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モーリス・アレ『貨幣改革と資本課税』より (ゲゼル研究会)

:: Morino,Eiichi

:モーリス・アレ『貨幣改革と資本課税』より

「・・・ 利子の徴収には常に、さまざまな形で、社会改革者たちが反対してきた。 ルネサンスまではカトリック教会が、またプルードンのような自由な社会主義者が、 そしてマルクス主義者が戦ってきたのである。より近くでは、ゲゼルやジョン・メイ ナード・ケインズのような人間が、いっそう含みのある、巧みな戦いを行った。ケイ ンズはこう書いている。

 「我々の批判の主要な対象は、我々が長い間学び、探究してきた自由放任の理論的 基礎の不十分性である。この観念は、利子率と投資量がそれ自身で最適な水準に決ま るというものだ・・・16及び17世紀、経済思想の先覚者の方法は実践的な断片的 知識に到達していたといえるかもしれない・・・その知識は、高利に反対する法を もって利子率を低く抑えようとの関心にあった・・・」

 シルビオ・ゲゼルについては、ケインズはこう書いている。

 「シルビオ・ゲゼル(1862−1930)は不当にも誤解されている。彼の著作 には深く鋭い洞察力のもつ明晰さが含まれており・・・我々は将来の人間がマルクス の思想よりゲゼルの思想からより多くを引き出すであろうと考えている。自然な経済 秩序の序文を読む読者はゲゼルのもつ道徳的価値を評価できるであろう。我々の見解 では、この序文のなかにこそ、マルクス主義に対する回答が見いだされるべきであ る。」

 リカードやカンティヨンと同じく、ゲゼルは実業家、産業人であった。したがって 自らの語るところをよく知っていた。彼の利子率と土地地代に対する抗議はたいへん な重要性をもっている。

 利子率の理論はたいへん複雑である。それは利子が依存しあう4重の形態のなかで 同時に干渉しあっているという事実のためである。すなわち、−−−−ひとたび与件 とされた資本価値は、それが将来もたらす用益の実現された価値総額として考慮する こともできれば、資本の再生産の可能性に関連して、投下された本源的費用の資本化 された価値としてとらえることもできる。また、−−−−利子率の値に依存する消費 部門が貯蓄した資本額と考えることも可能であり、また、−−−−利子率に依存する 生産部門が活用する総額ないし生産性ととらえることもできる。さらには−−−−利 子率は貨幣の使用価値にも結びついている。

 生産の観点では、利子率は量において限られた財、再生産が可能な資本の使用価格 として現れる。その役割は、これ以外のその他のものの価格が、この希少な資本を最 良な仕方で活用することで、つまり最適な効率性を実現する方法で活用されること で、実現されるところにある。また、与えられた所得分配のもとで、満たされるべき 欲求の間の生産諸手段の最適な分配を保障しもする。

 貨幣的観点では、利子率は流動性の代価と呼ばれる貨幣の使用価値に結びついて現 れる。利子の理論と貨幣の理論は固く結びついたものとして現れ、現実の理解をひど く危うくすることなしには、これらを切り離すことはできないであろう。

 どのような利子理論もたいそう複雑であるほかなく、当然にもさまざまな様相を呈 していることにも理解されよう。利子現象にはただ一つの説明は存在しないし、存在 しえない。実際、それぞれに依存し合い、干渉しあう諸要素の一つひとつを継続的に 分析し、ついで、全体のなかで関連づけるよう努力する以外には理解されえないので ある。

 どの値をとりあげようとするのであれ、利子率の存在は不可避的なものであること を完全に理解することが必要である。どのような社会組織であれ、すべての財は、ワ インが油とは別の財を構成するように、直接に処分しうる財とは違った財を構成する という条件でしか処分しえない。そこから出てくるのはつねに利子率が存在するであ ろうということであり、また一般にワインの価格と油の価格の間には相違が存在する であろうということである。

 利子現象には、原理上、私的所有の制度が認められることがその存立上必要である との、マルクスやラサール、ロードベルトゥスが信じた社会主義的な主張は真実では ない。所有に関連した構造上の条件がなんであれ、あらゆる他のサービスと同様に資 本の使用には、つねに価格が成立するであろう。理由はそれが量においてつねに制限 されているであろうからである。

