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地域通貨−連帯と信頼のお金−

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カネがカタキの世の中

 誰でももっとお金があれば、と思います。いつもお金で苦労しています。まことに、カネがカタキの世の中です。しかしカタキと思ってもどうしても必要ですし、それがないことには悲惨な生活しかありません。生協の店といえども、お金をもっていなければモノを売ってくれません。誰でもお金をほしがるわけです。お金が必要なのはお金そのものが入り用だというわけではありません。千円札を頭に乗せたら千円分利口になるわけではないことは誰でも知っています。お札をステーキにして食べるひともいません。千円で手に入るモノやサービスが入り用なわけです。

 また日本人なら、カネは天下の回りモノとはみな知っているはずです。でもどうしてうちにはこれっぽっちしか回ってこないんだと感じているひとがほとんどでしょう。

 そこで回ってこないひとのなかにはサラ金で借りたりするひともいます。借りれば法外な利息をとられます。人間であれば住むところが必要です。そこで無理しても住宅ローンを借りてマイホームを手にします。毎月ローンを返済しているはずなのに、自分が借りた元本が少しでも減っているかと思うと、意外に減っていません。利息の部分の返済があるからです。なぜそのようなシステムになっているのでしょう。

 いまの世の中は複雑な分業で成り立っています。誰もがみないろいろな仕事をしています。その結果、実に多様な製品やサービスが提供されています。宣伝で欲望も駆り立てられますから、あれも欲しい、これも欲しいとなります。でもお金が足りません。

 溢れかえる商品を、たとえば、映画館の座席だと考えてみましょう。この座席に座って映画を見るには入場券を購入しなければなりません。座席が100あるとします。100人が映画をみるには100枚の入場券が必要です。お金はなんとでも交換できるチケットみたいなものです。そのチケットで映画館に入場するのにしか使えないチケットに取り替えます(入場券を買います)。

 ところで、座席は世の中にある商品でした。その商品を買えないひとがいるということは、映画館の座席が100あるのに、100枚以下しかチケットがないことと同じです。座席に比べてお金が少ないのです。それでも映画をみたければ、なんとかして入場券を手に入れようとします。そうすると映画館の入り口にダフ屋がいます。彼はプレミアムを付けて入場券を売りつけます。どこかに余ったお金を持っていて入場券を買っておいたに違いありません。このプレミアム分は利息です。実際の世の中でプレミアムを取るダフ屋は金融業者です。

 ところで考えてみてください。座席はひとが作った商品やサービスの例えでした。それを作ったについては報酬があるはずです。それで100の座席のチケットが買えないわけです。どうしてでしょう。そこで、ダフ屋つまり金融業者に疑いの目がいきます。

死のギャンブル

 ここで資金を借り入れて生産する生産者を考えてみましょう。ふつう借金をするときは抵当をいれます。住宅ローンを借りたひとも抵当を取られているはずです。抵当という言葉は英語で、モーゲージといいます。この言葉はもともとフランス語に由来しています。その前半分のmortは死、後ろ半分gageはギャンブルを意味しています。つまり、財産を抵当に入れて借り入れることは死のギャンブルを意味していたわけです。銀行は融資をすることで新規にお金を供給しますが、生産者は生産コストを賄うために元本を借り入れることでギャンブルを強いられることになるのです。なぜなら、製品を販売して元本(P)と利子(I)を合わせた分を回収しなければならないからです。そこで商品の総価格はPとIを足した額になりますが、もともと世の中にはPの分だけしかお金はなかったのです。ひとが消費者として使えるお金はPだけですから、決して全部売れるわけはないのです。製品のうちの最小限の額は売れ残らざるを得ないわけですし、少数の生産者は破産し、差し押さえの危機に直面せざるをえなくなります。利息があるお金の仕組みでは誰かが破産しているのです。ですから抵当という言葉は「死のギャンブル」といわれるわけです。

 経済学者のケインズはこの「死のギャンブル」を椅子取りゲームにたとえています。全員には足りない椅子を巡って、音楽にあわせデス・ギャンブルの生き残りゲームが展開されるわけです。ちょうどそれと同じように、世の中には、P+Iを賄うのに足りないお金しかなく、デス・ギャンブルが行われています。生き残れる可能性は常に利子率というお金を借りる時の、お金の値段によって決まっています。

