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「自由貨幣」の経験に関するノート

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  「自由貨幣」の経験に関するノート

以下の引用は「ウィーク」紙、1933年3月17日付けより

 前例がなく、かつまたきわめて重みのある事案がいままさにオーストリアの法廷に持ち込まれようとしている。これはオーストリア・ナショナル銀行の警告に起因し、オーストリアの小さな町ヴェルグルで成功し、同行が自らの持つ独占的権力に競合することを恐れた金融革命に関するものである。ヴェルグルは経済危機の発生以来、急速に破産に向かっていた。工場は次々に閉鎖に追い込まれ、失業者は日に日に増加していった。事業はなにも行われず、税が支払われるのも稀なことになった。

 そこで、ヴェルグルの市長は次のようなプランをたて、それが採用されたのである。町当局は総額3000オーストリアシリングを、額面1シリング、5シリング、10シリングの各紙券で発行し、この紙券はサービスチケットと呼ばれた。これらの紙券の特徴は、毎月1%減価するところにある。この紙券を持つ者はだれであれ、月の終わりに、紙券の額面価額を維持するためにスタンプを町当局から購入しなければならない。スタンプは紙券の裏面に貼付され、スタンプの売上は貧者救済基金に充てられた。その結果、紙券は信じられないスピードで流通した。これら紙券は、はじめ通りのビルや排水路の建設やその他公共事業の賃金に使われた。これらの仕事がなければ、失業したままの人間たちに支払われたのである。

 新紙券が使用された最初の日、1800シリングが支払に充てられた。それを受領した者たちは、即座に、店に急いだ。店主や商人たちも、いそぎこれを町への滞納している税の支払に使おうとした。町が発行したこの貨幣は大部分が租税支払の形で町に還流したばかりか、再び流通してもいった。はじめの1か月間、この貨幣は12回以上流通した。だれもが月末にこの紙券を保有しているとかかってくる1%のスタンプ税を避けられる可能性は存在しない。スタンプがなければ額面は維持されず、価値を減じてしまう。この新規貨幣の発行後4か月間で、町は10万シリングの公共事業を行えた。滞納税のかなりの部分が支払われ、税を前納する市民も現れた。税収は新貨幣の導入前に比べ8倍に増え、失業は顕著に減少し、店は繁盛した。ヴェルグルの奇跡の評判が広まった。アメリカの経済学者、アーヴィング・フィッシャーは調査団をヴェルグルに送り、以来、アメリカの自治体にこのシステムが次第に導入されていった。しかしながら、オーストリア・ナショナル銀行は訴訟を行うことで、妨害に出ている。いま、町長は自らと自らのプランの弁明を行うために法廷に立たされている。

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