2003 Quote of the day

  • 2003-12-07「物理学の教科書が学生から相対性理論や量子理論の革命を隠し、アインシュタインやプランクの支持者たちが追放者のように扱われる世界を想像してみよう。それはたいそう異なった世界であるだろう。その積極面はわれわれが「爆弾」をもたないということだろう。しかし、マイナス面は、レーザーや電磁波もなければ、あるいはより大事なことだが、われわれが住んでいる複雑な宇宙についてこうした諸革命が与えてくれた深遠な知識がわれわれには欠けているということだろう。幸いなことに物理学の教科書はそうではない。けれども、おそらく経済学の教科書はそうである。」(スティーヴ・キーン、「均衡と一体への固執」)
  • 2003-11-28大蔵永常、『広益国産考』、岩波文庫より

    「國産を拵ふる心得の辨余嘗て諸國遊歴せし折から見もし聞もせし事ども多かる中に、或領主の國にて産物の基を開かんとて、役所をたて奉行を置き、それそれ掛りの役人有て、いろいろの物を仕立て給ふ事あり。其一二をあげて云はんに、紙を漉かんとて、新に紙漉場をつくり、他所より楮を買入れ、餘國より漉人(すきて)を雇ひ、手傳の者をかかへ、漉立てさせたまへり。是は利を起すに似たれども、却りて損毛多し。夫紙を漉く事は農人農業の隙に稼ぎとするもの也。先十月十一月までに麥をまき仕まひて、夫より冬紙とて漉きはじめ、翌三月四月末麥刈頃まですく也。三月頃より水暖になりて紙の出来あしくなるゆゑ也夫より麥収納田植草手夏作にかかり、又八月より漉きはじめ、九月中頃まですき収め、稲収納にかかり、前に云ふごとく十月迄に麥を蒔き仕まひ、霜月より又すきかかり、春三月までに漉く事也。紙をすき出す國にては何れもみなかくのごとく農業の隙々に漉く物なれば、家内の人數少なくては漉く事できず。人を雇ひ入れては引合ふ物にはあらず。故に紙の利分といふは亭主壱人其日の働き賃百五十文にもあたり、妻女の賃七八十文、老父母五十文づつ、十四五歳ぐらゐの子供三十文位、合して三百文か四百文位の利益にあたる也。紙を漉かざる農家の男は家内縄をなひ莚を織り、女は蠶をかひ糸をとり、綿をつむぎ、機を織り、その外種々其國所にて農業の隙々の働きある物と同じ事にて、農隙(のうげき)に家内打ちより働きて賃を取るばかりにて、外にもふけとてなきもの也。故(かるがゆゑ)に人を雇ひ漉かせては引合ふものにてはなし。農家にて漉立てても捌口不自由にては益と成らざれば、其とき領主より買上場などを立て給ひて取集め、都會に出して賣捌き給はば、其ときは御益にもなるものなり。故に領主方にてすきては却りて損毛なりといへるは此譯なり。又一つに蝋燭鬢附油になる櫨の樹を植ゑそだて、國用丈も賄ひ、其餘國産になさんとて、實まきを仕立て、山をひらき、不毛の地をしつらひ、植ゑ給へり。されど實の撰びなく接木にあらざれば、三四年して實少々づつ生(な)るといへども少さく、且ならざる木多く、物入に引くらぶれば大ひに損毛なりとて退屈おこり、又其奉行轉役し、其跡役の人は心にそまずなげやりになりて、終に廢する也。或は勝手かた重役先役の仕かけたる事は廻り遠く、かつは物入等も多く別のことを思ひたちたらんがよかるべしとて、櫨の事は再び沙汰もなく廢して、その弊のみをかぞへ、罪をその者と土とに譲りぬる事あり。愚案に是等は利にのみ委しくして、法を知らずとも謂ひつべし。」

 

  • 「・・・対外債務については、いまこの瞬間、ブラッセルでヴァン・ツィーラント氏と交渉で復興のための借り入れ120億を申し出ているようにみえるシャハト博士が新生ドイツには借款の必要性はなにもないと述べているのは当然のことである。すなわち、ドイツはただ数多くの生産物を他国と交換したいだけである。自国の商品に対して同程度の消費したいと望むものを交換したいだけなのだ。

