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シュヴァーネンキルヘンの奇跡

::J. Henry Buechi, Free Money, 1932, pp.191-195

シュヴァーネンキルヘンはバイエルンの山中、鉱山と
農業の村である。いま、このおよそ一年くらいだが、
ドイツじゅうからマスコミのレポーターが住民たち
のなかに舞い降りてきた、いやむしろ登ってきたと
いうべきか、住民たちにインタビューするためにで
ある。下記は住民たちが語った話である。
 シルビオ・ゲゼル(帝国銀行にこの7年間、イン
フレの混沌がもたらす脅威について警告してきた男)
の理念はドイツ、そしてスイスじゅうに広まった。
国民の一部、またシルビオ・ゲゼルの支持者たちは
実践で彼の理論を論証しようとしたのだ。彼らは特
別な協会を設立し、会員に法定通貨による支払いに
対抗して自由貨幣の形態の紙券を発行した。これは、
ヴァーラ、すなわち「永続」と呼ばれた。その輪に
属する取引者はマルクの代わりにヴァーラを受け入
れるんだといい、同じ協同関係の会員のたばこ屋に
いき、支払いにヴァーラで支払ってみせる、もちろ
ん、これみよというように。他の消費者はこれに気
づき質問するというわけだ。こうしたデモンストレー
ションはどんな説明よりも説得的だ。宣伝もうまく
いくわけだ。ところで、こうしたヴァーラの紙券の
特質は毎月、額面の1%のスタンプを貼らなくては
ならない(このスタンプも協会が発行する)ことだ。
つまり、年間の流通に係る料金は12%になるわけ
だ。前章の読者はこの意味がわかるだろう。
 会員の一人がたまたま石炭鉱山を保有する鉱山技
術者であった。彼は破産した企業を非常に低価格で
購入したが、安い値段で買収したにもかかわらず、
運転資金がなかった。偶然、ヴァーラの潜在力に気
づき、友人たちと交渉を始めた。鉱山の保証で信用
が付与されることが決められた。
 彼は家に戻り、労働者を雇い始めた。喜んで労働
用益が提供された。村にとって鉱山はただ一つの産
業であったので、その繁栄と堅く結びつくほかなかっ
た。村民はみなほとんど文無しの状態だった。とい
うのも鉱山は数年来閉鎖された状態であったし、小
農場が彼ら全員を養えるわけではなかったからだ。
しかし彼らは賃金がヴァーラで支払われると聞いて
喜ばなかった。彼らは肉屋やパン屋、ろうそく製造
業者が肉やパンや獣脂の支払いにヴァーラの紙券を
拒否するのではないかと恐れたのである。そして彼
らは正しかった。困難はある小売店が労働者の必要
とするものを提供すると約束することで解決された。
労働が始まり、週ごとに労働者が増えていった。
 商店主たちは労働者が買い物にこなくなることを
恐れて、鉱山の所有者に会い、新しい貨幣について
の説明を求めた。彼らはヴァーラの受け入れを納得
し、彼らがヴァーラを使えないときは、協会が彼ら
のヴァーラのプラス分をライヒスマルクと交換する
と約束した。それでヴァーラは受け入れられ、最初
のショックが過ぎ去ると、毎月末の夜に、彼らが保
有する紙券にスタンプが貼付されるようになった。
取引が再び活発になり、労働者と業者たちはゲゼル
を讃え、この村にヴァーラを導入しようと考えた協
会を賛美したのである。鉱山は成功していった。シュ
ヴァーネンキルヘンの村と近隣の集落は完全に満ち
足り、幸せな村となった。遊休状態と欠乏を強制さ
れた日々は忘れ去られていった。
 そうしてこれは帝国銀行を「ぎょっとさせる」と
ころまでいった。協会員たちはこれが法律に違反し
ないような方法で行われていることをかなり賢くみ
せようとしたが、帝国銀行は政府に対策をとるよう
依頼した。そして特別な緊急立法が公布されヴァー
ラは禁止された。付け加えておくべきは、好意的な
人たちの助けでヴァーラが回収された後も事業への
融資は続けられ業務はいまだ継続していることだ。
 経済学者にとってのこうした経験の利益は貨幣が
合法的な状態になくとも、また内在的な価値が欠け
ていても、年に12%のスタンプが必要であってさ
えも、その国の、認知された、また金準備で裏付け
られた法定通貨を短いうちに追い出すことができる
という事実である。こうした競合は、先の章で述べ
た中世の悪貨の事例を明確な仕方で確認するもので
ある。

................ Morino,Eiichi

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