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地域通貨が本当の体験産業

:: Morino,Eiichi

いまや、「アクセスの時代」といわれるよね。

モノをカネを出して購入して満足するよりも他人様の時間をカネで買い、サービスをうる、そのほうが好まれる時代ということ。

まだ持ってない何が欲しいか?ということより、まだしてない何がしたいか?考える。それがいまの消費者。

たとえば、旅行。旅は経験だ。新たな出会いだ、体験だ。考えてみれば、現在、世界全体で、旅行・観光業の売り上げはいくらあるか、3.7兆ドルだぜ。これって、指導的な産業ということだ。2008年には、いま、騒ぎの情報産業やその他先端産業を霞ませるぐらいになって、7.5兆ドル、売り上げは世界中のGDPのトータルの20%を占めるんじゃないかと期待されてる。

もちろん、バーチャルに体験するのもはやりだ。ビデオ・ゲームとかゲーム・センターとか。オンラインでも楽しめるし、テレビもチャンネルが増えた。カネさえ払えば、サービスが、つまり人様の時間だけど、なんでも買えそうだ。坊さんの説教も買えるし、精神修養の場を利用することもできる。

文化っていう、人間の時間を費やしたものは「カネが支払われたもの」になってる。これまで、伝統的な社会がカネを介在させずに交換し合っていたものもどんどん、金銭上の取引になってる(ダグラス少佐なら文化までが、金銭上の信用として処理されてるといって嘆くさ、きっと)。

家族の関係から一歩外にでれば、ほとんどが、カネの支払われる経験を体験するってことになってる。人間が関われば、情念の流れってもんがあるだろう。信頼とか、同情とか結びつくこととか、でも、それも金銭上の信用に調停されるかたちになってるわけよね。

尊敬とか愛情とか同情とか、そーいうものまで、サービスとしてカネが支払われた関係のなかで調達するしかないみたい。

楽しみもそうだ。これも経験、体験だ。演劇を見る、優雅なひとときを体験する、これらすべては、昔だったら金持ちのものだった。同じスタイルで今は消費者として欲しがっている。

優雅な生活、さまざまなサービスの体験、子供には、子供同士で遊ばせるのでなく、稽古事、子供が望んでなくても、そうさせることが親という消費者にもたらす満足感。

この20年間、大量輸送、遠距離通信が実現してきた。商業は広域化した。同時に扱う品目も深化した。最後の売り物は、人間の経験とか文化だ。

だが、それは金銭的次元でだけ交流が調節されるもんじゃあない。文化的固有性とか地理的制約とか、人が属している共同性とか、そういうのに制約されて、その値打ちが成立している。

どこかに、また、なにかに属しているという感覚が義務の意識を生むし、それはひとと関わりをもって、情念のフローを生み出す原因となる自分の自由とあい即しているんじゃなかったか。

だが、カネが支払われた他人の時間は、性格からいって、道具さ。同意した取引価格だけが、人を束ねて、はかない情念を交換させる。そう、はかないんだ。短命なんだ。取引についたカネの次元での繋がりだけだからさ。

契約や取引の当事者は、そこで取り結ばれた契約内容だけで、つながるだけさ。当たり前だけど。

そしてそんな関係に乗せてはいけないものまで、なんでも体験したいっていう欲求を満たそうとして、カネで扱ってしまう。

ほんとは、金銭上の次元にとどまらないことが大事なんだと知る体験が、はかない、一時的な体験に置き換えられてる。だから、もっと体験したくなる。でもカネで買った人の時間はすぐなくなる。それで、またカネを使う。でも、だめ。もっと、もっと使う。はかない体験を積み重ねる。でもだめだよ。

体験は奉仕者と受益者という関係を超えたものじゃあなくちゃ。君たちは見せかけの体験しかしてないだろう?

何度も何度も、どうして、プレゼントをし合うんだい。ほんとうの贈与ってのを知らないからさ。ほんとうの互酬性ってのを知らないから、はかない、一時の、カネの切れ目が縁の切れ目の情念のフローを求めて彷徨うのさ。

どうしたらいいかって?

ほんとうの体験があるんだよ。こっそり君だけには教えよう。

Letsゲームっていうんだ。

どこで手に入るかって?下記に問い合わせしてくれ。

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エコ・サポート 杉 浦 則 之

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