    わがプルードンは1848年にこういっていた。

    「ある国の生産物のある量を他国の生産物の等価な量と交換するためにいかなる貨幣も必要ではない。これは、貨幣がある国の生産物のある量と他国の生産物の等価な量と交換するのに必要ではないことと同様であるし、また、貨幣が二人の当事者の間で商品のある量を他者の商品のある量とバーターするためにも必要がないということだ。『交換券Bond'Echange』があれば十分なのだ。

    我々に事前の貨幣借入れを介入させることを促す銀行という悪質な周旋屋はそこでなにをすることになるのか。なにも種を蒔かなかった場所で刈り入れもせずに、寄生的な先取りをするのだ。

    ところで、この「交換券」こそが、生産者自身が、また彼らだけが確立する根拠こそが生産者の関心をひく。生産物を抵当とするproduitjustifie「交換券」でないものはなんであれ、担保を欠いたsansjustification「アッシニヤ」でしかない。・・・」(ジャン・バラル)

  • 2003-10-04全国的な年金運動が逆風にあっているとき、カリフォルニア州では再び、新たな、より複雑な万能薬、「ハムとタマゴ」計画が生み出された。その1938年版では、「ハムとタマゴ」は50歳以上のすべての失業者に「毎週木曜日に30ドル」の支払いを準備した。そのもっともユニークな性格は、それが模倣したアルバータ州での経験のように、あらゆる支払いが代用貨幣でなされ、流通させる目的で一週に一度スタンプの貼付が必要であるというものであった(Hollywood,CaliforniaPensionPlan,1938)。この計画の発案者はロイ・G・オウエンスとロバート・ノブルのようである。1937年遅く、ハリウッドの広告業者で才能あるプロモーターのウィリス・アレンがキャンペーン・マネージャーとなり、元リーダーのタウンゼントとシンクレアらからなる11人の理事会が組織された。1938年の夏までに、ほぼ80万人のカリフォルニア州民が11月の選挙のさいにハムとタマゴ計画を州民投票にかけるよう憲法修正を求める請願書に署名した。一方では、元リーダーのエピックとタウンゼント、それにシェリダン・ダウニーが、大統領の反対にもかかわらず、新たな人気取りを望んだが、上院議員の再指名の争いで上院議員マクアドーに敗れた。民主党の知事候補クルバート・オルソンはタウンゼント博士がこの計画に反対したにもかかわらず、これに賛成した。選挙でダウニーやオルソン、その他の民主党員は勝利したが、ハムとタマゴ計画は10万票の相対的に小差で否決された。
    僅差の評決はハムとタマゴ計画の推進者に1939年11月の特別選挙で再び挑戦させることになる。このときはより考え抜かれたプランが発表された。欠点ありと言われていたいくつかを取り除き、発行される代用貨幣の使用を促すよう設計されていた。しかし、老人たちは、また落胆を運命づけられた。前年の僅差の記憶が、より徹底した反対を組織させ、辛辣なキャンペーンののち、ほぼ二対一で勝利したからだ。
    (JosephE.Reeve,Monetaryreformmovements,1943)「ハムとタマゴ」計画は人間の経済75号に掲載されています。
  • 2003-10-01「私の見解では(ケインズの)「金利生活者の安楽死」はこれらすべてに対する厳密な回答であり、公正な資本主義に対する批判がもたらしたものである。利子から解放された経済は集合主義に対するオルタナティブではないのか。・・・」(ロイ・ハロッド,Roy Harrod, Dynamische Wirtschaft, 1949)
  • 2003-09-30「上記の諸示唆についての簡潔な議論で示されたのは、誰も満足のいく、確実なゼロバリア及び流動性の罠の問題を低コストで解決しうる「王道」を与えていないということである。
     グッドフレンドやブイター及びバニギルツォグロウが、その実現がゼロ・バリア問題の確実な解決でありうると主張するのはシルビオ・ゲゼルの理念である。本位貨幣並びに帳簿貨幣への課税によって、技術上の諸制限からゼロ・バリアの制約が存在するが、中銀によってマイナスのエリアに切り下げられうるのである。名目利子率の低位バリアは流動性のわなにとって必然的な条件であるが、流動性への課税によって最終的には確実に除去しうる。・・」(Norman Ehrentreich, Geldpolitik angesichts der Nullschranke der Nominalzinsen: Ein UEberblick, Zeitschrift fuer Sozialoekonomie 136/2003)
  • 2003-09-20「科学はすでにその役目を果たした。もし我々が物理的で傷みやすい富のよりよい配分を望むのであれば、これまでその目的のために用いられてきた諸手段よりもよい分配手段を見いださねばならない。別言すれば、貨幣システムをば、生活の物理的諸要因に関する現代の知に対応したものに改革しなければならない。正当化できぬ、全く異質な諸機能に加えて、所得分配に影響を与えているのは貨幣であるからである。富の収入が複雑な現代の諸方法によって生み出されるかぎりは、そしていっぱんに、種の時期から収穫までの、また、ある意図の開始から達成までの長い期間、貨幣ないしなんらかのその完全な等価物がこうした機能を果たさなければならない。必要なことは貨幣が正当な目的以外のどのような目的にも使われないようにすることである。」(Frederick Soddy,The inversion of science,1924.)
  • 2003-08-25住基ネットが本格稼働するようですね。そこでひとつ。

