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三人の兄弟

:: Morino,Eiichi

やさしい母親

 あるところに三人の兄弟がいました。

 優しい母親と一緒に仲良く暮らしていました。ある日、子供たちは世の中が知りたいと思い、旅に出ようということになりました。母親は子供たちに、家にある財産をもたせようとしました。母親にとってはどの子も大事な子供ですし、旅先で困らないように、平等に資産を与えようとしました。

 しかし、貧乏な母親には、お金はたった30フランしかありませんでした。仕方がないので、これをまず長男に与えました。長男はお金で30フランもらったのです。

 次男にはどうしましょう。もうお金はありません。母親は、納屋のなかに、明日、市場にもっていくはずの300個のリンゴがあることに思い当たりました。これらは、市場にもっていけば、30フランで売れるのでした。同じ値打ちだから、リンゴは次男に与えよう、そう母親は考えました。

 もう一人、三男がいます。どうしましょう。三男にも平等に同じ値打ちのものをあげなければなりません。母親は、刃物を研ぐのに使っている砥石があるのに思い当たりました。この砥石を使って人の刃物を研いであげれば、30フラン稼げるはずです。それに砥石は毎日使えますから、毎日だって30フラン稼げるかもしれません。そう考えた母親は、三男に砥石を持たせることにしました。

 こうして母親は、かわいい三人の子供たちを平等に扱えたと思って、安心して子供たちを旅立たせました。

お金を持っている者は強い

 旅に出た子供たちに最初の夜がやってきました。子供たちはお腹がすいたので、宿屋で夕食を取ろうとしました。食事代は10フランでした。

 長男は問題ありませんでした。もっているお金から支払うことができたのです。

 でも、次男は困りました。お金がありません。自分の持っている100個のリンゴをどこかで売ってお金を手にいれるか、長男から10フラン借りるかしなければなりません。それに、リンゴの一部は翌日には悪くなってしまう危険もありました。そのことに次男は頭を悩ませていました。

 三男も困りました。刃物を研いでほしいと思う人間をどこかで探してきて、注文をとらなければなりません。でもそれには、時間もかかれば、手間暇がかかります。結局、長男から10フランのお金を借りなければならなくなりました。

 母親は三人の子供に同じ値打ちのものを与えたはずでした。三人を平等に扱ったと考えたのです。10フランずつ三人に分け、リンゴを100個ずつ三人に分けたにしても、砥石を三等分したら、砥石の役目を果たしません。母親の判断は仕方なかったといえるでしょう。

 ここで長男は貨幣です。次男は財、つまりひとが働いて作りだした生活に役立つモノですね。これは時間が経つと傷んでいきます。じゃあ三男はなんでしょう。それは労働です。労働は、モノのように傷んではいきませんが、溜めておくことはできません。

 宿屋で夕食代を支払う段になって、兄弟が気が付いたのは、長男がもらったお金には性格上、他のリンゴや砥石に比べて優位性があるということです。お金をもっているのは強い、ということです。お金は誰もが代金として受け取ってくれます。お金は自在に他のモノに姿を変えることができるのです。

 こうした優位性、つまり優れた点ですが、これが貨幣に、難しくいうと貨幣の流動性プレミアムというものを成り立たせています。プレミアムつまり、「オマケ」ですね。お金をもっている人にはオマケが付くんです。

 これは、貨幣のジョーカーとしての性格です。トランプ遊びのときのジョーカーです。七並べのジョーカーを考えてください。並べていく札がなくても、どこにでもジョーカーは置けますよね。

ジョーカーの特権のわけ

 こうしたお金がもつ、誰もが代価として受け入れてくれるという性質、これを流動性といいますが、そのメリットは次のような事情から成り立っています。

1 誰もが、いつでも、どこででも使える交換の手段という性質。

2 財は時間の経過のなかで傷み、損なわれますし、労働は蓄積しておくことができません。しかしそれと比べて、お金にはそうした制約がありません。

3 財や労働は、購買者を探したり、交換を実行するのに情報を探したり、仕入れたりという費用や取引を実行するのにも費用がかかりますが、貨幣にはそれがありません。

 実はここに、お金の値打ちがあるわけです。お金の価値は、次のような事情で決まっているわけです。

1交換の能力

プラス

2流動性の点でみた優位性

プラス

3お金が必要とされる量に比べて足りない量しかない、という事情が生み出す利益。

 これらがお金の値打ちを決めているわけです。

 3は、母親が三人の子供全員にお金を与ええなかったことが示していますでしょう。

 世の中では財やサービスが売り買いされて、みなが必要なものを手に入れています。そのときのモノやサービスの値段は、それらを生産するのに必要であった費用と同じでしょうか。実は入手するのに支払わなければならない代金には、生産にかかった費用を超える部分が上乗せされているんですね。

 それはお金につく利子というものです。三人の子供たちが食事をする宿屋のシーンに戻ってみましょう。

兄弟三人は不平等な状態に置かれた

 上に書いた、1から3の事情は、お金を持つ長男がなんらかの見返りなしに他の兄弟に自分のお金を貸付はしないことを示しています。

 10フランの夕食代は三人分で、30フランです。

 しかし、です。お金の流動性がもたらすオマケの部分と、お金が足りないという事情、これ、希少性といいますが、それをお金を貸すことで放棄することの代償として成立しています。それが利子です。3人全員の夕食は相変わらず総計30フランで宿屋から提供されるにしても、食事をとる三人のうち二人は利子分を負担しますから30フランを超えてしまいます。

 30フランが宿屋に、利子分は長男のふところに入るわけです。次男と三男からみれば、食事代は10フラン以上なわけです。

 もし三人の兄弟が平等な条件におかれるべきであるとするならば、

2のお金という流動性をもつものの優位性、つまり、お金をもつことのオマケの部分には、お金の、そうした優れた性質は世の中が与えている性質だから公共的なものだし、お金の利用に料金を負担させて(お金の便利な性質は、お金を持っているひとが作ったわけじゃあありませんので、それを自分自身のためだけに使うには代金を払うべきですね)、つまり、お金の利用には料金が課される(お金に使用料がかかる)ようにすることで、その優位性、つまりオマケの部分を相殺しなくちゃなりません。

 また3には、貨幣が足りないという状況を変える方策がとられなければならなくなります。

 お金と財の間に平等が確立されないと、お金は単なる交換の手段になることはできないのです。

 母親が三人の兄弟を平等に扱おうとしたときに配慮すべきであったのは、貨幣の特権性でありました。

 これからは、地域通貨が、母親を賢い母親にしていくことでしょう。お金を特権をもつものでなく、単なる交換の仲立ちを果たすだけのものにしていくのですから。

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