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アルゼンチンのグローバル交換リング(RGT)という社会的貨幣:カードを切り直して社会的ゲームをやり直す

::Heloisa Primavera(エロイサ・プリマベーラ),1999年3月 primaver@clacso.edu.ar 広田 裕之 訳 1999年3月 

要約 :

今日、伝統的な交換メカニズムでは理解し難い特徴を持った交換リングがアルゼンチンで勃興しており、公式市場でもいわゆる社会経済(オルターナティブな経済)でも使われているが、そこでは普通の通貨は排除されている。これらは現在国際的に行われている様々な実験の研究の成果であり、その歴史やこの4年間の間で顕出した現象を生んだ条件といったわが国の条件に即してRGTの経験を位置づけようとしている。RGTの進化の過程で出現し、われわれの意志に関わらずグローバル化された文明の持つ、「われわれの唯一の世界」が抱える問題を考えるためにこれまで取られてきた理論的範疇に挑戦する、いくつかの刷新の可能な意味を紹介したいと思う。

社会的契約が長年にわたる闘争の期間に、さまざまな戦闘の前線で築かれるという理解のもので、アルゼンチンのRGTやメキシコの「もう一つの」価値市場、ニューヨーク州のイサカアワーをはじめとする300もの米国の地域通貨、フランスのSELsやカナダのLETSシステムを真似た欧州やオーストラリアの全てのシステムを含む、世界中で現在発達している補完的貨幣の実験が相互に連結し、失業への一つの緩和剤以上の意味、いわばトランプのカードを切り直して、ユートピアを必要としながら始まるこれからの1000年に対して社会ゲームのカードを配り直すことができることをわれわれは強く信じている。

鍵となる概念: * 福祉、非福祉国家、離反国家;

* 都市環境と失業; 生活の品質生産工場;

* “チップ友人”と”チップ敵”という概念の新たな理解;

起源への帰還か、市場の再発明か?

アルゼンチンで何万人もの参加者を集め、ウルグアイ、ブラジル、ボリビア、エクアドル、そしてコロンビアといったラテンアメリカ諸国でも定着しようとしている、この実験の新たな理解に寄与するいくつかの概念について議論を展開したいと思う。

1. 福祉国家のゆっくりとした断末魔に対する回答

2. 偶然と必要性: ベルナルのヒョウタンという決定的瞬間

3. 原則の表明: 「グローバル」交換リング

4. ことばに意味を与える行為

5. 可能な将来を超えて: 誰とともに?

1. 福祉国家のゆっくりとした断末魔に対する回答

アルゼンチンでは、最近グローバリゼーションと呼ばれるこの一連の現象の影響で、政治的・経済的行為者間の世界的な関係の変化に対応するさまざまな特殊な対策が取られてきた。この地域では豊かだと伝統的に考えられているこの国も、世界経済の変化に対して、特にこの20年の間に極端に脆弱になった。対外債務の返済義務という明らかな名目において、国民経済を手なずける役割を負った国際機関にとっては、80年代は既に古典として、経済成長にとって「失われた10年」であり、社会的発展という観点から眺めればこの時代を「破局的」といっても言い過ぎではないが、それはラテンアメリカを地球上で最も不平等な地域にしてしまったからである。18.6%というわが国にとっては受け入れ難い失業率のために、戦後の福祉国家が非福祉国家に置き換わってしまい、その非福祉国家が、ブエノスアイレスを最近襲った大停電の際にわれわれが目にしたゼネストで正当化された離反者という特性を獲得したのである。これらは政府がさらに管理能力を失ったということの確かな証左である。構造調整の対外的な責任者、特に世界的(金融?)ゲームのルールを監視するという使命を帯びたさまざまな国際機関にとっては。

アルゼンチン最初の交換リングの誕生は、すなわち20世紀後半で最も厳しい失業状態で生存するための市民社会の基盤の回答であると理解できる。ブエノスアイレス市から30キロ離れたベルナルでは、失業の急速な増大と生活の質を同時に心配したエコロジストのグループが、この両方の分野で活動することにし、環境問題の中心が近隣に住む人間の直接的な関心に近づけるようにした。いいかえれば、これは「ニュープーア」という生まれつつある社会階層のイニシアチブであり、公式市場ゲームに参加できるようにし、確実に続く社会的疎外の絶え間ない過程を打ち破るためのものである。地域自給プログラム(PAR)の中で、二十数人の隣人が集まって最初の交換リングが1995年5月1日に創設されたが、これは労働市場の向上と同時に、公共部門で無視された福祉の建設を実行する役割を担うことも期待されていた。つまり、資本主義特有の論理から開放された国家や市場である。

最初の一年間、毎週土曜日の午後、交換リングのメンバーはさまざまな生産物を交換していた。はじめは穀物や果物、野菜やインスタント食品が主に取引されていたが、服や織物、それに手工芸品も含まれていた。そこに歯科医が招かれ、彼が好んでいた隣人のパンと引き換えに治療をするようになり、サ―ビスが含まれたことで交換の幅が広がってきた。最初の時期は共通の手帳とカードに主催者が取引を記載しており、口座の管理ができたが、それではあまりにも多くなったのでパソコン上に記録されることになったが、それでも中央集権的で、わずかな人だけが実権を握っていた。彼ら自身がその余りにも多い情報(や、おそらく権力)、それにあまりにも多い仕事のためにグループの成長そのものが阻害されることになると警告した。このおかげで、債権者と債務者の氏名が記された譲渡不可債権によって、取引の脱中央集権化のシステムが構想されるようになった。フランスのSELsのように世界のほかの地域の実験では有効なこのシステムが、アルゼンチンでは長続きしなかったということは記憶しておく必要があるが、それはこれらの「小切手」が裏書きされ、他の取引でも使われたところでは、お互いによく知っているため、友人や信頼できる人の債権を使うことができたのである。それにそういった違いは些細なものだが、それはこれは質的に別な時期の開始を意味しており、補完貨幣の具体的な例で、社会参加を促すその影響によってここでは社会貨幣と呼ばれ、交換リングの参加者内に制限された大量の貨幣の流通にまで至った、ある譲渡可能債権の創造を促したからである。これらの単位は、メンバー間に存在する信用と結びつき、A.トフラーの「第3の波」から着想を得た「生費者」のグループのメンバーに要求される、生産し消費する能力に支えられていることからクレジットという名前で呼ばれている。クレジットは生費者間の取引の実現を促進し、別の交換リングに属する人たちの間でも商品やサービスの取引を拡大する働きも持つ。このようにして、これらの取引は実際には交換リングネットワークを生み、それが後にグローバリゼーション化にある公式経済という宿敵を意識するために「グローバル」という名前を持った。