    「理想的な圧制はその犠牲者がそれと分からず自ら管理されるものだ。したがってもっとも完璧な奴隷とはこの上なく幸福に、かつそれと知らずに我が身を隷属させる人たちである。」(ドレスデン・ジェームズ)

  • 2003-07-24「諸国が豊かになるほどに、正貨なしで済ます状態となる。なぜなら誰にとっても正貨が交換券という名の一片の紙券によって表現されうる世界が存在するからだ」(ボアギュベール)
    昔の話ですので、ここで正貨とはespeces、貴金属貨幣の意。
  • 「交換銀行の名の下に知られている諸商業団体の基礎に 役立つ根本理念を定式化した名誉はマルセイユのマゼル 氏に属する。ひとがいやしくも彼に異議を申し立てようとす るのは看板でである。マゼル氏は1818年にその理念を 抱いていたし、1829年から、マルセイユやパリ、ブリュッ セルで交換銀行を設立した。彼はこうした種類の機関の もっとも熱心な推進者であり続けた。」 (Alfred Darimon, De la reforme des banques, 1856)
  • quote_of_the_day230703 Date: Wed, 23 Jul 2003 12:03:03 +0900 From: Morino,Eiichi 数年前にイタリアでSIMECというオルタナティブマネーを始めたGiacinto Auritiの 文章から・・・

    「貨幣価値をそのリザーブを使って正当化しようとの議論には深刻な欠点がある。なぜなら、価値の物質主義的概念に基礎を置いているからである。上記でわれわれが説 明したように、価値は物質の所有ではなく、一時的な関係とみなされるからである。 なぜならそれは常に予測や予見からなっている。ペンが価値を持つ場合、われわれは 書くということを予測する。貨幣もまたわれわれが購入することを予測するがゆえに 価値をもつ。通常、黄金の価値は金属の属性をもつものとして考慮され、従って、そ の「内在的価値」という誤った概念を登場させた。しかしどんな物とも同様に、黄金 はそれが価値をもつであろうとの同意を得てきたから価値をもっているのである。金 属が伝統的に貨幣象徴とみなされてきたために、生みだされた価値が慣習上金属に付 与されてきたのである。」(Giacinto Auriti)

  • quote_of_the_day220703 Date: Tue, 22 Jul 2003 11:29:47 Morino,Eiichi おそらくは地域通貨の淵源の一つである フルクラン・マゼルの宣言の一部を引用 しておきます。 ・・・

    貯蓄は死をもたらし-交換は生命を与える

    宣言

     公衆の理性が真剣に進歩の諸手段の研究に専念しており、 交換のシステムが広範な基礎の上で、有利な諸条件のなか で実践に移されねばならないようにみえる今日、もはや私 には沈黙を守ることは許されない。

     交換の理論の最初の提起者であり、1829年以来、私 はある協会によって我が国の厚生を現実化しようと企て、 その支店は少なくとも6か月のうちに我が国境を越えて広 がり、商業企業の観点からみて驚くべき結果をみた。しか し、その生成が成熟することはなかった。フランスは人間 的な進歩を開始したが、けっして十分な準備ができている わけではなかった。そしてもう一度間違った方向へと向か い、明々白々たる真理の地平を知ることがなかった。私の 理念に広がりや、それに含まれる、さらにいうならその論 理の力やその流れが要求する詳細を与えず、むしろ私はじ ぶんの仕事を中断した、待つためである。

