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貨幣に関する5つの誤解 真の経済力はどこにあるのだろう 森野栄一 2002-08-18

:: Morino,Eiichi

グローバル市場の発展による資本や通貨取引のすばやい動きには、非常に大きな範囲で国民国家がその経済をコントロールする力を喪失してきたことを意味しています。そうなったのは、ほとんどの政府が経済の運営にあたっては干渉すべきではなく、実業家や金融業者に任せるべきである、という理論を受け入れてきたからです。どこの国でも中央銀行に金利の管理が任されてますが、これは政治家が経済領域を金融業者に引き渡した、ということでしょう。

さらにこのことを確認させるのは、大がかりな金融市場の規制緩和でしょう。政府はグローバルマーケットでも、同様の姿勢をとっているわけです。グローバルな通貨市場では、一日におよそ2兆ドルが、純粋に利益をあげる為の投機的な理由で取引されています。政府はこのことが国民通貨の価値や経済にダメージを与えているにもかかわらず、何もしていないのです。

金融業者が経済を指導していることのさらなる証明は、彼らが企業の大多数の株式を購入することで利益をあげうることです。借り入れた資金を使って資産を引き剥がす、つまり数千人の従業員を解雇したり、株主や資金提供者に報酬をもたらしたりする為に、産業を破壊しているのです。株式と配当の市場価値が、彼らにとって大事なことの全てなのです。

銀行やその他金融機関の中心的な役割は、貨幣と利益の追求が経済活動を決定する要因であることを確認させることです。金融業者と多国籍企業が権力をもっていて、政治家が持っているわけではないのです。何がなされるべきで、何がなされるべきでないかを決定することが、不当な利益をあげるもの立ちのなすがままになっています。

政府はそれをただ傍観して、人々の仕事や幸せを守るために何もしてないか、そのお先棒を担いでいるように見えます。実際、政府は金融業者たちのたかが知れたお情けにすがって、人々の利害や幸福を放棄してきたのかもしれません。このことは人々に奉仕すべき政治家の職務怠慢、とみなされる必要があります。

こうした金融が支配する経済の本質は、貨幣が作り出される仕方にあります。私たちの生活のあらゆる面で、貨幣が中心的な役割を演じているにもかかわらず、貨幣については驚くほど知られていません。それは貨幣の問題があまりに難しく、ふつうの人間には理解困難、とする銀行家や金融業者が作り上げてきた”神話”が、原因なのです。彼らがこうした観念を広めてきただけでなく、経済学者がこれを手助けしてきたのです。貨幣を理解しコントロールするのは、専門家に任されるべきだというわけです。

貨幣についての本質的な事項は、本当はシンプルなのです。このことが公衆によって自覚されるとき、人々は問題を感じ始め、銀行家に許されている不正行為の改革のために、政府は何をなすべきかを要求し始めるでしょう。政府は、銀行家による貨幣の管理が引き起こす誤りを正すよう、要求されるはずです。

ふつうのひとは、容易に騙されています。それには五つの騙され方があります。
1、彼や彼女は、貨幣が造幣局や中央銀行を通して、政府により創造されていると思っています。そして貨幣は、紙券とコインからなっていると思っています。
事実はといえば:貨幣はわずか数パーセントだけが、政府の作った紙券とコインなのです。
2、彼や彼女は、銀行が貨幣を貸すとき、その貨幣は銀行にその他の顧客が預け入れた貨幣だ、と信じています。
事実はといえば:銀行から借りる貨幣は、断じて預金者の貨幣ではありません。それは借り手の口座の債務欄に単記入するプロセスを通してつくり出された新規の貨幣なのです。流通している貨幣の90%以上が、こうした方法で生まれています。もし実際に銀行が預金者の貨幣を貸し出すなら、銀行は望むときにそれを利用できません。もし誰かが貨幣を引き出したいと思い、こう言ったとしましょう。「すみません、その貨幣は私どもが山田太郎氏にお貸ししました。」彼や彼女は怒ることでしょう。当然の事です。別なふうにいえば、貨幣の90%以上が「ほんとう」の貨幣ではなく、信用だということです。まったく銀行の元帳やコンピューターにある数字だ、というわけです。貨幣は無から創造されているわけなのです。でも、それは使われていますし、ほんとうの貨幣として受け入れられています。どの点からみても、それはお金なのです。借り手はそれを使って、家屋を購入したり、賃金を払ったり、原料を購入したりしています。

