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地域通貨で支え合う温かい活力ある地域社会を

::森野 栄一

全国ボランティア集会in佐賀(2001年2月11日)に寄せて

#カネ、カネの風潮

 人を見たら泥棒と思えっていうでしょう。人間なんて信用ならないし、結局はカネなのよ、という方々がいます。そうして、老後のために頼りになるはずのお金をツライ思いをして貯めます。そして人生の老境を迎えます。でも人を信じない人に友達はいません。しかし、話し相手がどうしても欲しくなるのが人間というものです。そういうときを見計らって高齢者に近づく人がいます。腹に一物のこの人はうまいことをいいます。しかし狙いは高齢者の財産です。 近年、高齢者が犯罪の被害者になる事例が増えています。人が老後の安定のためにといって貯めたお金がその当人の命を奪う原因になっているケースもあるわけです。そんな犯罪の被害に遭わなくても、カネ、カネできた高齢者には不幸な老境を過ごさざるを得ない人が多いようです。子供たちは、親によい言葉を吐きながらも親の預金通帳の数字しかアタマになく、死ねば財産の争いが起きたりします。「先生、なんとしてもうちのおじいちゃんを助けてください。」とあるお医者さんがいわれました。でもおじいちゃんはもう重篤で、お医者さんは「う〜ん。」ご家族はお医者さんに、「うちのおじいちゃんに死なれると困るんです、年金が入ってこなくなるんです。」なんと家族にとって、おじいちゃんは年金というカネを運んでくる存在と写っていたのでした。

 確かにお金は命の次に大事なものです。だから誰でも欲しがります。確かに人も信用できません。でもそれは事の半面です。もちろん信用厚い方が信用ならない行いをせざるをえないときもあります。しかし逆もあります。人は置かれた状況で鬼にもなれば蛇にもなるし、天使にもなります。そうした人間が地域で具体的な関わりを作っています。この関わりはお金が介在する関係よりも大きく、それを包み込んでいます。しかし、世間の風潮はカネ、カネ、です。それは人の関わりをカネが間に立つ関係に切り縮めています。誰でもカネはほしいですから、カネが介在する関係では人は目を三角にして競争しあいます。誰かのソンが自分の利益のときもあります。でもそれだけではないはずです。

#地域社会の大切さと地域通貨への関心

 ぎすぎすした関係が地域社会をますます薄情なものにしていると感じている人は多いと思います。そうして、地域社会に問題があっても、自分たちは税金を払っている。行政が取り組めば、それでいいのだと突き放している人もみうけられます。そこにあるのはプライベートな個人と国や自治体という公だけでしか社会をみない思考法です。私と公の間には、人々が共通に生きる私と公の中間領域とでもいうべき「共」の部分があり、そこは人が交流し、地域社会の協同性と支え合いをもたらしてきた場でありました。そこは自発的な社会貢献を通して人が自己の生活の実感を感じ取れる場所であり、コミュニュケーションのなかで生きがいを感じる場所でもありました。日本の各地からそうした交流の場所、街や村の生き生きした関わりの場が消えていっています。いま、自分自身のためにも自分が地域社会のためになにができるのか問いかけ、再び、地域のコミュニティを再建しなければと感じはじめ、そのために動き始める人が増えています。

 そうしたなかで、地域通貨という手法に人の関心が寄せられ、各地で取り組まれるようになってきました。地域通貨といいますが通常の通貨とは違います。円貨のような国民通貨と違って、人々の交流を引き出す仕組み、円貨では取引しにくいモノやサービスをやり取りする仕組み、かなり幅広い交易システムといいうるものです。

 円貨を介在させた取引や人の関係では、どうしても出てきにくいニーズや能力が人や地域社会には眠っているものです。あるいは、円貨で取引する気にはなれないので、隠れ込んでしまうニーズや能力があるものです。人が生き生きとした触れ合いがあった頃は、ごく自然に表に出ていたのかもしれません。しかし、地域社会では旧来の住民組織も形骸化してしまい、いつのまにか薄くなった人間関係のなかで、見えにくくなってしまいました。地域通貨はなによりもこうした隠れ込んだニーズと能力を表にだし、助け合いや支え合いを復活させようとするものです。

 また、地域通貨には村興し、町づくりの手法として多くの人の多様に参画する地域振興の仕組みにもなるのではないかとの期待も寄せられています。長らく続くデフレ不況の影響は各地の地場経済に打撃を与えています。シャッターの降りた店の並ぶ、人通りの絶えた商店街、栄えているのは全国資本の運営するワン・ストップ型のショッピングセンターで、そこで使われる円貨はどんどん地域からよそに流出していってしまいます。地域通貨は地域でヒトやモノ、カネを回す仕組みでもありますから、地場の経済に地域通貨の手法が入ると、地域通貨と円貨が同時に使われることで、円貨が地域外に出ていかない取引が可能になるのではというわけです。

 さらに、環境的な観点から地域通貨への期待もあります。例えば川の流域の上流、中流、下流の環境保全への負担の公平化をはかる仕組みとして地域通貨が活用できないかというわけです。地域通貨は一種の感謝の気持ちの表明でもあるので、水系の保全につき負担の公平化を感謝券を配分することで行い、その感謝券が同時に地域通貨として水系を共有する地域で使われることで、かつて存在した水系を中心とした経済交流も深まり、同時に環境保全が達成できるのではないかというのです。また、中山間地域の農業、林業の支援にも使えないかとの話もあります。円貨をいくらつぎ込んでも中山間地域からはすぐに円は流出していってしまって、山村の振興につながりませんでしたから。

#地域通貨って?