お金の特権

 お金はいつまでもっていても減りはしません。お金が金や銀であったころは、金や銀が錆付いて値打ちが減るなんてこともありませんでした。実はこれがお金を持っている者とそうでない者との間に不平等を作り出してきたといえます。お金を持ってる人間はお金を持ち続けても費用がかかりません。対照的に、例えば、農民は種をまくのを延期できません。ですから、種を蒔く資金を借りるのを急かされています。これでは、取引をしようにも、立場が違いすぎるというものです。片方は、自分に有利になるまでいつまでも待てるわけですから。もう片方はとにかく急かされています。金貸しが農民に金を貸す場合は、利子を請求します。いやだとはいえません。とにかくいま資金が要るんですから。そうして農民はこの資金を借り入れるさいの利子という費用を自分が作った穀物を売るさいに、その価格に乗せなければなりません。この穀物をパン屋が仕入れたとすれば、穀物の値段に入っている利息の分は当然、パン屋の売るパンの値段に入っていきます。結局、金貸しが上げる利益は社会が支払うことになるわけです。なるほど、働きもしないのに、金貸しの利益はうまい具合に増えていくものです。なぜなら、誰もが利子の重荷と付き合わなくてはならないからです。それに、このことが、富と権力の集中が続いていくことにもなるわけです。なぜならこうしたやり方で、事業が上げる利益の多くの部分が社会の一部の者たちの懐に入ってしまうからです。

 私たちが生活している世界では、お金は持っていても減らない仕組みになっています。卵は持っていると腐ります。でもお金は違うのです。そして貸し付ければ利息を生みます。世間では、利息を取るのは当たり前だと信じ込んでいます。その理屈はいろいろありますが、金融手段を提供した者は、その、ただ今の行使を節欲したのだから、その見返りに他者から報酬を受けるべきだという議論です。

 でも現実をみてください。昨年の数字がまだ利用できませんので、一昨年の数字を挙げます。自殺者は3万1734人で、過去最高でした。自死を選択せざるをえなかった事情は一人ひとり違うことでしょう。しかしおそらくその原因はよく似たものにちがいないはずです。必ずといっていいほどお金がからんでいるでしょう。また個人の自己破産申立件数は10万3803件で、前年に比して3万件以上増加していました。また地球大でみれば、途上国の累積債務は2000億ドルにも達し、たとえばメキシコなどは毎年、GDPの3割もが利払いで消えています。そうしたお金のシステムはひとを幸福にするものではありません。カネの切れ目が縁の切れ目の世界しかひとに提供しないでしょう。しかしそうしたなかで、人々が対立や猜疑しあうのでなく信頼で結びあえるような、国民通貨と違ったお金のシステムができはじめています。それはひとの自発的なイニシアティブで始めることのできる取り組みです。地域通貨といわれています。

トーイ・マネー

 まず実例から見てみましょう。

 地域通貨でよく紹介される米国ニューヨーク州イサカの事例をみてみましょう。イサカは町の中心にコーネル大学がある、人口3万ほどの地方都市です。いまから9年前のこと、この町の共同購入の生協の店に、イサカアワーの紙幣見本をもって一人の男が現れました。ポール・グローバーといいます。

 グリーン・スターという生協は、それまでもユニークな試みをしていました。店にある商品には三種類の値札がついていました。非組合員価格、組合員価格、そしてもうひとつ値札がついているのです。値段は順に安くなっています。この最後の値段は、組合員がこの店で、自分の空いた時間に掃除をしたり、レジを打ったりする労力を提供するとポイントで評価され、組合員値段よりも廉価で購入できるのでした。これは組合員が単に消費者であるばかりでなく、なんらかのサービスを提供する「生産者」でもあるように振る舞えるシステムでした。

 そうした生協の従業員に、彼は、このお金を使わないかと提案したのです。トーイ・マネー(おもちゃのおかね)です。

 いま米国は戦争の時期を除けば、最長の経済繁栄を謳歌しているかにみえます。しかし、このときはまだ、そうした好況が始まる前でした。経済は低迷していましたし、多くの米国企業がグローバル化していきました。その結果、米国の雇用は減少し、イサカも失業と不況に苦しんでいたのです。

 彼が主張したのは自分たちのおかねを使えば、自分で自分の仕事を作りだせるということです。この生協では、イサカが60年代からヒッピー文化の中心地であり、創造的な仕事をいくつもこなすような人々がいて、そうしたひとをたくさん組合員に抱えていました。それで、そうしたカルチャー・クリエイティブ(文化創造的)なひとたちは、おもしろそうだし、自分たちの利益になりそうだということで、話は実現されることになります。最初、わずか数十人ほどが、自分たちでお金を発行する、その発行と管理は自分たちが作った委員会でする、1アワーは10ドルとする、アワーを受け入れるひとは、自分のできること、提供できるものを売りにだし、機関誌で宣伝する、そんな簡単な取り決めで始めたのです。