参加者の熱意と、さまざまな新聞や雑誌の論評といったマスコミの大きな貢献、例えば視聴率が高いオラ・クラーベ(ニュース番組)、アベ・セサル、クラーベス・パラ・ウン・ムンド・メホール(相互扶助番組)といった番組がネズミ算的な成長をもたらし、2年後には年間で1億ドルに達し、これに参加した家庭に毎月100ドルから600ドルもの補完収入をもたらす取引が行われた。3年の間にこの数字は10倍以上になったが、それには企業家としての資質に恵まれた生費者がこのシステムに参加したおかげでもある。このシステムが導入された州は15(アルゼンチンの州の数は全部で22+首都特別区、フエゴ島准州:訳注)にのぼり、常に交換システムや経営方法のさまざまな様式などを尊重している。いいかえれば、市民社会が運営され、世界中で成長を続けている社会的疎外の張本人である貨幣に頼ることなく、自らのために豊かさや生活の質を生み出す能力を持つようになった。われわれの社会の中の低収入部門で見出される社会的非保護に気を配るならば、わが国だけでなく、テキーラ、米、ウォッカ、それにサンバ効果が3年少しの間にもたらした経済的「エル・ニーニョ」に影響された地域で、われわれが社会的革新の過程に立ち向かっていることを認識せざるにはいられない。最近の学術的研究では、さまざまな形で行われるわが国の交換リングでの取引額は、年間で最低4億ドルにのぼると推定されている。

イサカ・アワーやLETSシステム、フランスのSELsやメキシコのティアンギスの発展と比較すると、このアルゼンチンモデルの4つの主要な特徴が定義できる。

初期からの社会貨幣の発行;

小さなグループへの高度な参加を可能にし、毎週定期的に行われるミーティングを持った、常設共生システムの育成

交換リング内で交換が行われてネットワークが結成されて以来、ネットワークへの補足的な所属で、現在ではネットワークの結び目と呼ばれる、新たな複合参加を特徴づけるものが登場したこと。

ネットワークの基本原則を守りながら結び目が他の結び目に対して確固たる自治性を持つこと(後述)。それにこの大きなバーチャル社会事業での生活が提起するさまざなま種類の問題を解決するための同意や、継ぎ目のさまざまな方式

異なった状況の中での似たような経験の存在を認識するならば、アルゼンチンの実験が完全に他国のケースとは別個に生まれたものだということは実に興味深い。インターネットによるコミュニケーションという意味では今日些細であることも、わずか4年前はそうではなかったのだ。実際、この2年間のコミュニケーションの爆発的な増大が、メキシコの”もう一つの価値市場”や米国ニューヨーク州のイサカアワー、カナダのLETSシステム、フランスのSELシステムにオランダのノッペルスの実験との対話を可能にした。もちろんこの対話によって外部からの視野が、アルゼンチンの経験の広がりと成長速度に対し好奇心を向けたのも確かだった。これは当初、非公式経済の単純な代替案、特に「生活の質生産工場」という意味で見られていたものを正当化することに不安を持ってはいたさまざまな地方の行為者の間に、大きな自信を同時にもたらした。

これらの考察で、われわれはアルゼンチンの実験の出現と発展の条件をもう一度意味づけ、その結果これを必要とする他の地域でも利用できるようにするつもりである。われわれの理解では、昔の実践を新たな視点で見る変種を観察すること、つまり新たな社会的実践を生み出すことのできる概念を扱う。さらにいうならば、資本主義体制の中からそれに逆らいながら、連帯経済の実践を生み出すことがどのようにして可能だったのかを示すつもりである。それがRGTの中にある能力開発プログラムの意味でもあり、それは起業家のリーダーシップを、伝統的にそれとは対立するとみられていた政治家や連帯のそれと組み合わせることができるかを示そうとする。

世界を見るためにわれわれが使う範疇がそれらをわれわれが変革する可能性である、とする理論的視野によるならば、東洋と西洋の諸国のさまざまな危機を診断し解決するために用いられたものは、グローバル社会ゲームのルールをいくつか変えるという点では、結果的には貧しく、理論的には単調な解釈を生み出した。それよりは良いわれわれの理論は、残念ながらわれわれの時代が必要とする変革を同時に作り出すことはできなかった。試合の参加者がゲーム中に死んでしまったり、技術的な指導者が試合を中断したりするため、敗北の危機が迫ったときにゲームを行う時間が不足していた。もう一方では、試合はますます不平等で逆転するのが困難なものになり、増えつつある疎外者を生み出すわれわれの社会がもっと公平で民主的で公平な社会秩序のための変化促進機としてRGTの経験を議論するのには、この場がふさわしいのだ。倫理学、政治学、イデオロギー、それに論理的革新を生み出そうとする意欲、政治科学、経済学やその技術に対し、その窓は例外なく開かれている。