     その後われわれは十分に前進した。誰もが時は来たとい う。交換とその、掲げられた旗幟の最初の擁護者は実践の 場に呼び戻される。私はここにいる!  かつて我が著作で定めた以上の確信をもって、私は我が 周囲にあらゆるその理念の支持者たち、未来の闘士を集め る。かろうじて信仰をもつ人は、これらの人々が加わらな いとあえて告白するであろうか。

     私は真理の理念である交換を宣言する。・・・

    (フルクラン・マゼル、『交換の一般協会約款』、1849年) ・・・

  • 2003-03-24「この世界は厭わしい。愛することも見ることも能わぬ。いつの日か私が所有者であるなら、神と人間たちを作り出すであろう。貧者たちはどこでであれ、私を許すのだ!」(P.J.Proudhon, Theorie de la Propriete.『所有の理論』、これは遺作3部作の一つ)
  • 2003-03-08「それにしても、人々の決定がいかようのものであろうと、我々は事態を憂慮せずにおれる。個人はちっぽけなもので、ある点までは事態の進行を妨げるのは彼らにかかっているが、それをなしながらも彼らは自分たち自身を傷つけるだけである。人類(HUMANITE)のみが偉大であり、間違いを犯すことがない。さて、人類の名において、人類はもはや戦争を望まないということができると思う。」(P.J.プルードン、『戦争と平和』より
  • 2003-02-06 全 定根、「韓国における地域通貨の現状」
    「人間の経済」、第67号、2003年2月6日刊行予定)より
     韓国における地域通貨は、ちょうど1997年のIMF事態の危機を迎えて、全地域での 経済自立及び経済活性化そして失業救済等を目的に始まっており、現在は地域共同体 の再構築やコミュニケーションの活性化 又は相互扶助等の多様な目的をもつ地域通 貨が2002年末現在、研究中のところも含め全国約20ヶ所のところで行っている。そし て現在全国の所々で地域通貨に対する関心が高まり、その運動や導入を始めようと慎 重に研究したり、試みているところも多い。しかし地域通貨が当初の意図通りに行か なく、活性化されていない地域共同体もあちこちある。これはつまり地域通貨を始め る前に十分な対話や討論そして実験等を経ないで急いで手がけたので、結局、開店休 業になったわけである。そして地域通貨の種類もLETS型が多く、又LETS型としても、 通帳を使用することなく取引のすべてを事務局か運営委員会に電話をかけて知らせる 形態を取っていた。つまりサービスを提供したい側とサービスを提供してほしい側、 また事務局のスタッフが互いに大変面倒で繁雑な作業を要求された。唯一、通帳を 使っていて盛んになっているところは、忠淸道にある大田市の「HANBAT LETS」であ る。そして時間を利用したボランティア通貨や教育通貨もある。
  • 2003-01-15: 「われわれの誰にとってもおそらく十分には明らかでないこと は諸個人やとくに個々の消費者にとって 企業の行動との共謀の 程度である。・・・我が国のほとんどの人々、またどうやら 『先進国』であるらしい世界の人々はその衣食住のすべてを生 産し提供することを企業に委任してきた。これにともなう問題 は自然自体やわれわれの自然の利用を懸念することがわれわれ の委任状の保有者によってではなく、われわれ自身によって実 行されねばならないということだ。実行することなしに心の有 り様や価値観を変えることは受動的な消費生活の別な仕方の無 意味なぜいたくにすぎない。実際、『環境の危機』は個人的に かコミュニティにおいてか、人々が配慮もなしに与えてしまっ た委任状の責任を果たす場合にのみ解決されうる。もし人々が その経済的な責任のかなりな部分を自分自身に取り戻す努力を 始めるならば、彼らが見過ごすことなく最初に発見することは 『環境上の危機』がこんなことではなく、われわれの環境や近 隣の危機でもなく、個人や家族のメンバ、コミュニティのメン バ、市民としてのわれわれの生活の危機であるということであ る。われわれが『環境上の危機』をもっているのはわれわれが 食べたり、飲んだり、働いたり、休息したり、旅行したり、ひ とりで楽しんだりすることでわれわれが自然や神が与えた世界 を破壊している経済に同意してきたからである。」 (Wendell Berry)
  • 2003-01-14: ・・自分の意のままになるNPOづくりを行政が仕掛けることは、NPOによる社会監視、新たな社会ニーズの発掘や社会サービスの提供といったNPO本来の機能を失わせることになる。しかも、行政とNPOの協働自体が歪められることにもなる。行政はコントロールできるNPOを作ろうと考えたりしないこと、市民側もそういう『官製NPO』を作ることに荷担しないことが求められている。良かれと思ってやることが、実はNPOが活躍できる市民社会を阻んでいるのである。」(「NPOってナニ? 第11回、官製NPO」、「おうみnet」第33号、2003年1月、P.1)
  • 2003-01-14: 「社会経済における流通はなにに基づいているのか。-貨幣。
    どのような原理がそれを動かすのか-貨幣。
    生産物に市場の門を開けたり閉めたりするのはなにか-貨幣。」
    (ピエール・ジョゼフ・プルードン)
  • 「貨幣はプラスの利子に導く3つの優位性を有している。
    1、貯蓄手段としてきわめて適しており、いかなる保蔵のコストも発生させない(ゲゼル)。
    2,それは貯蓄手段として高度な流動性価値を有してもいる(ゲゼル/ケインズ)
    3、他の交換手段、交換手法よりも格段に優れた取引コストの優位性をもつ(ゲゼル/ズーア)。これらの卓越性は貨幣を『交換の王座』(プルードン)につけ、貨幣に市場におけるジョーカーの地位を授与する(ズーア)。」(Klaus Schmitt, Geldanarche und Anarchofeminismus, 1989.)
  • 2003-01-12 :21世紀になったというのに、人を権威主義的に支配する左右のおぞましい傾向が目に付きます。
    ゲゼルの同志であったハンス・ティム「我々は柵のなかに押し込められたいかなる群衆にもなりたくはないし・・・また人種的ないし民族主義的集団をも望まない。」(H.Timm, "Zur Kritik der Freiwirtschaft", in "Die Freiwirtschaft",1925.)
  • 2003-01-12 アインシュタインで思い出しましたので、彼の文言をひとつ Morino,Eiichi

