を作り出せるから、というのだ。しかし真理は異なっているように思われる。貯蓄は貨幣の不足を作り出すがゆえに、利子が要求されうるし、そして、貯蓄を選好することが支出を延期できる余裕のある人々に生まれるのである。

 事物のこうした状態を、地域の渋滞緩和のために作られた道路網と比較してみることができる。公の街路や道路がひとつも存在しないと仮定しよう。交通量は極端に扱いにくいものとなろう。旅行をしたい誰もが数多くの大土地所有者の土地を横切る許可をえなければならなくなるだろう。われわれは、旅行したいと望む誰にとっても開かれた、無料の公道やハイウェイを作ることで、こうした状態を避けるわけだ。

 こうした規制はうまく機能するが、一つの事柄のだめだけである。こうした道路網は旅行したいと望んでいるものたちに確保されているべきなのだ。例えば停止したいとすれば、道路を離れなければならない。道路の真ん中に車を駐車しようとすれば、道路を濫用することになる。道路は通行しようとするものたちに確保されているからだ。道路は駐車場ではなく、通行者を妨害し続けるなら快適な通行を危険にさらすのだ。

 われわれの貨幣もまた、ある種の道路のようなものである。ちょうど街路や道路が通行をたいそう容易にしてくれるように、貨幣という道路も経済上の通行を妨害が少ないものにしてくれる。これに反して公道を妨害しているとき利益を得る。貨幣という道路を妨害するとき報酬(利子)を得ているからだ。これは誰かが道路の真ん中に車を駐車したようなものだ。交通が妨げられ、その車を動かすのに貨幣が必要になるということだ。こうしたことが許されるなら、急いでいる者は余分な時間をもつ者に左右されることになるだろう。後者は急いでいる者から道路を妨害することで貢ぎ物をとることができる。ちょうど自分の車で渋滞を引き起こし、報酬が支払われなければ車を動かさないというようにである。

 実際の道路では受け入れられていないのに、なぜ貨幣という道路ではこうした貢租が許されるのであろうか。単純な理由が存在する。いまあるような貨幣は二つの機能を持っている。まず、それは経済取引の普遍的な潤滑財として振る舞う。この意味で貨幣はある経済上のプレーヤーから別のプレーヤーへと滞ることなく動いていく。だが、次に、貨幣は交換する力を貯える手段としても使われる。つまり貨幣は価値を保蔵するのに使われるのだ。貨幣は支出をさき延ばしすることを可能とする。しかしもちろん、この後者の機能には、貨幣が継続的に経済上のプレーヤーの間を流れず、長期間誰かの掌中に止まるということが含まれる。

 貨幣のこの二つの機能は経済的観点から受け入れることが可能で、合理的ではあるが、両者は両立不可能だ。われわれは二種類の貨幣を創造しなければならないだろう。それぞれの機能ごとに一つずつ、それも一つの機能からもう一つの機能に切替可能な貨幣を。こうした二種類の貨幣はすでに知られている。すなわち、「流動性通貨」ないし「貸付貨幣」である。

 流動性通貨を持つ者は己が掌中で価値を保蔵もできれば、貨幣的な流動性をもつこともできる。このことは彼が他者によって評価され(したがって購買された)なんらかの価値物やサービスを生み出したという事実を反映している。そしてそれゆえ、他者によって生産された価値物やサービスに対する請求権をもつことを示している。しかし貨幣的流動性は請求されえない。この流動性は公的空間に対応する。ちょうど道路のように。君はこれが必要なときこれを使用すべきだ。そしてそれを必要としなくなったら君の手を離れるべきなのだ。それで、君が長期間使用したいと思わない流動貨幣を持っているなら、この流動性を貨幣というハイウェイにアクセスしたいと望む他者に移転すべきなのだ。それは君の貨幣を貸付けることでなされる。君は保蔵された価値を維持し続けるが、実際に購入する可能性をある期間、たとえば5年間、他者に移転するわけだ。

 もし、保蔵された価値と同時に貨幣的流動性を維持することの方を選ぶのなら、君は料金を負担しなければならない(ちょうど道路や広場といった公共スペースを使うのに料金がかかるように)。

 このことは、貨幣的流動性が貨幣の独立な区別しうる特質として認識されないがゆえに、貨幣的価値を保蔵する者が貨幣を貸付けるさいにに利子を請求するとき、正当なことだと考えられるということだ。貨幣を貸付ける者は貸付けのゆえに利子を受け取ってはならないし、貸付けないのであれば、料金が課されるべきだということなのである。

 料金を課される流動貨幣は「老化する」ということができる。その価値は時とともに減価する。老化する貨幣の概念はシルビオ・ゲゼルによって提案され、ルドルフ・シュタイナーによって再び提起された。ゲゼルとシュタイナーの提案の間にはきわめて基本的な相違が存在するが、ズーアの考えはゲゼルのそれにより近いものである。