2. 偶然と必要性: ベルナルのヒョウタンという決定的瞬間

歴史が認識され、この偉業の実行者や研究者(この論文の末尾にある参考文献やhttp://visitweb.com/truequeのサイトを参照のこと)によって広く文章化されているとはいえ、その地域の生活条件の急激な悪化に伴い環境に不安を持ったグループがあり、ブエノスアイレス都市圏の失業を心配しつつ、環境に憂慮した態度を表明するためのプログラムを開発することを決めたことを思い出す必要があるだろう。そしてPAR(地域自給プログラム)の活動によって、創立者の一人であったカルロス・デ・サンソ(Carlos De Sanzo)が自分の家で、狭い余ったスペースを活用し、環境保護活動を都市圏でも行うために屋根にまで達するヒョウタンを栽培した。1年後、この小さなエネルギー生産工場は約1トンもの食糧を生産したが、これは家族が利用することのできないものだった。このためこのヒョウタンは、隣人で夫を失い、いつ来るとも知れない年金を長い間待っていたために危機的な状況にあった女性の手のもとへと移った。ここで最初のひらめき、つまり近所同士で剰余物を共有し、相互的に需要を満たす何かを結成するというアイデアが生まれた。ルベン・ラベーラ(Ruben Ravera)とオラシオ・コーバス(Horacio Covas)がベルナルの最初の交換リングをお創設し、環境とイマジネーション、それに連帯が組み合わされ、現在アルゼンチン国内、さらには外国にまで広がって多くの人たちの生活を変えた壮大な社会的実験を行った。

隣人と実践に移した、連帯と技術協力の実験を増やそうとしながら、グループ内でさらに多くの種類の需要と供給を含めるため、これを多くの人間や部局同士で行おうというアイデアが生まれた。自然の発展のように、一度ありえないことが達成されると、プロセスの方向を変えることができるのだ。これは遺伝子学上だけではなく、文化的な変化の意味でもあり、まさにこれが、ブエノスアイレス州ベルナルのガレージでほぼ4年前に開始した交換リングなのである。

政府や市場の疑い深い人は、いつこの無邪気なユートピアへの帰還が失敗するだろう、という眼で見ていた。しかし最初のグループの熱意とマスコミのすばらしい協力によって、危機の際にはよくある失望や諦めの中、予想もしていないことが起きた。このアイデアが実を結び、交換リングが全国に広がっていった。ある時期を境にして交換が別のリングのメンバー同士で行われるようになり、実験の創設者が当初から頭の中では描いていた交換リングネットワークが、実際に生まれたのだ。ユーモアと大きさから、このネットワークを「グローバル」と名づけたが、それは大多数を科学と技術の進歩によって生み出された恩恵から疎外する経済という怪物に立ち向かうためでである。実際にユートピアを再構築する時期であるのだ! それ以上でも、それ以下でもない。ここに、発想を与えてくれる書物に貯め込まれ、家族から奪われた何千もの時間が貯蓄されており、専門家との接触、それに万人が近づける友好的な社会挿入システムを創設する目的でその文脈の中で実験を実施しようとする人への連帯的援助があるのだ。

その誕生からほぼ4年が経過し、さまざまな実験がこの新たな状況下で行われた。二重市場企業が状況に応じて公式市場に参加したりそれから脱退したりする柔軟性を持つことを可能にし、ベルナルのシステムを特徴つける信用債権を通して行われる交換と直接の交換が組み合わされたが、われわれが戦うべきシステムそのものの害悪が再現され、敵を倒すことではなく多様性と敬意のもとで成長することに目的があることを忘れさせるような幻影や権力に対する多くの戦いが繰り広げられた。変革を模索し、見えないものに時に目をくらまされる社会の浮き沈みは誰にもあるが、相互性、連帯性、信頼、それに創造の自由という当初の原則を守りさえすればそれらは回避できる。

ネットワークの進化のさまざまな段階を明らかにすることで、以下の段階を特徴づけることができる。

最初の段階では、取引は基本的に直接的かつ単純であり、中央集権化された台帳とそれを記録している個人のカードに記録され、食糧や衣類、それに手工芸品といったものが主に扱われていた。この時期が何ヶ月か続き、ベルナルではメンバーが約50人になり、それにブエノスアイレス市と北部のオリーボスでも同様の試みが行われるようになった。

この次に、新製品の探索とサービスの導入の段階が、最初の歯科医と、絵画やレンガ工事、電力、水道管工事といった家庭の基本的な修理サービスの参加で始まった。最初の交換リングの成長にともない、計算がパソコン上で行われるようになり、わずかながらも勤勉な創設者たちの手で中央集権化されて行われていたが、二つのマイナス要因が発見された。彼らにとっての過度の業務と、権力(というのが大袈裟ならば情報)の過度の集中である。この時期にシステムを非中央集権化かつ敏速なものにする探索が行われ、それは前にも述べたように、概念的には譲渡が不可能なものの譲渡可能なものとして使われている債権の創設につながった。.

最初の年の間にベルナルの交換リングは成長し、ブエノスアイレスでも最初の交換リングができたが、2年目に活字媒体やテレビ・ラジオといったマスコミの報道によって成長は、危機に対して回答を出せない政府の無能性に対して解決策を模索しようと、首都圏でも地方でも爆発的なものになった。政府や第3セクターといった高度に中央集権化されたところのイニシアチブの観察に刺激され、監査委員会と名づけられた創設グループが、当初から交換リング自体の違いに対応し、メンバーの参加不足を対処するためにリングの自治の必要性を強調していた。それぞれの交換リングがそれぞれ、PARの勧告を実施しながらも独自の経営方式やを打ち出すことが、1年目の終わりには既に決定されていた。1997年はじめには、交換リングの数が全国で200以上に膨らみ、メンバーも数万人単位に達していた。

当初からPARの監査委員会が実際には債権の発行権を有していたが、交換リングのネズミ算的な増加に伴い、経済の活性化と交換リング間の取引を可能にするシステムの保護を保障するメカニズムを築く必要性が出てきた。こう書くのは余計かもしれないが、拡張にともないシステムが、債権の過度の発行やニセ債権の横行、制裁と管理のメカニズムの探求といった逸脱を起こすようになったのだ。そのようにしてPARの運営の中央集権化の時期に首都圏地域では脱中央集権化と地方化が行われ、北部・西部と首都ではクレジット(交換債権に与えられた名前)委員会が組織され、4つの地域で受け入れられるように等価であることで合意を結んだ 債権を自ら発行した。現在3種類の債権の存在が知られている。地方債権 (交換リング内でのみ通用), 地域債権 (交換リング内、あるいはいくつかの地域で通用)そして国内債権 (全国で通用)である。