    「私はシルビオ・ゲゼルの魅力的な文体に熱中した。保有することが許されない貨幣の創設は所有をば別の本質的な形態で作り上げることに導くであろう。」(アルバート・アインシュタイン)[E.H.Schnell, Kapitalismus und Freiwirtschaft,1947, S.146.]

  • 2003-01-11戦争が近づいていますね。 どんな理屈をつけるにしても、戦争が強者による弱者から略奪に 変わりはないのでしょう。 そこで、経済学者、ヴィルフレート・パレートの文言をひとつ。 Morino,Eiichi

    「歴史のどの時期でも・・・われわれはやり口の似た事実に気づく・・・それは一定の人間が他者 の財を領有するために策略を使うことを可能にするものだ。われわれが変わらなさとして主張しうるのは、人間の活動が二つの異なった仕方で行使 されることを歴史がわれわれに明らかにしている ということである。生産ないし経済財の加工にこだわるか、あるいは他人が生産した財をs領有することに執着するか、である。様々な人々の間で、 戦争は、古代ではいたるところで見られたが、強者が弱者の財を領有することを可能にした。そうした人々の間では、弱者から略奪することは法によるものであり、別の時代には革命によるものであった。」 (V. Pareto, Manuel d'economie politique,1909)

  • 2003-01-10 Morino,Eiichi

    「現在、我々は"国家債務"にかかる利子を一日に百万ポンド近く支払っているが、その約三分の二は銀行が保有している。この利子が支払われる"元本"のほとんどは戦争の期間に帳簿記入で創造されたものであり、けっして現金のかたちで存在していたものではない。」(C.F.G.ギャロウェー、『豊穣の中の貧困』におけるペス・ヴィック、『国家債務』からの引用の重引。sans date. 戦前の書物です。)