アワーの特徴

 しかしそこには、地域通貨の基本的な特徴が盛り込まれています。ひとは自分消費者であると同時に生産者です。購入者として振る舞うと同時に生産者としても振る舞えるのです。自分がもっている特技が事業として成り立つなどと考えてもいなかったひとが、それで収入をうることができたり、地域の人々の収入も増えていきました。ドルで考えているかぎり表にでてこないような、ギブとテイクの関係がアワーで成立していったのです。アワーは3ヶ月後には3倍のひとが受け入れるようになり、それから9年、400種を超える商品やサービスが売買され、生協のグリーン・スターにとってもなくてはならないものになり、しっかり地域に定着していきました。

 イサカアワーには5種類の紙幣があります。表には「ここイサカではわたしたちはお互いに信頼しあっています」と書かれています。デザインには、イサカの豊かな自然を象徴する滝とか昆虫とかが描かれ、そうした自然のなかに人間も生活し、地元の資源を循環させ、地場の経済を活性化し、お互いに仕事を作りだしあい、支え合い、ほんとうの豊かさという資本に自分たちが支えられていることを表明しています。

 現在、イサカアワーは非営利団体のイサカアワー委員会が管理しています。アワーを使いたいと思ったら、委員会に申し込みます。委員会は「アワ・タウン」という機関誌を発行していますが、この新聞に申し込み用紙がついていますので、1ドルを添えてこれを提出しますが、その際、自分がなにが提供できるのかを書きます。それが次の新聞に載るというわけです。つまり、お互いに与え合うというコミュニティの一員になるわけです。

 ひとはドルを使う場合にはドルでの採算を考えざるをえません。勢い利益の上がるかたちでのビジネスを強いられます。それでは地域の人々がもっているさまざまな技能とか能力とかが表にでてきません。しかし、アワーは信頼を結ぶ通貨であることで、お互いに与え合うという、互酬的な関わりを作りました。ちょっとした需要もでてきますし、それに応じる多様な供給者も生み出します。そうすることで、地域経済は多様さに裏付けられた経済基盤を生み出していくことにもなります。そして重要なことは、アワーを使うコミュニティは需要が外に漏れ出ていかないということです。地域のお金であることで、儲けても必ず地域で使われます。それはイサカの富がイサカにあり続けるということです。

地域と環境のために

 委員会は地域経済を活性化するためにイサカアワーを社会福祉を目的とする非営利団体に寄付しています。そのお金は町を回って事業や商店の収入を増やしますし、地元に貢献しているわけです。ホームレスの支援団体や有機農法の農家の支援団体などにも寄付されているといいます。

 また米国は健康保険制度の整備が遅れていますから、委員会はイサカ健保を運営してもいます。この保険に入るとイサカを受け入れている医療施設で医療費の10%割引とアワーでの支払いができるようになります。

 委員会は生産者に無利子の融資もしますし、農業者の協同組合に寄付をすることで、農民がいちばん資金を必要とする作付けの時期に作物の先買いしてもらい、安全な有機野菜を作る農家を支援するサポート・システムの運営に一役買っています。こうした取り組みはイサカの土地を守り、農薬や化学物質による汚染などからイサカという自然とひとを守っていることになります。

 イサカにも米国有数のスーパーマーケットが進出してくる計画があったそうです。しかし地元の反対で頓挫しました。スーパーにはたしかに多様な商品が、しかも廉価で並びます。しかし、そこで使われたドルはイサカで購買力となって地元で循環するわけではありません。またそこに並んでいる商品も資本の力に任せて買いたたいてきたものかもしれません。価格だけでみた安さは他の地域に負担をかけていることでもあります。

 なぜイサカアワーは成功したのでしょうか。それはなによりも、ひとのつながりを作りだし、深めていくものであったからでしょう。ひとが手をつなぎたいときは、ひとを対立させ、反目させ、誰かの利益が誰かの損失であるような通貨では無理です。地域通貨は無利子で回るおかねで、ひとが積極的に使うおかねであることで、ひとの連帯を作りだします。誰でもがアワーを受け入れるとコミュニティの温かさのなかに入り、それが実感できる、そうした楽しさがあるからです。

 これまで、コミュニティという言い方をしました。このcommunityという言葉は、ラテン語のcum

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