新たな中央集権化、または脱中央集権化が、それぞれ定期的に(だいたいは月一回)集会を行うさまざまな委員会の創設で起こった。地域運営者委員会、地域間運営者委員会、地域クレジット委員会、RGT推進委員会が、このシステムの普及と能力開発プログラムとともに運動内で起こっていった。実際には生費者は自治権を有し、委員会の助言に多かれ少なかれ従うが、参加者の貢献度や熱意にかなりの差があるため、その委員会の代表性は必ずしもはっきりしているわけではない。債権を伴わない人間間の直接交換は交換リング内でそれなりの地位を占め続け、連帯と相互性の原始的な実践が組み込まれていることを示していた。

最初の3年間の間はネットワーク内の団結を特に固める必要に迫らていたが、市民国家を変革することに現在まで強硬に反対している第4セクターのイニシアチブを強固にする合法性と新しい統合法を探求する目的で、1997年末から政府や市場に対しての開放が行われるようになった。どんな政党、労働組合、それにNGOも生費者の行為を支配することはできなかった。当初は”活動的メンバー”(参加の強化や代表性といったメカニズムが自らに欠けている代表者達)の多くによって抵抗を受けた、社会促進局や産業局、通商局、観光局、そして雇用局を通してのブエノスアイレス市役所との接触は、”公共物運営者”として定期的に選ばれる代表者の財産、市民社会の合法的なメカニズムとして受け入れられた。この接触が、”合法化”の必要性についての議論や政府の新たな役割という意味を超えて、政府側として失業に対処する合法的なメカニズムとして多者間の相互交換システムを認識したことを意味していることを確認しておくことには意味があるだろう。

ブエノスアイレス市役所が本気になってこの市民社会のイニシアチブを応援する最初の行政当局になったことで、キルメスやコルドバ、メンドーサ、ミラマール、アルミランテ・ブラウンなどといった市も同様の宣言をだし、法的関心から同様のことを行う州も出てきた。ネウケン州のプロッティエル市はさらに、地方自治体への税金滞納者に対してこのクレジットで直接支払うことを認め、これがきっかけとなって他の市やNGOでも、交換のさまざまなモデルに属する債務者とともに、相互作用のメカニズムを刷新するところが出てきた。現在キルメス市の文化局青年課は、多者間での相互取引を可能にする債券を使って学生同士で教科書の交換を行うことを促進している。

同時に、経済活動の管理者としての国家からも、この部門の生産物やサービスの消費者の不足に苦しむ中小企業部門のための経済的オルターナティブとして交換リングネットワークが受け入れられ、公式市場への可能な移行への橋渡しがなされるようになった。最近RGTは大統領府社会開発省FONCAP(社会資本基金)が運営した全国的規模のイベントに展示者として参加し、中小企業局がこの部門で運営を行うことに関心を持っている生費者の能力開発プログラムを支援している。ミクロプロジェクト、青年プロジェクト、それに労働再編成プログラムなどといった構造改革が作り出した多数のプログラムにはほとんど見られず、忘れられていたこの財産の供給者として、このネットワークがとらえられはじめている。

他方では、その発展の結果として、ゆっくりながら絶え間ない公式市場への開放への動きがネットワークの内部からも巻き起こっていた。これは少なくても、二つの別の状況で見られる。生費者が経済的に安定した生活に戻り、ネットワーク内で自分の必需品を満たすや否や、一般的に数名で公式市場に戻ったり参加したりしようとする。こうして”二重に”生まれる企業ができる。つまり、二つの市場で運営されているのだ。または、危機状態にある中小企業が、公式市場には欠けている、生費者間の信用と連帯という要素を利用し、あまり技術を持たない生費者との間で生き残っていける広大で魅力的な市場の存在から利益を引き出そうとする。

道は閉じられているわけではなく、その逆である。生費者のかなりの部分が、その歴史的に続いている不信の存在によって完全に正当化された懐疑の念をいまだに政府と市場の開放に持ってはいるが、ある制限された領域では信用を再建するのに一役買っている「小さな成功」が存在しはじめている。実際にはうわずった約束ばかりしかしない選挙期間の恍惚が過ぎてしまってから、この開放のプロセスの経過を見守ることが必要だろう。

ネットワーク内部に目を向け、地域の組織やクレジット運営者のさまざまな委員会の機能やさまざまな促進団体を確認するならば、その進化の特徴を示すことができる。新しい社会的実践を意味する新語が使われるようになるのだ。

管理できないものを管理しようとすることの愚かさを認めるならば、多様性こそがここでは君臨しているのだ。さらにいうなら、その運営には理論の領域にとどまらない新たなロジック、ネットワーク生命の現実ロジックが働いている。多様性や他人への敬意から可能性がさらに高まるのだ。

最後に、諮問委員会の解消ののちに創られた推進グループが1998年より、集団的創造の拡張の場として、他の社会的状況でも同様な実権の創造を支援するために債権の発行などの基本技術という結び目の方法論を普及させたことを認識しておくことが重要だ。このようにしてスペイン、ウルグアイ、ブラジル、ボリビア、エクアドル、それにコロンビアでの最初の交換リングが結成され、さらにコスタリカ、ホンジュラス、それにエルサルバドルがRGTから社会的貨幣に支援された連帯的経済に含むことで、100万人の加入者を達成することができるだろう。

3. 原則の表明: 「グローバル」交換リング

「市場を再発明する」という論文の中で穏健な形で更新されたこの版の中で、実際に以前のいずれかの出版の中に見つけることができるとはいえ、すべてを代表するようなわずかなことばの集合体を、RGTの原則が構成している(少なくとも意図としては)。それからもちろん、いつそれが達成されたかどうかを「解釈」し、それを達成したりあるいは達成していないのは誰であるのかを知る人間が出てくる。

例の通り、問題はことばではなく、その意味や実践との関係で合意することである。そういうわけで、未だ存在していない空間ではあるが、そこでわれわれが生きたい場所へのガイドとしてわれわれの未来を変える「宣言」という性格をそれらの原則に与えることが重要である。ネットワーク内外での生費者との平均距離を定めるためにその原則を見守ることは、その意味で挑戦的であるといえる。