 大多数の理論は名目利子率がつねに正であることを説明するために提起されてき た。いちばんよく知られているのはマルクス主義者の搾取の理論、資本の生産性の理 論、ベームバベルクの打歩の理論であるが・・・少なくともこれ以外に15種類の理 論が存在する・・・あるものはまったく粗雑なものであり、別のものは限られた概念 に基づいている。それ以外の ものも不完全であり、これらのどれひとつも満足でき るものではない。

 実際、私的所有に基づく市場経済において、いつの時代、どの場所でも、つねに正 の名目利子率が永続的にかつ普遍的に存在することは二つの状況に負っていることを 示しうる。一つは、土地の私有であり、もう一つは貨幣に必然的な正の流動性プレミ アムである。後者はシルビオ・ゲゼルとケインズ、それに私自身が発展させたものだ が、1947年(Maurice Allais, Economie et interet)に私が示したようにゲゼルが本質的な役割を果たしている。

 土地の私有と貨幣の存在はつねに正の利子率の存在と必然的に結びついている。し かも他の構造上の諸条件がどんなものであろうとも、またとりわけ貯蓄性向がいかよ うであろうとも、そうである。土地と貨幣の私的領有が与件として与えられると、個 人の願いや国家の準備する政策に由来する名目利子率を無効とするような傾向をもつ どのような努力も完全に空しいものでしかなくなってしまう。

 つねに正の利子率が存在するということは、土地の私的所有と貨幣の流動性プレミ アムの二つに原因があることになる。このことがどれほど正当化されないか分かるの は、正の利子率に原因ありとする社会改革家の告発でであり、それは「国民所得に対 する重い公租」と、利子に甘んじるかさもなければ無、少なくともより低い利子を 「力をもって先取しようとする資本家の独占的な要求に対する」「国民の厚生状態を 改善しようとする努力が麻痺させられる」、というものである。これを維持すること は不可避的に資本家の利益となるが、事実上、このことは彼らの意思からは完全に独 立しており、意図された行為から生まれたものではまったくない。利子はそれが消え てなくなる行為に支配されてはおらず、ただ土地と貨幣の私的領有という特殊な構造 上の諸条件から生まれる。資本家も完全無欠の世論と同様、これらの諸条件の真の効 果を知らないのである。

 またどれほど正当化されていないか分かるのは、実業家のしばしば聞かれる不平で である。彼らは積極的な精神を窒息させ、経済発展にブレーキをかけるような銀行利 子率についての政策を非難する。土地の私的領有と貨幣の流動性プレミアムを内実と する利子率切り下げの障害を理由に資本が必然的に制限された状態にあり、資本需要 は現存の資本量に適応させられねばならない、というのである。

 土地の私的領有と貨幣の流動性プレミアムが与えられると、法的処置によって利子 率の値を制限しょうとしたり、高利に対する立法を行おうとの企てが空しいことにも なる。

 もし純粋な利子現象を除去することが可能でないならば、では利子総額を集合的に 領有することは可能であるのだろうか。実際、純粋利子の集合的領有は土地地代に関 連する問題以上にいっそう難しい問題を引き起こす。地代にとってと同様、利子率の 計算には正確な経済計算の実行が不可欠であるし、またいかなる経済も利子率を活用 しないならば、またその故に経済に利子所得が生じないならば、有効でありえないこ とは今日、明確に確立されている。たしかにマルクス主義者は経済計算のなかで利子 率の活用の機会を検討したが、そこでの誤りは長期間、ソビエト経済にとって高くつ いたし、このことは現在よく知られている。

 利子の除去は不可能であるが、別の解決がその均衡率の切り下げのなかで探究され てきた。しかし貨幣がつねに正の価値の流動性のサービスを提供するにもかかわら ず、なんらの費用なしに実際上退蔵されうるという事実と利子率が低下すればするだ けより大きな価値をもつ土地の私的領有とは利子の切り下げで対立しあっているし、 流通する貨幣の価値がコンスタントに減少しない限り、また土地の集産化が存在しな い限り、どのような解決も深刻な不都合を提供することになる。・・・」

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