それでも、それはある口座から別の口座に移転される数字にすぎません。それはクレジットとか、銀行貨幣とか、数字のお金、チェックマネー、債務貨幣、電子マネーとか、いろいろに呼ばれてますが、なんと呼ばれようと、人々が望むときに紙券やコインのようなほんとうの貨幣を、手に入れることができるから使われるし、信頼されているだけなのです。
3、 彼や彼女は、銀行などには厳格な統制と管理がなされている、と信じています。
事実はといえば:銀行などの金融機関ができること、できないことに関する厳格な管理が、存在するという信念も間違っています。かつて銀行が中央銀行に預金すべきとされた法廷の預金は、本の取るに足らないものでした。銀行が貸付の保証とするいかなる部分準備も、きわめてわずかなものだったのです。規制緩和によって登場したものは、何であれ金融業者に歓迎されていますが、なんと政治家も歓迎している状況だったのですから。

現在ある唯一の規定は、銀行が中央銀行に彼らの資産のほんのわずかを預金しなければならないということです。その資産といっても、主に銀行が作り出した融資から成り立ってます。このわずかの名ばかりの金額がしめしているのは、借り手にはなんの安全でもないし、彼や彼女を守る適切な規制もない、ということです。しかし銀行のほうは、抵当として差し出された借り手の不動産を持っているのです。

4、彼や彼女は、融資に伴い支払う利子が合法的な料金であると信じています。彼が融資を受けているのが、別の人間の貨幣であると信じているからです。
事実はといえば:利子は貸し手が自分の貨幣の使用を断念することに対する償いである、とみなされています。貸し手が直接的な欲求や楽しみの為に支出しないことでなされた犠牲の代わりというわけです。これは預金者にとってはそうかもしれませんが、融資を行うときに貨幣を作り出す銀行のためのものではありません。銀行は、融資が存在する前は存在しなかった貨幣の利子を、貢物として請求してくるのです。それで、銀行は利子の形で貨幣を手に入れているわけです。

5、彼や彼女は、自分の債務を返済しえないとき、銀行が自分の差し入れた抵当を取り上げるのは正しい、と信じ込まされています。
事実はといえば:借り手は通常の月賦返済で返済しなければならない債務を負っていて、加えて利子も払わなければなりません。さもなければ、法律上の罰則が課されます。もし借り手が債務不履行で返済できない場合、彼や彼女が融資の担保に差し入れた不動産は、合法的に没収され、銀行への返済に使われます。家屋を失ったり、事業上の損失を受けたりするような苦難や困難が、借り手の身に降りかかることはどうでもよいことなのです。理由が何であれ、負債は期限通りに返済されなければなりません。
しかし、この貨幣が無から作り出されたものにすぎない信用マネーだということは、よく覚えておく必要があるでしょう。ほとんど全ての貨幣は、債務から生まれることを忘れている人が多いですね。しかし、ほとんどの人々が、借金をしているのです。

負債の総額は、総貨幣供給より大きいものです。債務には抵当が入っているいる場合が、ほとんどでしょう。事業上の債務は、グローバルマーケットの引き起こす競争の激化のなかで、事業を維持しなければならないために増え続けています。現金は慢性的に不足しています。これは、提供されるあらゆる財やサービスを購入するために、十分な購買力が存在しないことを意味しているでしょう。こうした支出すべき貨幣の不足は、ほとんどの人が負っている債務の重荷のために引き起こされているわけです。もし彼らが、自分の家屋や事業を維持し続けたいと望むのであれば、債務に対する返済をし続けていかなければならないからです。 Morino,Eiichi

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