それらの計画は、以下の通りである。

1. 人間としてのわれわれの実現は、貨幣によって条件付けられる必要はない。

2. われわれの目的は商品やサービスの販売促進ではなく、労働や理解、そして公正な取り引きを通じてより高い意味での生活に到達するべく相互扶助を行うことである。

3. 不毛な競争や投機を、人間間の相互関係に取って代わらせることは可能であるとわれわれは信じている。

4. われわれの行為、生産物、それにサービスが、市場の要求や消費主義、それに短期利益の獲得以前に道徳や環境の基準に応えるものであることをわれわれは信じる。

5. RGTの会員になるための唯一の必要条件は、グループのミーティングに参加し、品質自助サークルの勧告に沿って財やサービル、それに知識の生産者かつ消費者になることである。

6. 各会員自身が自分の行為や生産品、それにサービスに責任を持つ。

7. グループへの所属は依存を意味するものではないとわれわれは考えるが、それは個人の参加は自由意志に基づくもので、ネットワークの全てのグループに適用されるからだ。

8. グループは公式かつ安定した方法で結成される必要はないが、それもネットワークの製作は役割や機能の巡回を意味するからだ。

9. 内的事情に基づいたグループの自治と、ネットワークに属するために必要な原則との両立は可能であるとわれわれは信じる。

10. 会員として、われわれの基本的な原則を歪曲しないために、RGTとは無関係な主義を金銭的に援助しないことをわれわれは勧める。

11. ネットワーク内外でのわれわれの行動が最高の例であると信じる。プライバシーに関する信頼性と、ネットワークの成長に影響するテーマの扱いに関する慎重さをわれわれは保持する。

12. 社会の大多数の持続可能な福祉の結果として、進歩が達成されることをわれわれは心より信じている。

4. ことばに意味を与える行為

多くの概念が、単に名づけられたことでその本来の性質を歪めてしまうことをわれわれは知っている。そのため、前も話したように、ネットワークの原則はメンバーの経済行為を管理する固定された基準というよりは、道徳的行動を誘発する灯台やガイドである。だが、それらの原則に生気を与える社会的実践は、ほぼ4年間の交換の間に構築されてきた。

おそらくこの12の原則や交換債権(クレジット)の使用のみが、ネットワークのすべての結び目と幅広い地域に及ぶ生費者に本当に共通なものであり、すべての生費者を特徴づけ、彼らに所属を与えるものかもしれない。他はネットワーク内で大体自由かつ多様性を持つものであり、どのような場合でもそのネットワークを「規則化」しようとしている人たちにはあまり良くないものであろう。現在社会に存在しているネットワークの大部分はピラミッド型の構造をしているが、RGTではそうではない。そのネットワークとしての性格は常に守られてきており、おそらく完璧なものへとなっている。時が経てば分かることである。社会的文脈や必要性、それに可能性の主観性や差異がある。生費者の実践の中で生まれる、運営者のミーティングあるいは異議の中で構築される合意があり、それは第6の「各会員自身が自分の行為や生産品、それにサービスに責任を持つ。」という原則を思い出させる。生産し消費する、つまり「生費」し続けるために「解きほぐされる」緊張というものもあり、生費以外のことに関係する問題もある。

確実なことは、権力はあるべきところ、つまり全体の成長と連帯の原則の領域内でものごとを行う人々の間にあるということだ。もし誰かが資本主義を再生して5000クレジット、あるいは3万クレジットを集めたとすると、そのグループ自体が彼に「制裁」を課し、その反感で彼を区グループから追放する。これは間違いなく、違反行為である。遅かれ早かれ、クーデター計画者のみが街の広場で話を行うことになるだろう。全体の利益のためではなく自分が支配したいがために支配の規則を課そうとする地方ボスは自分のゲームを異なった方法で展開する。どこでも大体道徳的な方法で行われる。大体の場合は善意によってではあるが、そのようなわれわれが克服すべきゲームのシステムが構築されることがある。その中にはカリスマや原理主義が含まれているが、それらは新たな合法性の場所や新たなアイデンティテイの探索を行う。きちんとなっていない第3セクターの汚職政治から脱して制度化に抵抗する第4セクターから政治を行い始めようとする闘争という形で。

探索と構築の時期であったため、新たなプロアクティブ(単に何か、あるいは誰かに反対するだけの多くのイニシアチブのようにレアクティブではない)な回答を見出すために社会的疎外者を探索する使命を持って生まれた先駆者的なオベリスクの結び目では、以下のことを意図する能力開発プログラムが実行に移された。

* ゲームとしての権力のテーマを明快に研究する

* ネットワーク内の連帯、企業能力、社会的責任の概念を再定義する

最初の接近では、オベリスクの結び目の能力開発プログラムのモデル1と2で実践され、参加者の間に、さらに高いレベルでの個人の主役性と違いの間の統合に対して集団的ダイナミズムを向けるように基本的には目的づけられた三権分立論 が用いられている。

2番目の捕らえかたでは、連帯、企業能力、民主的行為が相手に対しての責任として同時に組み合わされるリーダーシップを開発することを提案しているフェルナンド・フローレスの論文からスタートしている。これらの用語はわれわれが再度、モデル3と4のようにして先駆者的な結び目で実施されている能力開発プログラムの適用のために、具体的行動として意味を与えたものである。このようにして、ネットワークの内部に向けて

連帯的であるとは、実際には毎月生産した量と同じだけあるいはそれより多少多く消費し、貯蓄しない(特にシルビオ・ゲゼルの理論に着目するならば)を意味する。

企業家であるとは、個人的な生産や消費をRGTのために、あるいはそこから、市場で消費される生産物ネットワークの生産物に置き換えながら、段階的に増やすことを意味する。