無利子貨幣への途

 基本的な概念は簡明である。すなわち、「保有された貨幣には貨幣の流動性プレミアムの埋め合わせとして持越費用あるいは保蔵コストが発生しなければならない」(ズーア、1990)である。

 この理念は地域的な経済主体のグループでよって開始されねばならない。そこには、地域企業、自治体、労働組合、そして地域に根差した銀行などが含まれる。そこでは新たな種類の口座が開設される。ズーアはこうした銀行をNバンクと呼んでいる。

 Nバンクはゼロに近い利子で顧客のN(中立)貨幣口座に融資するが、顧客が自分の口座に流動性N貨幣を保有するときは常に流動性コストが課される。この流動性コストを顧客は二つの方法で回避しうる。

 まず、自分のN貨幣を他の口座に移転する(通常N貨幣での債務の返済)とき、流動性コストも新たな口座に移る。したがって銀行は継続的に流動性プレミアムを受領し続けるが、顧客は実際に流動性をもつ場合に限って流動性コストを負担する。顧客もまた自分の貨幣を銀行に貸付けることができる。したがって自己の流動性を手放すことができる。それで銀行はその流動性を貨幣の借入れを望む別の顧客に移転することができる。借り手は自分の口座でマイナス勘定をもつことになり、それに対しても料金が課される(彼が借入れた貨幣を使わない限り)。これはふつうは考えられないが論理的にそうなる。プラスの勘定もマイナスの勘定も同様な仕方で流動性コストによって料金が課されるのである。もちろん、顧客も財を購入したり自分のN貨幣を誰かに貸付けて自分の流動性を処分しうる。

 ディーター・ズーアによってN貨幣は通常の貨幣を駆逐すると予測されている。もちろん貨幣借入れを望む人々はN貨幣口座によってより裕福になる(支払うべき利子がないがゆえに)が、ほとんどのひとびと(人口の80%)はマイナス利子勘定をもつことになる。いま彼らは受け取るよりも多くの利子を支払っているが、こうした人々にとってN貨幣はいまある利子を生む貨幣と比べてより適したものなのだ。

 N貨幣で債務に支払わねばならず、伝統的な貨幣ももっている顧客は利子を発生させるような貨幣でN貨幣の債務に支払おうとはしないであろう。Nバンクが示唆しうるのは、こうした顧客が利子を生む貯蓄口座に伝統的な貨幣を使い、、支払い目的にN貨幣での貸付けを受けるということである。それで顧客はN貨幣と伝統的な貨幣との間の差額を利益にできる。このことが、顧客にとって彼の経済上のパートナーをN貨幣循環に参加させる誘因となる。

 N貨幣との関係でみた伝統的な貨幣の価格は上昇する傾向をもつであろう。なぜなら、それは理想的な流動性準備として役立つであろうからだ。しかしこのN貨幣とのスプレッド(開き)で、伝統的な貨幣は利子を生むことの困難を経験するであろう。なぜなら借り手は次第にN貨幣に転換するであろうし、段階的に、準最適な伝統的貨幣はN貨幣によって駆逐されるであろう。

この理論の批判

 ズーアによって提起されたコストを発生させる貨幣はインフレによって価値を失う貨幣とは異なっている。ゲゼルのコストを発生させる貨幣についての多くの批判は煩雑なコストを生む貨幣がわれわれがすでにインフレを経験しているので必要とされないだろうと主張してきた。ズーアはこう応えている。「こうした批判は一方で、貨幣単位の購買力を低下させるインフレと、他方で支払い手段についてだけの減価との間の相違を考慮していない。・・・インフレの条件下では、経済主体は、もし利子率がインフレによる損失を償う程度に上昇するのでなければ将来の貨幣に対する先渡し請求のなかに逃げることによって現金の減価から逃れることはできない。・・・しかし、もし、その減価が貨幣保有にのみ関係しているなら、現金保有者は、その尺度単位が安定的である将来の貨幣に対する売り要求によって貨幣に適用される持越し費用を回避できる。また同時に、別の経済主体は低廉な、あるいは無視しうるほどのコストで取引貨幣にアクセスできる。」(ズーア、1989、p.78)しかし、この議論は、ズーアの弱点をも明らかにしている。貧しいひとびとの掌中にあるN貨幣は、よりはやく錆付いていくであろう。なぜなら、彼らはその腐敗を食い止めるために貨幣を貸付けることはできないであろうからである。豊かなひとびとは腐敗を避けることができる。なぜなら彼らはそのキャッシュのほとんどを貸し付けることができる位置にいるからである。貧者の貨幣(貧しいひとびとがもつ貨幣)は富者のもつ貨幣より少ないばかりではない。それはよりはやく減価するのだ。今日、貧者は高い利子を受け取ることができない。なぜならその現金は短期日のうちに必要とされるからだ。N貨幣の導入後も、彼らは同じ理由からその現金価値の価値低下から逃れることはできないであろう。