  • お年玉QUOTE レオン・ワルラスもこう言っていました。 Morino,Eiichi

    「我々が享受している民主的で議会制の国家がこうした活動の水準にあるにしても、しかし経済的なまた社会的な理論の価値がそれが持つ機会には必ずしも依存していないとか、あるいは直接的には実践されないということが真実であると私は考えない。紀元2ないし3世紀のストア学派の何人かの哲学者は奴隷を解放するための道と手段とともに、奴隷制なき社会状態の厳格で正確な定式を与えたが、その計画がローマのあらゆる社会組織と矛盾することを人々に示し、どのような場合にもけっして適用されることはないであろうと主張する見事な役割を果たしたとき、短期的にみて人々が事物の秩序に満足する理由をもったにしても、そのことは彼らが真実と将来をもつのを妨げなかったのである。」(Leon Walras, Economie sociale,1885.)

  • 年始QUOTE 民族とはなにかに、年頭に当たり、思いをいたしておくのもいいかもしれません。 そこで、グスタフ・ランダウアー、「民族問題に関して」、1915年に言及したトマス・ケラーの論文から一節を。 Morino,Eiichi

    「ランダウアーは民族の概念を実体からみる観点から解放した。民族は『ひとつの多様な関係』であるので、それは絶対性でありえず、その個性は一個の文化領域を形成するあらゆる諸民族との関係のなかでのみ決定される。それ自体として民族は存在しない。またひとつの民族の内部では異質な諸要素からなる、連合的な構造による関係性が形成されねばならない。こうした関係はさまざまな信念や確信による内部的な差異化である。人種ではなく、いわゆる関係をもつ個性や『類似性』、『差異における等価性』が民族を形づくる」(ThomasKeller, Die Personalismen der Zwischenkriegszeit und diedeutsch-franzoesischen Beziehungen: Wider die deutscheKontingenzscheu.)

  • 年末QUOTE 02年もそろそろ終わりですね。今年一年も全国各地の 地域通貨の関係者の皆様にはたいへんお世話になり ました。新しい取り組みがぞくぞく登場すると同時に、 そうした取り組みがさして話題にもならぬようなかたちで ごく当たり前に登場してくる時代になりました。 その現場に居合わせていただく喜びのなかで体感 してきたものは、行き詰まったこの国の形式的な「民主 主義」ではなく、現実の多様性を尊重しあうなかで連帯 関係を築き上げる実質的な民主主義の形成が始まって いるのかなというものでした。 地域や地域主義、分散型の社会経済などが語られはじめ ました。19世紀から欧州で始まった人格主義personnalismeや 連合主義の哲学や思想がこれまでのように無視されるのでは なく、現実のなかで消化されてゆく時代がくるのかなという感じ がしています。 そこで、アッティリオ・ダネーゼの論文から・・・ Morino,Eiichi

    「実際、もともとの民主主義システムはどちらかといえば量や 多数性、数字上の平均を偏重するものである。ひとが形式的 な民主主義から実質的な民主主義に向かって進化していき たいと感じるのはそのためである。エティエンヌ・ボルヌはこう 述べていた。『人格主義と民主制は相互に、事前に調和がある わけではないが、弛緩することなく調和を確立し、再確立する ものだ』と。そしてそのなかへと新-人格主義はかけがえのない 貢献をもたらすことができる。 -人格主義的民主制のために- 人柄(personne)を語ることは多元性(pluralite)を語ることと同じ ことである。人格主義は融通の効かない全体を包摂するような 仕方で市民社会を組織しようとは思わない。反対に、ありうべき あらゆる領域を保持することを望んでいる。 ムーニエの意図しているところは民主主義に実質的な中味を 与え直すことである。形式的で量を重んずる民主主義、それは 1789年のイデオロギすなわち個人主義と抽象化の非嫡出の 成果とみなされるが、それは少なくとも間接的な仕方で、貨幣が 支配する王国のなかで、自由と内発的に動き始める力を押しつ ぶしている。・・・」 (Attilio Danese, Critique de la democratie formelle et quelques idees neo-personnalistes pour l'avenir europeen)

この記事について

この記事は「koichi」の寄稿です。2003年11月13日 20:03.

The Immensely Accumulated Debt は以前の記事です。

人間の経済 2003 は以降の記事です。

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