政治的に責任を持つことは、他者の合意を得た上で共通の利益のために週数時間の労働を捧げ、ネットワークや結び目の発展において積極的な役割を果たすこと意味する。

この8ヶ月にわたるプログラムでは、参加者は個人的、集団的、そして社会的な発展を自分の交渉能力を高め、成人の生活における8つの分野(健康、家族、対人関係、世界、教育、労働、金銭、余暇時間)における目標を自分で責任を持って決定するプランを起草して実施するように求められる。同時にネットワークの中でそれぞれの専門の質の計画を鑑みながら、小さな企業計画(自分一人で、あるいは他の生費者とともに、企業能力の可能性を探求しながら)に着手することも求められる。この能力開発のプロセスの究極の目的は実際に、生活の質の新たな広がりを推進することだが、その生活の質は単にその場での消費のための生産物やサービスの取引にのみ奉仕する生活のそれよりもさらに全体的で環境に配慮し、社会的なものに統合された人間開発のビジョンと合致する。

自己描写以前に現実の「構築」という役割を言語にもたらす新たな認識パラダイムへのわれわれの編入のおかげで、公式市場から排除され交換リングに接近する人たちの回復のための基本的なある種の概念を再解釈することができた。以下に示されているのが能力開発プログラムで行われていることの基本概念である。

小グループの内部からの新しい社会的関係の構築の中で、市場を再開発するという行為自体によって生活を再開発する可能性としての交換

ネットワークの内部―地域やクラブの異なったクレジット―で使われる交換証書、たとえば使用者自身によって発行かつ管理され、現存の貯蔵され集中する反社会的貨幣の特徴である利子を持たない新たな社会的貨幣

チップネットワークが推進する個人的、グループの、あるいは社会的発展の過程での可能な連携としての先端技術。これは労働社会、あるいは公式経済の回路から人間を疎外する技術の再構築に対する責任から見られるような、”敵”チップに対する概念としての”友人”チップの再定義から始まる。

“敵”チップの新たな特徴に見られる、普段欠乏しか見出されないところに豊穣の可能性を見ることを妨げる精神モデル(思い込みや偏見)

資本主義の内部から、それが推進する支配的な潮流への反動として生まれた、毎日誰によっても構築できる可能性としての未来。中産階級のための新たな役割の探索、特に労働不足と経済的恐怖の支配する新世界で憎しみを持ち続ける「ニュー・プーア」や、政府や企業、つまり現在われわれがプレーしているゲームにあきあきしていて新たなゲームを待ち望んでいる全ての社会的行為者のために。

この直接的な性格の企業の他に、他の合理性や複雑な論理の理解を認識させてくれる理論的範疇のわれわれの探索の中で、ネットワークの成長はケリーがその著書「神の九つの掟」―そこでのみ無から全てが生まれる―でネットワーク内で起こる現象について大いに述べたように、「制御不能」なものに似ている。これらの「掟」は、できごとを理解するためだけではなく、特にわれわれが現在生きている社会で、熱心にあるいは嫌々ながら試している工学的あるいはニュートン的なモデルに取って代わる新たな相互作用の方式をデザインするために使うことができる。これらの掟やネットワークの発展に見られる現象は、以下のように表現される。

1. 配布される: ネットワークの成長は、国全体で中央集権化されていない小さな単位から始めることがよいことを示している。これらクラブ、のちに結び目と名づけられた単位では、同様にこの規則が以下のような形ではっきりと観察される。60〜80人、あるいは400〜600人という人数で、最初はモノやサービスの単純な交換に始まり、それが共生や連帯、その他この構造の永続性において数量としては表現できないもののおそらく最も意味を持つ属性へと発展する。

2. 下からのコントロール: ネットワークの上で、それぞれの結び目がそれぞれの規則を持つが、その規則は生費者が役に立たないと思ったら破ることができる。権力は誰もが望むように、下部にある。中央集権化の試みは一般的に、成長のための団体よりも権力にとってより価値のある議論対象となる。この意味では、われわれには少なくても「2つ」のネットワークがある。一つは「代表者」(運営者)による仮想的ネットワークであり、もう一つは反乱的生費者が行う交換の実践のネットワークである。

3. 部分によって成長する: 現在までのところ、最も有効な成長のプロジェクトは具体的な部分やテーマで行われており、ネットワークや結び目の活動全体ではない。

4. 過ちを称える: 過ち―模索された目的からの逸脱とここでは理解されるが―は、ネットワークの成長の過程において刷新的な成長を最も促すものであった。それは経営の中央集権化/脱中央集権化、譲渡不能/可能な債券の発行などに有効である。ネットワークのメンバーの大部分が、われわれをたいてい誘惑する管理精神を捨てることで、全てが「実験であり」、この社会的実験場には「用意された処方箋」はないことに同意している。他方では、未来への責任や約束への実践の過ちを共有しそれに同意した結果としての、差異への寛容性が挙げられる。

5. グループ全体に見返りを渡す: 全体に応用できる新たな結果が観察されて以来、それらはネットワーク内で増殖してきた。新メンバーに対して最初に与えられるクレジットの数を20から50に増やすことがブエノスアイレス首都圏で採択されたが、他の地域でも同様にクレジット流通量を増やそうという要求が生まれた。クリスマスシーズンに起こる特別貸与は、貯蔵されているクレジットがあることからこれよりは危険の少ない他の貸与のメカニズムを生んだ。システム内に非流動性があったことが示された。参加者の気持ちをよくしてくれる運動やゲーム(ジョークを語ったり、歌を歌ったり、ウェーブをしたりなど)することで、次の機会にこの参加者は必要とされるようになった。 これはそれほど友好的ではなく、むしろ紛糾している状況(議論、権力闘争、「結果を向上させる」かわりに「論議のための論議をする」)でもそうで、そういったものの登場の際に気を配る必要がある。

6. 最高ではなく最大数の目的を追求する: いくつかの結び目の中で使われており、グループの機能や成長に必要ないくつかの役割を委託するグループ力学のテクニックは、グループ内で同時に多様なプロジェクトが存在していることが有用であることを示している。人生で同時にいくつかの目的を追求している生費者にとっても、そういった人たちを生存のための最低限のモノやサービスの生費者以上のものへと発展させる能力開発の過程でそれは起こる。生活の質という概念は、ただのオルターナティブなスーパーマーケットというもの以上に、もっと広範囲でグローバルなものが含まれる。