 こうした期待のなかで、地域のニーズに応じてさまざまなタイプの地域通貨の取組がこの数年、活発化してきました。福祉ニーズに応え、地域支え合いを主要な目的とする時間預託などの取組から、Letsとか交換リングと呼ばれる取組まで、世界各地で取り組まれている多様なタイプの実践が日本でもみられるようになったのです。

 簡単に地域通貨の仕組みを言えば、それはまず会員制です。仲間を作り、そのなかで、会員同士がモノやサービスのやりとりをするわけですが、その清算を会員の誰としてもいい仕組みです。その形式は、Lets(レッツ)や交換リングのような口座変動型と紙券を発行するタイプのふたつにわけられるでしょう。Letsは多角間の清算のシステムともいえます。会員は各自、自分の口座をもち、なにかを購入した場合は自分の口座にマイナスがたちます。販売すればプラスがたちます。いわば口座上で貸し借りを精算するわけですが、会員全体からみると、プラス、マイナスは必ずゼロになる仕組みです。円貨をもっていなくても仲間になれば、モノやサービスの物々交換が大人数でできるしくみです。外国では口座からの支払いを指図する小切手に似たものを切って取引するところが多いです。会員間の取引で小切手のような支払い指図書が発行され受領者は口座を管理する本部にこれを持ち込むと発券者の口座からその額面の金額が差し引かれ、受領者の口座にプラスされるという具合です。日本では通帳を各自もって、それに取引内容を記載して、相互にチェックする仕組みが普及しています。大福帳式というところもあります。各自は通帳をもち、取引のさいにこの通帳に記載し、相互にサインすることでチェックし、本部が各会員の口座の変動を管理するわけです。より簡便にそれをしないタイプの、通帳だけが取引の記録であるようなシステムもあります。どの場合も、各自の口座の残が変動することで、プラス、マイナスの貸し借りが多数の会員の間で精算されていくシステムには変わりありません。

 紙券型の場合は、会員がこれを支払い手段として受領するとの信頼に基づいて運営団体がチケットを発券します。地域のボランティア団体が発券するチケットは社会的支援が必要なところに支給されそれが交換手段として地域社会のなかで取引に使われていきます。主催団体の信頼性や継続性がこのシステムの根幹にあります。

 地域通貨は100%地域通貨だけで取引をする仕組みのものもあります。それは純粋にボランティアベースの取組に適しているようです。また取引の一部に地域通貨を導入し、円貨との複数通貨建てで取引するケースもあり、地域振興の観点では効果を期待できる方式といえます。なぜなら、わずかの部分でも地域通貨建ての部分がある取引では残りの円貨建ての部分は地域の仲間のなかで回るわけで、円貨を地域で循環させる効果があるからです。これは地域で物産の循環を促進する効果が期待できますし、なにより円が地域外へ流れでていきません。実際に、こうした方式で経済効果を上げて地域活性化をみているところがあります。スイスにはその一番発展した形のWIR(ヴィア)銀行があり、1930年代から続いていて60年以上の歴史をもっています。8割が中小企業の国であるスイスで、その2割弱がヴィアに参加しているといいます。景気の波に翻弄されることなくスイスの中小企業が元気なのは、会員間の地域通貨建ての取引部分が企業に抵抗力を与えているからといわれています。

#ゲームで地域通貨を体験してみましょう。

 人相寄ればカネの少なきをなげくといわれますが、お金について深く考えてみる機会は意外に少ないことに気づきます。今のお金のシステムだけで「お金がないから困る」ということばかり発想してきたのではないでしょうか。それだけですと人は他人に対していくらでも残酷になれます。競争を強いる今のお金のシステムは、効率的な結果を生み出すようなことはできます。しかし、同時に他人に対していくらでも冷たくなれるような人間の側面を出します。だからそれだけのシステムでいくとバランスがとれないので、人間どんどん傾いていってしまうのではないでしょうか。人間の身体はバランスを取るために交感神経と副交感神経が働いています。休息が必要なときは後者が優勢になります。地域通貨はこの副交感神経のような仕組みともいえます。地域社会には温かみと安らぎをもたらしてくれる交流の仕組みが必要です。それは交感神経が優勢で一生懸命豊になるためにお金を稼ごうと競い合っている関係を補完する仕組みです。地域通貨が今までの考え方と決定的に違うのは、人間の今あるありのままを見ている点です。これまで、なにかを解決しなければならないとき、人間が変わらなきゃいけない、もっと立派な人にならなければと人間に責任を押しつけてしまいがちでした。ところが地域通貨の場合は、人はその置かれているシステム次第でいろんな面がでるし、円貨のシステムに置かれると、競争して勝とうとする側面がでて、それがうまく社会を発展させてきた原動力ではありますけれど、それだけだと生活していけない、と考えるわけです。今までですと、税金を使って国が、負けた人とか不運な状態に置かれた人とかを救済していくべきだと考えました。ところがそうした国のやり方も限界にきています。コミュニティとか連帯関係とか、人間の優しい面とか、共存していく面だとかが自然に表れてくるシステムを人々が自分達のイニシアティブで作っていく必要があるでしょう。競争と共生という補いあうシステムがあると、人も地域もバランスがとれていくと考えられます。このことが、地域通貨の基本的な精神といえるでしょう。地域通貨は実際にやってみると人がにこにこする楽しさをくれる仕組みです。頭で理解するより体験するのがなによりです。地域通貨も人のすることですから紆余曲折もあります。そこでの問題も検討するつもりですが、まずその基本をゲームを通して知ることができますから、さあ、レッツ(Let's)トライです。

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