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古代における信用

::Sidney Homer and Richard Sylla, A History of Interest Rates, 1996.より

信用は時折、現代的な仕掛け、あるいは現代の悪徳とさえみな
される。信用の形態が新しくわが国で発展してきたこと、最近の
数十年間で信用量の膨張を示す数字が印象的なのは事実であ
る。しかし、金融の歴史を少しひもとけば、最近の、とてつもない
目新しさも吹き飛んでしまうだろう。一般に、信用は古代において
も、また中世でも活用されていた。信用は工業や銀行業、硬貨の
鋳造よりもはるかに先立っていたのである。おそらくは貨幣の原
始的な形態よりも先立っていた。利付き貸付は新石器時代の農
民が知り合いに種の貸し付けをし、収穫時により多い返済を期待
したときに始まったといわれている。それがどうであろうと、われ
われは偉大な文明が信用の規制を生み出すことによって始まった
ことを知っている。
例えば、紀元前1800年ころ、古代バビロニア王朝の王、ハンム
ラビはもっとも古い公式の法典を国民に布告したという。この法
典のいくつかの条項は債権者と債務者の関係を規制するもので
あった。穀物の貸付につき、その品目での返済で最高利率は
年33と1/3%であった。また、重量単位での銀の貸付は年利
20%であった。あらゆる貸付は公的機関の前で立会人つきで
契約されねばならなかった。合法的な金利より高い金利がごま
かしによって徴収された場合は、債務の元本がキャンセルされ
た。土地や動産が債務の質物として差し入れられた。また、妻や
第二夫人、子供、奴隷のような人間も抵当となりえた。しかし債
務のために奴隷となるのは3年に制限されていた。
 1200年後の紀元前600年ごろ、古代ギリシャの正史がソロン
の法により始まった。このとき、劇的な改革がアテネの経済危機
により引き起こされた。過大な債務と債務のゆえに奴隷状態とな
る事態の拡大を除去しようとしたのである。ハムラビ法典とは対
照的にソロンの法は利率に関するどのような制限もなかった。彼
らは債務の多くを削減したりキャンセルしたりした。彼らは質物を
入れるのを認めたが、債務の代わりに人間が奴隷になることを
禁止した。こうした法は数世紀続いた。
 ローマも信用を規制する法を作ることでその正史を開始した。
これもまた過大な債務によって特徴づけられる危機に強いられ
たものであった。

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