7. 疎外されているものを最大限に活用する: 新たな現象の登場―たいていはこの過程を運営している人にも「逸脱」あるいは「不都合」と思われるが―は、ネットワークにとっては時に発展的飛躍の源になった。このようにして譲渡可能債権が発行され、両者の市場の分離という原則を支持する人たちによって実施の前に抵抗を受けた「二重企業」というモデルも生まれ、他のケースも生まれた。この掟を守るなら、われわれは自分たちをネットワーク内で起こっている現象に対しもっと関心のまなざしを向けることができるようになり、「逸脱」のうちのいくつかを、新たな段階への出発点と見ることができるようになる。

8. 不平等を模索する: いくつかの規則を定着させようとするたびに、われわれはシステムの管理という幻想を抱くが、以前にはなかった新たな不平等が顕出する。この掟は、常に新たな不平等が起こるというものである。ゲームの一部として不平等を受容することは、われわれの心にとって、最も難しい適応の第一段階である。変化や発展を起こし、異なった将来を築く自由を獲得するために不確実性を愛するのである。ネットワークの用語で言えば、予見できないものに対し「それで?」、または「そりゃあ面白い」といった方法で応えることをいうのだ。

9. 変化を受容する: 変動は常につきまとう。何らかの技術にわれわれが慣れた時に新たな実践が洗われ、われわれにそれを受容することを強要する。つまり、新たな変化である。ちょうどパソコンや最新の情報技術においてそうであるように。ネットワークでは、監査委員会の手による最初の期間の中央集権化に対し、部分的脱中央集権化の時代が訪れ、それから結び目内で、地域内で、新たな現象を伴って生まれたのが、推進グループや第二舞台の創設、他の中南米諸国への拡大などである。「権力闘争」(何の権力かはわからないが)や監査委員会の古い概念に囚われている生費者は、水面が上がってきて彼らの口をふさぐ寸前で、他の場所に移らないと溺死してしまうことに気がついていない恐竜(といっても取るに足らない大きさだが)のようなものである。

ネットワークを複雑系の視野で眺めることの利点は、ケリーによる神の九つの掟によれば、内部の多様性、結び目内や結び目間、さらにはネットワーク外の異質性を認めることをかなり容易にする。この姿勢の利点は各人の評価による。しかし地域でわれわれが必要としている変化の規模と共有しておりオープンな計画やプロジェクトは歩みを止めない。われわれは他の連帯的経済の中で成功を収めている「疎外性」を模索するラテンアメリカのプロセスに関心を持ち、それから学び、われわれ同士を結びつけ、社会的挿入の実験場の中でともに成長する。

5. 可能な将来を超えて: 誰とともに?

ここまで来ると、ラテンアメリカネットワークの中でどんなことが起こるかわからないことが知れるだろう。この複雑な九つの掟が発展するには、あまりにも広大な地域なのだ。新たな連盟を築くことができれば、新たな社会的行為者がわれわれが現在まで見ていないものを目の当たりにし、われわれは未来は不可能なことやわれわれのデザインしたり構築したり、さらにわれわれが実現したいことを夢見る能力に対して開かれていることを認識しながら、ブラジルやエクアドル、コロンビア、それに近いうちにはホンジュラスやエル・サルバドルからのメッセージに注意深く耳を傾けるだろう。.

1998年にはアルゼンチンでこのネットワークが失業対策の有効なオルターナティブであると政治家の目に映り、社会学者や経済学者の批評対象になっており、他国のモデルとも遭遇してはよい結果をもたらしている。このネットワークはこのテーマでフィンランドやベルギー、オランダ、フランス、コロンビアにエクアドルで行われた会議に参加し、バングラデシュのグラミーン銀行のマイクロクレジットという大成功を収めている実験の創始者ムハマッド・ユヌスから最近賞賛のコメントをいただいた。ブラジルの著名な経済学者ポール・シンガーも、今年の10月に行われたインタビューで、この実験を「魅力的な実験」と評し、これを「この歴史的時期に支配的な経済モデルに対するオルターナティブとして作用するオープンな例」と認識した。彼によれば、「現在の失業の危機は第三世界の所有物ではなく、この段階の資本主義の発展の構造的欠陥であるため、連帯的経済を支援するために少なくても二種類の議論がある。一つは戦術的に明確な議論で、もう一つは戦術的にそれほど明確ではない議論である。これらの経済が大きく発展するならば、われわれは二つの生産様式を得るに至るだろう。一つはグローバル資本主義のそれで、もう一つは連帯の絆で結ばれた生産協同組合のそれだ!」と。

フィンランドでの出会いによって、メキシコの「もう一つの価値市場」やカナダのLETS、フランスのSELsなどといった似たような実験同士での対話が生まれた。補完的貨幣についてのファイナル・レポートの作者として、それぞれの実験の結論は以下のことを認識している。

* LETSやアルゼンチンのRGTに見られるように、参加者同士の直接の接触が効果的にシステムの可能性を広げる。

* 生産物やサービスの多様性がシステムの成長を保証するのには必要である

* 紙幣で補完的貨幣を使用しているグループのほうがはるかに速く成長する

* 補完的貨幣のシステムは必要だが、権力の構造的関係を変革するには不十分であり、地域発展を促進し長期的に構造変革を促すためには他の戦略が必要とされる。

近い未来に訪れる挑戦として、このレポート (Ruth CaplanとHeloisa Primaveraが作成)は、以下のことを勧めている。

- RGTやSELs、LETS、メキシコのケースなどといったネットワークシステム間での可能な連携を促進する。

- それぞれのプログラムのさまざまな監察や経営管理と同様、恒久的な結成や能力開発のシステムを発展させる。

- 教会や病院、推進団体などの中で補完貨幣のシステムを導入する

- 公正な取引と連帯経済の様々なネットワークを組み合わせる

ブラジルやエクアドル、それにコロンビアのさまざまな地域で受け入れられたことから、ラテンアメリカ内での大規模な拡大について考えるための条件が整っていると考えられる。ボゴタ(コロンビアの首都:訳注)の「才能」の結成(「われわれにはカネはないが才能はある」)がそれの例である。インターネット上での会話、コミュニティーリーダーや政治家、それに技術家がこのプロセスに参加し、そして何もなかったところに最初の結び目が生まれる。九つの掟がいうように、無から何かが生まれるのだ!!