 もちろん、多くの反論があるがここでは議論しない。下記の文献の十分な議論に尋ねてほしい。

中立貨幣の導入、直接民主制の役割

 もし誰もが貨幣を受け入れなければ、取引にはどのような価値もない。貨幣のみが貨幣として機能する。それは、誰もが経済取引の媒介として他者が貨幣を支出し受け入れると確信をもって期待しうるのであれば、である。それゆえ、当局や銀行が貨幣の具体物を発行するのは十分ではない。一般的に使われているので銀行券や鋳貨が流動貨幣となる。貨幣はそれを発行する銀行からではなく、それを使用する取引者すべてからその流動性を受け取るといえるかもしれない。貨幣の貨幣たる性格を生み出しているのあ諸個人の取引活動それ自体なのである。

 しかし貨幣の流動性の生成は諸個人が他者の貨幣を受け入れなかったり、自分のもつ貨幣を使用しなかったりするとき、中断される。そしてここに、貨幣の流動性のプロセスを中断させ、阻害する者が、そうすることで、とりわけ、「時期を選ぶ自由」を選ぶことで、また、他者が「販売の代わりに借入れ」を強いられるとき「支出ではなく貸し付け」を選ぶことで、利益をうるのである。したがって貨幣保有者は、他者によって生み出された貨幣の流動性によって利益をうるのである(ズーア、1990)。

 無利子の、「老化する」貨幣を使用したいくつかの実験がある。たとえば、1932年から33年のオーストリアのヴェルグルでのそれだ。しかし、このような実験はすぐに忘れ去られた。なぜなら、それが国営銀行が発行する貨幣の独占を侵食したからである。このことが示しているのは、現在の体制がまったく民主的でないということである。国家は、少数の者に利子を生み出し、勤労者に重荷を課す現存の貨幣の独占を擁護する。勤労者が、彼らにそのそれぞれの財やサービスに相互的に報酬を支払うことを可能にする自分たち固有の貨幣を発行できればよいのだが。しかし国家はこれを妨害し、結果的に富者の貨幣独占を擁護するのである。ディーター・ズーアの中立貨幣ネットワークはこうした禁止行為を回避できるだろう。なぜならいかなる新規の通貨も発行されないからだ。しかし中立貨幣は多数の人間が参加するときにのみ導入されうる。ズーア自身の示唆するところでは、その出発点は中立貨幣ネットワークへの地方政府の関与からであろう。そうなれば、中立貨幣を受け入れる誰もが確実にこの貨幣で地方税を支払うことも可能となるだろう。

 バイエルンのミュンヘンの町では、Soziale Skulptur Deutschlandイニシアティブがズーアのこうした理念を実現しようと町民投票に着手しようとしている。ここで、その輪は閉じられたものだ。貨幣は民主的創造物とみなされ、事実上、利子の蓄積の擁護者である少数の専門家によって人々に強いられるなにものかではない。貨幣はただ人々がこれを受け入れる意志をもつことでのみ価値をもつ。人々は富者がより豊かになるように設計された用具の代わりに中立的な交易の用具となるような貨幣を、こうした方法で、形作ることができなければならない。

References

Dieter Suhr (1990) The Neutral Money Network (NeuMoNe) Download the text here.

Dieter Suhr (1988) Alterndes Geld. Das Konzept Rudolf Steiners aus geldtheoretischer Sicht Schaffhausen: Novalis Verlag

Dieter Suhr (1986) Befeiung der Marktwirtschaft vom Kapitalismus. Monetare Studien zur sozialen, okonomischen und okologischen Vernunft. Berlin: Basis Verlag

Dieter Suhr (1988) Gleiche Freiheit. Allgemeine Grundlagen und Reziprozitatsdefizite in der Geldwirtschaft Augsburg: Lothar Mette Verlag

Dieter Suhr (1989) The capitalistic cost-benefit structure of money. An analysis of money's structural nonneutrality and its effects on the economy Berlin: Springer Verlag

Some links:

Archive of the 'Initiative fur Naturliche Wirtschaftsordnung' (in German). Contains papers by Helmut Creutz, Werner Onken, Jurgen Probst, Hugo Godschalk, and many others.

Materialien zur Zinsproblematik (in German). Here you find the books of Silvio Gesell "(Die Naturliche Wirtschaftsordnung"), Margrit Kennedy ("Geld ohne Zinsen und Inflation"), and much more.

Homepage of Helmut Creutz. (in German)

Materialien zu Silvio Gesell (in German).

Monetary Reform Magazine. A Canadian journal for interest-free money.

Encyclical of Pope Benedict XIV promulgated on Nov.1, 1745.

(濫用という性格の罪悪は貸付契約の中に、それ固有の場所と起源を有している。同意し合った者同士の金融上の契約はその性質そのものからして、一方が他方に対してその所有する以上を返却することを要求する。この罪は債権者が時に彼が与えた以上を望むという事実のなかにある。)

GRSJ HOME < ライブラリー

2002 Gesell Research Society Japan: All Rights Reserved