社会的貨幣の創設を目的とする連帯経済の経験と結びついて、ラテンアメリカで2000年中に100万人を達成するという目標は、当初は非現実的にみえたかもしれないが、現在この目標がプロジェクトという性格を帯び、あとは異なった未来の建設を行う人たちの参加があれば、信頼と相互性のもとに市場を再開発することで人生を再開発することができる。そして何より、お金が交換手段としての共同体の中での合意にしか過ぎないということを思い出すならば、ラプラタ川流域での社会的貨幣の創設には何も問題はないわけだ。

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THE SOCIAL CURRENCY FROM THE GLOBAL BARTER NETWORK IN ARGENTINA: BACK TO OLD TIMES OR NEW TOOLS FOR THE III MILLENNIUM ?

Heloisa Primavera, March 1999

primaver@clacso.edu.ar

Summary:

Barter is back in Argentina, representing a network of groups producing/consuming the equivalent of four hundred million US$ a year, for over one hundred twenty thousand people. Issued from an ecological movement started in 1995, with very peculiar characteristics if we compare them to other “solidarity economies” and “local currencies” experiences in the world, in which money is excluded, they started expansion to other countries in the Region. In an attempt to get through a new possible meaning to the phenomenon we shall try to explain the context of emergence and evolution of this almost four year old barter network, to put light on a new theoretical approach top the experience.

Considering that a new social contract requires great periods of social, political and economical transformation, we shall discuss the main issues of a whole set of complementary currency initiatives all over the world, as the Global Barter Network in Argentina, The “Other” Sotck Exchange in Mexico, Paul Glover’s Ithaca Hours in New York State, USA, the SELs in France and all variety from Michael Linton’s LETS Systems in Canada, Europe and Australia, as being not only mere short term responses to the economic crisis but also long term, strategic issues to be deepened and supported by governments and international financial organizations, in order to reshuffle cards for a new social game, worth of a Millennium still lacking Utopia.

Keywords: * welfare state / malaise state / absent state; ** urban ecology and unemployment; life quality production; *** new paradigms of knowledge: “friendly” chip or "devil” chip; back to old times or reinventing the market ?

The main ideas shall be presented as to explain this phenomenon that is involving over a hundred twenty thousand people in Argentina since 1995 and started its expansion in Brazil, Uruguay, Bolivia, Ecuador and Colombia, as follows:

1. AN ANSWER TO THE SLOW AGONY OF THE WELFARE STATE

2. CHANCE AND NEED: BETWEEN PUMPKINS AND TELEVISION

3. DECLARING SOME PRINCIPLES: THE BIRTH OF A “GLOBAL” BARTER NETWORK

4. ACTIONS THAT GIVE MEANING TO WORDS

5. ALWAYS MORE THAN ONE POSSIBLE FUTURE: WHO SHALL BE THE ALLIES?

1. AN ANSWER TO THE SLOW AGONY OF THE WELFARE STATE

As a response to the particular situation of the welfare state in the Region, a Global Barter Network developped in Argentina since 1995. Even if it can be seen as part of a whole set of similar initiatives developing in the last decade, the “argentinian model” can be characterized by four main distinctive practices that might explain its rapid, exponential growth:

* The use of social currency, in paper bills, since the very beginning of its evolution;

* A common pattern of regular weekly meetings of each group or “Barter Club” affording a high degree of knowledge and trust among the participants,

* The use of some principles of equity and reciprocity that allowed also regular, frequent exchanges between groups, increasing variety and possibilities of expanding each “private” market and

* A clear model of autonomy and freedom of creation inside each group, which allows many different (successful and unsuccessful) experiences to be source of learning to all the groups.

2. CHANCE AND NEED: BETWEEN PUMPKINS AND TELEVISION

Even if this social movement was born from urban ecology struggling against unemployment, it soon turned out to produce enough social currency, allowing a significant amount of creation of wealthiness to people excluded from the ordinary market circuit. We should take especially care that no King Midas would approach with different rules of the game, since the Network has proven to find an alternative to generate social, economical democracy within capitalism... No blood, no war, no violence to get there.

3. DECLARING SOME PRINCIPLES: THE BIRTH OF A “GLOBAL” BARTER NETWORK

If life quality has been produced through the reinvention of the market, with only very few ethical principles applied, we should at least look at this possibility from the outside of economical logic. Ethics might be an issue to economical overdetermination of social life to start a new game with authentically shared responsibility of the different social actors.

4. ACTIONS THAT GIVE MEANING TO WORDS

If freedom, autonomy and equity have been the issues to build trust and reciprocity for over a hundred thousand people in a network in less than three years, it might at least be useful to examine their approach to the classical threats of empowerment in organizations and social movements: how to deal with power and to accept the legitimacy of different others. Moreover, we should try to develop new ways of combining solidarity with entrepreneurship and democratic action inside and outside groups. Some re-interpretations used in the process have been:

* Barter in networks may lead to the reinvention of life trough the reinvention of the market.

* Bonds issued and controlled by users with equity rules represent social currency capable of gentle struggle towards unemployment and social exclusion.

* Microchips can be easily turned to friendly technology, while “mental” chips - beliefs and old paradigms of knowledge- can be serious ennemies to personal and social development...

* The future is an open possibility of building History in everyday life, in which solidary economies may build a new economical and social order, against the dominant tide of capitalism, from the very core of capitalism...

5. ALWAYS MORE THAN ONE POSSIBLE FUTURE: WHO SHALL BE THE ALLIES?

If the movement started within civil society, it is interesting to remark how other social actors became gradually involved: NGOs, public administration and private corporations. Comparative analysis with other local currency experiences in the world suggest some challenges ahead:

Link local networks together to improve both the variety and quantity of exchanges and the knowledge of different experiences, in different countries.

Develop new methods of education and training systems to promote their spreading to new contexts.

Link LETS/Barter Systems with Fair Trade in order to provide access to the global market...

Join new allies among all those who declare themselves socially responsible for the future of this and next generations. Where are YOU as a social actor ?

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